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人付き合いのうまさや駆け引きでニートから鎌倉幕府初代将軍になった源頼朝

胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス教養
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鎌倉幕府初代将軍となる源頼朝。しかしその道のりは決して順風満帆なものではありませんでした。20年にも及ぶ隠居暮らしから、味方を増やして鎌倉入りを果たし、平氏を滅亡に追い込みます。

この記事では、頼朝が20年にも及ぶ隠居暮らしから、いかにして鎌倉幕府の初代将軍になったのかを、戦略がテーマのビジネス書「胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス書」よりご紹介します。ぜひ最後まで読んで、鎌倉幕府初代将軍になる道のりから人生をうまく生きるヒントを見つけてみてください。

鎌倉幕府初代将軍までの道のり

ここでは鎌倉幕府を創設するまでの頼朝の人生をみていきましょう。

伊豆に流刑された「若さま」

当代屈指の武士だった源義朝の息子として生まれた源頼朝。何不自由することなく、「若さま」として可愛がられていたことでしょう。

しかし、父が平氏ら敵対勢力に敗北、逃走中に殺害されてしまいます。頼朝も捕らえられ、死刑は免れたものの流刑(=島流し)になりました。頼朝は流刑先の伊豆で20年も過ごすことになります
当時は現代よりもはるかに寿命が短く、20年もの隠居暮らしとなればそのまま人生終了になるほど。武士としての将来はお先真っ暗です。

ただ伊豆では牢屋に閉じ込められていた訳ではなく、一定の自由はありました。頼朝は元お坊っちゃまだったため、お金持ちとのコネは健在で、周囲からの仕送りを受けてそれなりに裕福な暮らしをしていたようです。

頼朝は北条政子と結ばれて、義理の父となった地元の有力者である北条時政の後ろ盾も手にしていました
現代的に言えば、早々に本社での出世レースに敗れて地方の閑職に追いやられたが、そこでお金持ちのお嬢さんを捕まえたというような状況。

一方で平氏はこの20年の間に政治を掌握、全国の半数近い国を支配するなど圧倒的な存在となっていました。

初めての勝利、そして初めての敗北

力をつけた平氏の存在は、尊敬よりも恐怖の象徴でもあり、源氏・貴族・皇族たちも平氏の存在を恐れていました。
平氏の台頭により出世の道を閉ざされていた以仁王は、平氏打倒を考え、源氏を担ぎ上げます。各地の源氏あてに「平氏を討て!」と呼びかける手紙を送りました。

この手紙は伊豆にいる頼朝のもとにも届きます。頼朝は相当迷ったものの最終的には戦うことに決めたのです。

頼朝は源氏一族の代表として、北条氏を引き連れて伊豆国にある平氏の拠点を攻めました。北条時政・宗時・義時らが深夜に平氏方である山木兼隆の館を襲い、頼朝が不安を感じるほど苦戦したものの、明け方近くになって兼隆を討ち取ることに成功。

このデビュー戦で見事な勝利を手にした頼朝は、相模国(現在の神奈川県)へと兵を進めます。

ところが頼朝の反乱はすぐに平氏に伝わり、その芽をつぶそうと3千300の大軍を頼朝のもとへと向けます。頼朝軍は約300。
頼朝は三浦義澄らの加勢を見込んでいましたが、敵である大庭景親がこれを察知して頼朝軍を急襲。頼朝軍はなすすべなく敗れ、頼朝は命からがら安房国(現在の千葉県南部)まで逃げ延びて追手を振り切りました。

しかし危機的状況に変わりはありません。味方を増やす必要があります。はたして平氏に敗れた頼朝に味方してくれる勢力はあらわれるのでしょうか。

破竹の勢いで進撃を続ける頼朝

味方になってくれそうな勢力として頼朝が目をつけたのは、関東で強大な勢力を誇る千葉常胤と上総広常。彼らは源平のどちらに属すかを明確にしておらず、もともとは源氏の家臣でした。

さらに常胤は平氏寄りの勢力との間で対立広常も平氏と関係を深めていた兄と対立関係にあったので、頼朝には味方になってくれるという勝算があったのでしょう。

頼朝はまず、千葉常胤に使者を送ります。すると常胤は頼朝軍への参戦を確約しました。ただ上総広常の方は、なかなか参陣してくれません。頼朝は広常の返事を待たずして武蔵国(現在の東京都あたり)までやってきて広常を待ちます。その思いが通じたのか、広常はついにやってきました。

そして関東の武士や各地の源氏たちが次々に頼朝に呼応して挙兵。頼朝は破竹の勢いで進撃を続け、鎌倉入りを果たします。頼朝は鎌倉を拠点にして幕府を創設、平氏を滅亡へと追い込みました。

人に慕われる才能を持った頼朝

ここでは次々と味方を増やしていった頼朝の才能はどのようなものだったのかを紹介します。

関東屈指の大反乱軍に成長した頼朝軍

頼朝には人に慕われる才能があったようです。最初に参戦を確約してくれた千葉常胤は、参戦への返事を促す頼朝の使者に「頼朝が兵を挙げたことが嬉しくて涙で目が開かなかった」と答えていました。

頼朝は常胤のもとへ向かい、「あなたを父と思うことにします」と感謝を伝えます。常胤の現状を掴んで冷静に分析していたのでしょう。

もうひとりの上総広常はなかなか参陣してくれませんでした。遅れてやってきた広常に、頼朝は心から安堵し、飛び上がるほど喜んだはず。しかし頼朝はその気持ちをおさえ込み、「参陣が遅すぎる!」と威厳ある態度を見せます
広常は頼朝の器に感銘を受け、頼朝軍への加入を決意したといわれています。

人に慕われる才能が頼朝の真骨頂。たった数百人しかいなかった頼朝軍は、一気に大反乱軍へと成長していきました。

ニート生活から幕府を開いた頼朝の能力

人に慕われ、味方を増やしていった源頼朝。味方がいないなら、増やせばいいのです。このようにして頼朝は先祖ゆかりの地である鎌倉へ攻め上がり、鎌倉幕府初代将軍となりました。最終的に「壇ノ浦の戦い」で平氏を滅亡させます。

現代においても、人付き合いのうまさや駆け引きは重要な能力のひとつ。人と交流を深めることで、新たなチャンスがどんどん生まれていくでしょう。

まとめ

父が敗戦し伊豆に流刑された源頼朝。しかし仲間を増やし、ついには鎌倉幕府初代将軍となりました。人に慕われる才能こそが頼朝の真骨頂だったようです

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