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羽生結弦を育てたコーチが語る「一流になれる選手となれない選手」の違い

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「図解モチベーション大百科」大ヒット記念企画「名監督インタビューシリーズ」。第3回目は、メダリストの佐野稔選手や羽生結弦選手らを育てたフィギュア界伝説のコーチ・都築章一郎さんにインタビューさせていただきました。

世界に羽ばたくスケーターを育てたい


(インタビュアー:図解モチベーション大百科 著者・池田貴将)

池田 都築先生はこれまで、オリンピックや世界選手権など世界の大舞台で活躍するスケーターを数多く育ててこられました。まずは都築先生ご自身の、指導者としての原点から教えてください。

都築 日本大学に入学した時に、「スケート部にフィギュア部門を作ってほしい」と言われたのがきっかけです。ところが、選手兼指導者として始めたものの、他に選手はいないしコーチもいない。見よう見まねで始めた記憶があります。それ以来、55年ほどこの世界でやってきましたが、その中でもたくさんの出会いがありました。羽生結弦というスケーターもその一人です。

池田 都築さんが指導者になった頃、日本におけるフィギュアスケートはどのような環境だったのですか?

都築 当時はまだ、たくさんの方から理解していただける分野のスポーツではありませんでした。海外のいろいろな選手のテクニックを真似し、それを吸収していた時代です。とにかく当時の日本には、スケート場そのものがほとんどありませんでしたから。

池田 難しい環境の中でも指導者としての道を選択する。なぜですか?

都築 私自身、フィギュアスケートが大好きで、同時に教えるということに魅力を感じていたのが一つの導入段階です。また、ちょうどその頃、山梨県で合宿をやった時に、佐野稔というスケーターと出会いました。のちに世界選手権の男子シングルで、日本人初の銅メダルを獲得する選手です。そこから「世界に羽ばたくスケーターを育てたい」という思いが強くなっていきました。

無駄の中から光を見つける

池田 たいへんな時間をかけて選手を育成していたそうですね。

都築 はい。環境やコーチのテクニックなど、今とはあらゆる条件が違います。その意味では、遮二無二やることで何か新しいことが生まれたり、いろんなことが起きました。進歩したと思ったら後退しての繰り返しで、非常に無駄もあったと思います。90パーセントくらいが無駄なことだったかもしれません。ですから、無駄から光を見つけていくようなものです。当時の選手たちは、無駄だと思われるトレーニングも懸命にやってくれた。それが、継続する力になったと感じています。

池田 「無駄から光を見つける」ですか?

都築 無駄なことから磨かれたのは子どもたちの強い心です。無駄なことをやることで、人間の力強さや挑戦する力といったものが作られました。佐野が5種類の3回転ジャンプをやって世界一のフリースケーターになりましたが、それも無駄から生まれた強い信念が作り出したものだと思っています。

池田 世界に羽ばたくスケーターを育てる上で、大きなモチベーションになったできごとはありますか?

都築 これまでたくさんの子どもたちに出会い、私自身も数多くの経験を積むことができました。それが今でも私の財産です。また、海外派遣という形で佐野と長久保裕(1972年札幌オリンピックに出場。指導者として荒川静香や本田武史、鈴木明子といった名スケーターを数多く育てる)をソ連(現ロシア)に連れて行き、そこで世界のスケートに出会うことができました。芸術の国で、フィギュアスケートに取り組む環境を目の当たりにすることができ、日本との違いにショックを感じることもありました。ただ、これをどうしたらいいんだと直面した時に、私の中で新たなエネルギーが芽生えたように思います。

あったのは“心”だけ

池田 今のようにインターネットもない時代です。どうやって情報を得ていたのでしょうか?

都築 ソ連には、自分で大きなビデオカメラを持っていきましたよ。トランクの中は着るものなんてほとんどなく、ビデオテープでいっぱい(笑)。だけど、そこで撮影したものが、当時は一番の情報だったんです。一番の指導書にもなりました。また、その時に、トップで活躍するコーチにも出会った。いろいろなことを吸収し、いい刺激を受けました。

池田 そうした努力もあって、その後もたくさんの優秀なスケーターが世界に羽ばたいていきましたね。

都築 佐野を小学5年の時に指導して以降、ほとんど何も変えることなく長きにわたって指導してきました。おっしゃるように、世界に羽ばたく選手たちがたくさん誕生してくれたと思っています。佐野のあとには五十嵐文雄がいて、4種類の3回転ジャンプを見せてくれた。2010年のバンクーバーオリンピックで4位入賞したペアの川口悠子。2006年のトリノオリンピックで世界初のスロートリプルアクセルを成功させた井上怜奈。苦しい状況で育った子どもたちですから、世界でも自分の力が発揮できる心技体を小さな頃から養ってきたことが大きいと思います。

池田 心技体、都築先生がその中でも特に大切にされているものは何ですか?

都築 私の場合、指導力も経験もないところから始めましたからね。あったのは“心”だけです。感情に身を任せて、「やってみよう」と思ったことを追求しながらやってきました。ただし、目標を達成するためには、心技体の3つが必要です。どれか一つが欠けても、目標には到達できないと思っています。

池田 中には、志半ばにして自信を失ってしまう選手もいると思います。都築先生はそういう選手に対して、どのように関わりを持ちますか?

都築 指導者として自己反省をすることが、ある意味では、子どもの成長につながっている気がします。そういうことは何度もありました。でも、それは飛躍するための自己反省であり、それがあったからこそ継続することができた。もちろん、中にはそのままスケートから離れていってしまう子もいます。ただ、私としては、最初に出会った佐野が継続できる子どもだったということが幸運でした。もちろん、そうなるようにやってきたつもりですが、ある場面では負荷を与えすぎたことがあるかもしれません。それでも、彼を支え、コントロールしてきたご両親のバックアップも大きかったと思います。

羽生ほどフィギュアスケートと向き合ってきた人間はいない

池田 自己反省を飛躍につなげる子がいれば、そこで諦めてしまう子もいる。その違いはどこにあるのでしょうか?

