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準備量とシミュレーションで世界最強のバルチック艦隊を迎え撃つ日本の作戦

胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス教養
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明治時代、日本は植民地を求めて海外に進出していきます。満州地域を占領したロシアに対し、日本は交渉を断念して開戦を選びました。そしてロシア軍の強力な軍事部隊、バルチック艦隊が日本へ向けて動き出したという一報が入ります。

しかし日本は、入念な準備と訓練の結果、世界最強とも言われたバルチック艦隊を撃退します。軍事力で劣るなかで、なぜ結果を出せたのでしょうか。

この記事では、世界最強の艦隊を迎え撃った日本の作戦を、戦略がテーマのビジネス書「胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス書」よりご紹介します。伝説的な戦いとして知られる日本海海戦を最後まで見届けてください。

ロシアとの開戦

日清戦争後、日本が朝鮮半島の攻略を進めようとするなかで起きた日露戦争の流れをみていきましょう。

日露戦争

日清戦争に勝利し、朝鮮半島から清を追い出すことに成功した日本。しかし清の力が弱まったことで、ロシアも朝鮮半島へと進出していきました。

1899年に「外国人を追い出せ!」という義和団事件が清で起こると、この混乱に乗じてロシアが満州地域を占領します。日本はもちろん、イギリスなども、このロシアの動きに反発。

しかし外交で問題は解決できず、日本はイギリスと組んでロシアとの開戦を選びました。1904年、日露戦争が始まります

旅順攻略とバルチック艦隊の動き

超強国であるロシアに対し、日本はロシアの軍港がある旅順要塞の攻略を狙います。旅順は現在の中国北東部にあり、当時はロシアが領有していました。

旅順をおさえることにより、部隊での攻撃や物資の補給を海経由でできるようにしようと考えたからです。

なかでも最大の懸念は「バルチック艦隊」でした。ロシア軍の強力な軍艦部隊であり、これを出されたらやばい!という最強の切り札。このバルチック艦隊が日露戦争のために動き出したという一報が入ります。

幸いにも、バルチック艦隊はこのときヨーロッパに停泊中。しかし、バルチック艦隊が来るまでに港をおさえなければという展開になりました。

陸軍はそれまで避けていた正面からの旅順要塞占領を目指し、2回の総攻撃を仕掛けましたが、どちらも大量の死者を出す大失敗に終わります。

バルチック艦隊は10月15日に北ヨーロッパのラトビアを出発したという情報が日本に入り、翌年1月上旬には台湾近海にやってくだろうと予想を立てました

カウントダウンが始まり、日本は旅順攻略を急ぎます。11月26日から3回目の攻撃を決行し、大損害を被りながらもなんとか作戦は成功。
日本は、挟み撃ちにあう可能性は回避できたものの、バルチック艦隊がいつ日本近海にあらわれるかは死活問題でした。

当初の読みはいい意味ではずれ、バルチック艦隊が台湾近海へ到着するのは当初の予想より大幅に遅れた5月下旬。準備の時間は増えましたが、来るという事実に変わりはありません。

5月、バルチック艦隊がベトナムを出たという情報が海軍に入ります。決戦の日が迫っていました

日本海海戦

バルチック艦隊は対馬海峡・津軽海峡・宗谷海峡のいずれかを遠って日本海へ入るだろうと、海軍は予想していました。

司令長官である東郷平八郎は、障害物が多い宗谷海峡は可能性が低いと考え、対馬海峡か津軽海峡のどちらかで迷います。相当迷ったことでしょう。

5月26日、天が味方したのか、バルチック艦隊が上海近くにいるという情報が入りました。対馬海峡経由のルートで来たということが確認できる情報です。

5月27日、東郷平八郎は「本日天気晴朗なれども波高し」という電報を日本へ送ります。「日本海海戦」の幕開けです。

日本が考えていたのは「T字戦法」というもの。Tの横棒にあたる位置に日本が陣取り、縦棒にあたる位置のバルチック艦隊に対して一斉射撃するものだったとされます。
日本の狙いは、敵艦に砲撃を集中させることでした。

しかし開戦時点では、連合艦隊とバルチック艦隊はお互いに向き合うような位置取りでT字は完成しませんでした。

13時39分、司令部は敵の目の前で艦隊の進路を変えるという作戦に出ます。ロシアに一斉に攻撃される可能性もありましたが、約30分後には反時計回りを描いて大胆にターンします。これでT字戦法が完成したのです。

日本はロシア側の先頭の艦船に集中砲火を浴びせます。動きの遅いバルチック艦隊は逃げ出すことができず、主力の5隻のうち4隻が大打撃を受け戦闘不能に。開戦からわずか半日程度で大勢が決しました

日本海海戦を機に、日露戦争は終わりを迎えます。9月5日にポーツマス条約が結ばれて日露戦争は終結しました。

日本の勝因とは

ここでは、伝説的な日本海海戦の勝因を探っていきます。

伝説となった日本海海戦

日本海海戦における日本の勝因はどこにあったのでしょうか。

指揮系統が統一され、射撃の命中力を鍛えていたこと。移動速度や砲弾の発射スピードが速い艦船だったことなどが考えられるでしょう。
また日本を勝利に導いた東郷平八郎も、英雄として世界中に知られることになり、艦隊の回転は「東郷ターン」と呼ばれるほど。

主力艦隊同士が対決するという大規模な開戦でありながら、短時間かつ日本側の被害がほとんどないという圧勝。このため伝説的な戦いとして知られています。

バルチック艦隊を迎え撃った日本

日本海海戦のT字戦法には多くの異説がありますが、本番までの準備量や繰り返しの訓練は想定外の場でも役立ちます

世界最強とよばれるバルチック艦隊に圧勝した日本海海戦も準備を重ねていました。このときの日本の戦い方や戦略が、あなたのこれからも人生にもヒントを与えてくれるでしょう。

戦略がテーマのビジネス書「胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス書」では、古代から現代に至るまでに起きた戦いの戦略をこのようにまとめて紹介しています。ぜひ本書を手に取り、先人たちの生み出した戦略やその生きた道筋を知って、これからの時代のヒントにしてみてください。


胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス教養 著者 齊藤颯人/監修 本郷和人・本村凌二

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