お悩み解決のスペシャリスト・下田美咲が読者からの相談に答える本連載。今回も、人生を変える価値観を授けることをモットーにズバリ言うわよ。
「夢や目標」=「なりたいもの」や「やりたいこと」を見つけないといけないって思い込んでいる人が多いけど、実は、「なりたくない状態」を見つけるだけでも十分よ。
あなたは誤解をしていそうだけど、自分の人生に夢中になって生きるにあたって、キラキラとした意気込みなんて別に必要ないの。




目次
「なりたい」じゃなくて、「なりたくない」から考えればいい
あなたが成人している大人であるなら、今から「なりたいもの」とか「キラキラした夢」を見つけるのってすごく難しいことだと思うの。だって世の中のことをよく分かっていなかった10代の若者の時ですら、夢を見つけられなかったタイプの人でしょ? それが今から夢を見つけるなんて、もっと難しいに決まっている。
年を重ねていればいるほど、今から、「よし、私はこれになりたい!なるっ!」なんて風な感情になるのは難しくて当然だから、無理して「なりたいもの」とか「やりたいこと」を捻り出そうとしなくていいわよ。性に合ってないでしょ、そういうの。
それよりも「こういう風には、なりたくない」っていう状態について、考えてみるのはどう?
たとえば「生涯、住む家には困りたくない」とか「ご近所トラブルで悩みたくない」とか「孤独死をしたくない」とか「鬱病になりたくない」とか、そういうの。「こうはなりたくない」「こういう事態に陥ることは避けたい」みたいなこと。
それだったらあるでしょ?
それを徹底的に叶えようとすることも、立派な「目標」だし、なりたくないものにならないようにすることだって突き詰め始めると、夢を叶えるくらいの大変な作業なのよ。
何を隠そう私という人間は、なりたいものを目指して頑張ってるってよりも、なりたくない状態から逃げ切ることを一番の目標に据えて生きている人間なのよ。それなのに他人からはキラキラしたモチベーションで夢を追っている人間と思われがちなんだけど。
側から見たらそんなもんなのよ。どっちも一緒。なりたい自分を追いかける姿と、なりたくない自分から逃げる姿は、よく似ていて、他者からは見分けがつかない。
私はゴキブリから逃げてる
よく「どうして美咲ちゃんはそんなに頑張れるんですか?そのモチベーションは一体どこから?」って聞かれるんだけど、私が常に全力疾走していて、その足が全然止まらないのは、強烈に無理な事象から”逃げているから”なの。
たとえると、美味しそうなケーキを追いかけてるんじゃなくて、ゴキブリから逃げてる。そりゃ止まれないでしょ。止まるって選択肢がないのよ。マジで無理なんだから。火事場の馬鹿力が当然に出る。
虫が平気な人はネズミとか熊で考えてみて。無理でしょ。追いつかれたらキモすぎて、一環の終わり過ぎて、走り抜ける選択肢しかないでしょ。
私がこの話を最初に人にしたのは18歳の時だったから、夢を叶えるよりずっと前から一貫して、私は逃げてるの。夢を追っているってより、二度と襲われたくない悪夢のような日常にまた戻ってしまうことが絶対にないように、逃げて、逃げて、逃げてる。
人間って、逃げ足が一番早いし、持久力もそういう時の方が発揮されるもんでしょ。追いかけてるわけじゃなくて全力で逃げてるからこそ私はこんなにも異次元にパワフルなのよ。
私はキラキラした心情で頑張ってるわけじゃない。どちらかというと真っ黒なイメージを頭に思い浮かべながら「逃げ切るぞ!!!」って考えて、努力をしてるし、行動的であろうと決めている。
辛かった子ども時代
私はよく「この支配からの卒業」って言うんだけど(尾崎豊さん、絶妙な表現を世に残してくださって、ありがとうございます)、私にとって大人になることは、数々のこの支配から卒業することだった。
子ども時代が、すごく辛かった。子どもって圧倒的に弱者だから。どんなに嫌でも辛くても、どうしようもないことだらけなのが子どもという立場。
子ども時代を生きてる時、「子どもって地獄だな」って思ってた。
だけど、人は大人にさえなれば全ての支配から卒業できるわけじゃない。結局何かの支配下に身を置き続けて、いろんな人のせいにしながら不自由に不便に不快に暮らしている大人を、軽蔑した目で見てた。子どもの私と違って、そっちは気合いを入れて行動すればいくらでも自由になれる身なんだから、頑張ればいいのに、って思ってた。
大人になっても、経済力を身に付けない限り、似たような地獄が続く。嫌なもの、不便なこと、不快な対象と距離を取るためには基本的にお金が掛かってくるものだから。
たとえば住んでいるマンションの隣の部屋にヤバイ奴が引っ越してきたら、お金があったらすみやかに引っ越せるけど、お金がないと耐えるか戦うかしかない。戦うことはできるけど、別に世の中って正義が勝つわけじゃないから、相手の人間性によってはどんな危害を加えられるかわかったもんじゃない。
たとえば結婚相手のチョイスにミスって、結婚生活が不幸なものになったとしても、お金がないと身動きが取れなかったりする。身動きが取れずに妥協や惰性の結婚生活を継続している人は実際とてつもなく多い。
私は、自分に対して「よくぞ頑張ってここまで生き抜いた」って思ってるから、すんごく頑張ってどうにかこうにか大人時代まで漕ぎ着けたからには、大人になった価値のあるクオリティの大人時代を生きたい。
大人時代は、子ども時代を頑張って生き抜いた自分からの贈り物だから。死なずに頑張った私が、渡してくれたバトン。丁重に受け取って、大切に使う。
子どもは子どもってだけでどうしようもないことだらけで、その現実は不動だけど、大人はそうじゃない。
大人になってまで、子ども時代のように不便で不快で不自由な日常を送るなんて絶っっっっっっ対にイヤ!!!!
幼少期の地獄を、二度と繰り返したくない。トラブルが起きたらすみやかに解決できるような経済力を持って、何にも耐えない人生を送りたい。
私は「なりたくない」の解像度が高い
私はよく「こんなパワフルな人を見たことがない」と言われる。昔から。
10代の頃は音楽業界に身を置いていて、20代の途中からは出版業界に身を置いていて、どちらも「夢」を扱う業界だし、キラキラとしたモチベーションで頑張る人間が集まってくるタイプの業界だけど、そんな中でも私は群を抜いてアグレッシブな努力家で、ギラギラしているから、前向きに夢を見る若者と思わてるなと感じてきたけど、そんな私の正体は、ゴキブリから逃げてる人だ。
私に強みがあるとすればそれは、「こうはなりたくない!!」というイメージの解像度が桁違いに高いことだろう。数々のヘビーな人生経験によって「人生ってこんなことが起こる可能性も、こんなことが起こる可能性もあるな」と想定する力が磨き抜かれている。
また「なんで世の中には、自分とは同じ人間とは思えない野蛮な生き物がけっこういるんだろう…ソイツらをソイツらたらしめるものの正体は何だ?」という疑問から、人一番人間という生き物の構造について学んでもきたし、裁判傍聴に足繁く通っていた時期もあるため(超面白い!人間界に詳しくなれる)、そうやって培った知恵や知識も、私の「こうなりたくない!!!」の解像度を高めることに一役買っている。
「人間界ってこうだから、人生って、丸腰だとこんなことになってしまう可能性がある」っていうことに、やたら詳しい。