都築 結果だと思います。結果による喜びが一つのステップアップにつながります。佐野も、大会に出るたびに得られる結果が大きな支えになり、それによって、また新たな飛躍につながるトレーニングと向き合うことができた。最終的には、ご両親の愛情や絆、これは時代が変わっても同じです。その点では、羽生も一緒。人間性を高めていくためには、とても大切なことだと思います。

池田 スポーツには失敗がつきものですが、フィギュアスケートにおける失敗というのはどのような意味を持ちますか?

都築 羽生がよく言うんです。自分が失敗したのは「練習が足りなかったからだ」と。単純な答えで、まったくその通りだと思います。でも、人間というのは、なかなかそういう気持ちにはなりませんよね。そこも、彼のすごいところだと思います。

池田 ふつうなら「こんなに一生懸命やっているのになんで失敗するんだろう」と思いますよね。

都築 私だって自問自答します。なぜ失敗するのか。こんなにたくさん練習したのに、どうして失敗するのか、と。環境のせいにして離れていった子もたくさんいます。それは、私たちのようなコーチ業をやっている人間であれば、誰もが経験したことでしょう。私たちはそんな世界で生きているわけですけど、結局、そういう時に支えになるのはその人が持っている人間性なんです。

池田 挑戦し続けるためには、さらに上のレベルに行けるという感覚も必要ですね。

都築 そういうことです。その意味で言うと、羽生はイメージがものすごくしっかりしている選手です。イメージが起きることで、テクニックを短い時間で吸収できる。そういう素晴らしい能力を持ち合わせています。それはただ与えられた練習をしているだけでなく、小さい頃から未知の世界に挑戦する心があったからだろうと思います。

池田 未知の世界に挑戦する選手というのは、ふだんから違う次元で練習しているんですね。

都築 最近、羽生と交わした言葉の中に、トリプルアクセル(3回転半)のさらに上をいく4回転半のアクセルができそうになってきた、というものがありました。これこそ、本当に未知の世界です。ですが、それさえも可能性を感じさせる選手になってきた。未知の世界に挑戦できる人間的な幅の広いスケーターになってくれたと感じています。

池田 それも羽生選手の強いメンタルがあるからですね。

都築 そうですね。どれだけ心がフィギュアスケートと向き合っているか。言い換えるなら、一つの情熱です。私がフィギュアスケートを始めた時は、自ら目標を立てて遮二無二やってきたけど、それでもできなかった。それを羽生は自ら感じ、実践している。新しい世界が切り拓けるんじゃないかと。これはもう、本当にたいへんなことだと感じています。

池田 東日本大震災のあと、羽生選手はこの横浜銀行アイスアリーナを仮の拠点として練習していたそうですね。

都築 東日本大震災は彼にとっても大きなショックだったと思います。スケートを続けていけるのかもわからなかった。そんな中、ここで練習させてほしいという連絡が私の方に届きました。私はただ、あの子自身がスケートを続ける意思を高められるような環境づくりをしただけです。週末はエキシビションに出場していたので、そこで世界のスケーターとの交流がありました。その中で様々な技術を学び、新たな羽生が生まれていったような気がします。人間の生と死に関わる体験をして、あの子にとってはショックだったことでしょう。ですが、あの数カ月の経験が羽生結弦という人間の幅を広くし、より強くなったのだと思います。

池田 羽生選手の将来に期待されていることはありますか?

都築 羽生にも言ったことがあるんです。「一人のインストラクターになるのではなく、フィギュアスケートの将来を発展的に考えられる人間になりなさい」と。羽生の他に、これほどフィギュアスケートと向き合ってきた人間はいません。私たちがやる以上に、もっとレベルが高いものができると思っています。羽生には、そんな人間になってほしいですね。

池田 とても楽しみですね。今日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

プロフィール

都築章一郎(つづき しょういちろう)
1964年に日本フィギュアスケーティングインストラクター協会を設立。
日本オリンピック委員会指定コーチとなり、世界選手権で日本人初の銅メダルを獲得した佐野稔や、五十嵐文男、渡辺しのぶらを指導した。
宮城県仙台市では羽生結弦を小学校2年から高校一年まで指導。途中、仙台のリンクが閉鎖となるが遠距離ながら指導を続けた。
2011年3月、東日本大震災で被災しリンクを失った羽生を急遽受け入れ仙台のリンクが再開するまで練習をサポート。
2014年ソチ五輪で19歳の羽生結弦はフィギュアスケート男子シングル、日本人男子(アジア)初の金メダリストとなる。

池田貴将(いけだたかまさ)
早稲田大学卒。リーダーシップ・行動心理学の研究者。
大学在籍中に世界No.1コーチと呼ばれるアンソニー・ロビンズから直接指導を受け、ビジネスの成果を上げる「実践心理学」と、東洋の「人間力を高める学問」を統合した独自のメソッドを開発。
リーダーシップと目標達成の講座を開始すると、全国の経営者・役職者からたちまち高い評価を得た。
また安岡正篤、中村天風、森信三の教えを学び、東洋思想の研究にも余念がなく、中でも最も感銘を受けた吉田松陰の志を継ぐことを自らの使命としている。
著作に『覚悟の磨き方』『図解モチベーション大百科』『動きたくて眠れなくなる。』(サンクチュアリ出版)『未来記憶』(サンマーク出版)などがある。

 

(画像提供:iStock.com/uchar)

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