ヨーロッパ諸国は、「未開の地」だったアフリカの植民地化を進めていきます。その中で抵抗を見せていた国がありました。
この記事では、小国エチオピアが大国イタリアに勝利するアドゥワの戦いを、戦略がテーマのビジネス書「胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス書」よりご紹介します。ぜひ最後まで読んで、日本と共通する姿も見られるエチオピアの戦いから、ビジネスにつながるヒントを見つけてみてください。
目次
エチオピアとイタリア
ここでは、エチオピアとイタリアの関係から、アドゥワの戦いまでの流れを見ていきましょう。
ヨーロッパの標的にされるアフリカ
日本が明治の半ばを迎えていたころ、ヨーロッパの国々はアフリカの植民地化を進めていきました。列強は産業革命後に大量の資源を必要とし、また自分たちの生産品を売る市場を探していました。アフリカはそのために最適な場所だったのです。
その中で、テオドロス2世が近代化を推し進めていたエチオピアは、抵抗を続けていました。それに続くメネリク2世も近代化路線を引き継ぎます。
メネリク2世は外国人を雇って指導を仰ぎました。都市計画を作り、道路や鉄道などの交通網を整え、郵便や電話なども改革していきます。
さらにヨーロッパ諸国からは武器も購入。近代戦に耐えうる強力な軍隊を結成し、アフリカ屈指の強国へと成長していきます。
実はこの近代化の進め方は日本とよく似ています。明治政府になったとき、日本も同じように外国人を雇って近代化を進めていたからです。いわゆる明治維新です。「列強の侵略を防ぐ」という課題も共通しています。
エチオピアとイタリア、それぞれの主張
エチオピアはもともと、イタリアと親密な関係にありました。しかし、植民地競争で出遅れていたイタリア。エチオピアの北に位置するエリトリアを保護国とした流れで、エチオピアも保護国にしたいと考えていました。
保護国化とは、外交や軍事などの主権を他国に委ねる国にするということ。形式的には2つの国として存続します。一方で、植民地化は他国に完全に編入されてしまうという違いがあります。
関係の深いイタリアの申し出に、エチオピアはイタリアと条約を結びました。しかし、大問題が発生。言語の違いにより、エチオピアに独自の外交権があるか否かという解釈に違いが生じます。メネリク2世はエチオピアに外交権があると解釈しましたが、イタリアは違ったのです。
他国の首脳の手紙でこの事実を知ったメネリク2世は外交交渉に入りますがうまくいかず、イタリアとの関係はこじれていきます。イタリアの本音は、エチオピアの保護国化だったからです。
1893年にメネリク2世がイタリア国王に条約破棄を通告。エチオピアとイタリアの関係は決定的に悪化しました。
独立を守ったエチオピア
関係悪化により、エチオピア軍とイタリア軍の間で小競り合いが発生します。エチオピア軍からは徹底抗戦を求める声が上がりましたが、メネリク2世は大きな軍事行動を起こしませんでした。
1896年、イタリア軍に「メネリク2世は病気であり、エチオピア軍の士気は最悪」という情報が入ります。イタリアは「今だ!」とばかりに、すかさず攻撃を仕掛けました。
イタリア軍は、部隊を本隊・アルベルトネ旅団・ダボルミダ旅団という3つの編成にし、エチオピアへ奇襲作戦を仕掛けます。
エチオピア軍の兵は10万以上とされていましたが、それを知っているはずのイタリアは約2万の兵で奇襲を開始。「エチオピアなんて楽勝」と考えていたのでしょう。
しかし、イタリア軍を待っていたのは苦難の連続でした。アルベルトネ旅団は道を間違えてエチオピアの攻撃にさらされ、アルベルトネ旅団の救援を命じられていたダボミルダ旅団は正反対の方向へ動き出し、エチオピア軍のいる場所にもたどり着けないという大失態。
さらには「メネリク2世が病気」というのもイタリア軍を油断させるためのフェイクニュースだったのです。
エチオピアは満を持してイタリア軍を大軍で襲撃し、圧倒的不利と思われた戦いを制したのです。
もうひとつの日露戦争
ここでは、アドゥワの戦いから見えることを説明していきます。
列強に勝利したエチオピアと日本
このアドゥワの戦いの結果、エチオピアは独立を守りました。ヨーロッパ諸国に虐げられていたアフリカの国家でも民族運動が盛り上がります。このことから、アドゥワの戦いは日本が列強のロシアに勝利した「日露戦争」に近いと言われています。
ただ、エチオピアも勝ち続けることはできませんでした。イタリアのムッソリーニが「アドゥワの報復」を掲げてエチオピアに再び侵攻し、首都であるアジスアベバは陥落。イタリアはエチオピアの獲得を宣言します。
しかし、小さな国が大きな国に勝利したという事実は、他の国々を大きく勇気づけたことでしょう。
イタリアの敗因から見えること
アドゥワの戦いの勝因は、イタリアの自滅によるところも大きかったようです。イタリア軍は食糧の供給が滞り、兵が疲弊。加えて土地勘のない戦場で少人数での奇襲作戦が大問題だったのです。「敵を侮り、なめきっていた」ことが最大の敗因だったと言えるでしょう。
偏見や思い込みは人の見る目を曇らせます。それは失策の原因にもなるでしょう。戦略を立てる前に偏見・思い込みといったものを疑うことも大切です。
まとめ
列強の侵略から独立を守ったエチオピア。ほかの諸民族にも希望を与えた勝利だと言えます。一方でイタリアの敗因から私たちが学ぶこともありました。偏見や思い込みを持つことで、予想もしないダメージを受けてしまう可能性があるのです。
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