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美しい表現の和歌や随筆を厳選して紹介!意味を現代風の意訳で解説

いとエモし。超訳 日本の美しい文学
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美しい月や情景を表現した和歌は、数多くあります。現代の私たちの感覚で訳してみると、記憶が呼び戻されるような言葉にできない気持ちになるでしょう。

この記事では、美しい和歌や言葉を「いまを生きる私たちの感覚」に合わせた「エモ訳」で味わえる『いとエモし。超訳日本の美しい文学』より厳選してご紹介します。ぜひ最後まで読んで、先人たちが紡いだ美しい和歌や言葉の数々を現代の感覚でじっくり楽しんでみてください。

美しい月を詠んだ和歌5選

ここでは、月を詠んだ和歌をご紹介します。

同じ月を見ている

こよひ君 いかなる里の 月を見て

都にたれを 思ひいづらむ

(拾遺集/馬内侍)

 

あなたは今夜、どこで

この月を見ているのでしょう。

そして、

誰のことを思っているのでしょう。

私にはわかりません。

わかりたくもありませんけれど。

 

平安時代の女流歌人である馬内侍。艶と不思議な迫力を感じる歌です。藤原道長・藤原道隆・藤原公任など、時代をときめく男性貴族たちと関係を持ったと言われています。

月にちなんだ恋の和歌

月はただ

むかふばかりの

ながめかな

心のうちの

あらぬ思ひに

(風雅集/祝子内親王)

 

月を見ている。

月を見ている。

月を見ている。

でも、本当は何もみえていない。

私がみているのは、心の中のあなた。

 

鎌倉時代の後期から南北朝時代に活躍した女流歌人の歌です。
心のときめきを前にしては、どんな美しい風景も意味がなくなってしまうのです。

大和物語にも引用された切ない和歌

わが心

なぐさめかねつ さらしなや

おばすて山に 照る月を見て

(古今集/詠み人知らず)

 

今夜は月がきれいだ。

ほんとうに美しい。

けれども、

この心は、無性にうずく。

この心は、癒やされない。

こんなにも美しいのに。

どうしてだろう。

どうして……どうして。

 

姥捨山は昔から月の名所でした。「大和物語」の中にある「姥捨山」というエピソードで引用された歌です。このエピソードは、男が妻に言われて育ての母を山中に置き去りにする話。この歌で男の気持ちを表現しています。

上杉謙信の辞世の句

極楽も 地獄も さきは

有明の月の心にかかる雲なし

(上杉謙信 辞世の句)

 

行き先は、地獄でも極楽でもかまわない。

私の心は、雲ひとつない真昼の月。

恐れも迷いもなく、

静かに、ただあるだけ。

 

武田信玄とのライバル関係で有名な上杉謙信。関東進出や信長との対決を目指す最中に49歳で亡くなります。和歌を愛する繊細な風流人という面も持っていました。

「源氏物語」の作者・紫式部の和歌

めぐり逢ひて

見しやそれとも

わかぬ間に雲がくれにし

夜半の月影

(新古今集・百人一首57番/紫式部)

 

せっかく再開できたのに、

もうお別れ。

それは、月が雲に

隠れてしまうときのように、

あまりにも一瞬の出来事。

時空を超えてしまったのかな。

楽しかったな……楽しかった。

 

「源氏物語」の作者である紫式部の歌。久々に仲良しの幼馴染に会えたのに、すぐに別れのときがやってきました。そのときに詠まれたものです。

美しい情景が浮かび上がる和歌5選

ここからは、美しい情景を詠んだ歌をみていきましょう。

恋煩いだった和泉式部の美しい情景を詠んだ和歌

もの思へば 沢の蛍も

わが身より あくがれ出づる

たまかとぞ見る

(後拾遺集/和泉式部)

 

ぼーっと蛍を見ていた。

その光は、まるで魂。

私の身体はここにあるけれど

魂だけが、そこにあるみたい。

身体と心が、別れている。

私はすっかりふぬけてしまっている。

 

和泉式部が京都の貴船神社で詠んだ歌。美しい情景ですが、危うさも感じる幻想的な印象。このとき和泉式部は恋煩いだったからかもしれません。

美しい世界を詠んだ和歌

羽音して

わたる烏の 一こゑに

軒端の空は 雲明けぬなり

(風雅集/花園院)

 

いま、カラスがバタバタと羽ばたいた。

「カァ」と一声。

鳴いたと思ったら

光が差し込み、闇夜が明けた。

美しい世界の、朝がきた。

目を覚ます、時がきた。

春の夜の夢

風かよふ 寝覚めの袖の 春の香に

かをる枕の 春の夜の夢

(新古今集/藤原俊成女)

 

窓から入ってきた、少し肌寒い風。

私の袖からは、花のいい香りがする。

私の枕からは、さっきまで見ていた

夢の残り香がまがただよっている。

あれは、夢。はかない夢だったのだ。

 

天才女流歌人として名高い藤原俊成女の代表作とも言える歌です。
ただよう色気・気品・文学的な香り。美しくもはかない、まさに「春の夜の夢」といえます。

飾らない自然の美しさ

見渡せば

花も紅葉も

なかりけり

浦の苫屋の

秋の夕暮れ

(新古今集/藤原定家)

 

せっかく海に来たから

何かうたおうと思ったが、

あいにくここは何もなかった。

心が踊るような

美し花も、紅葉もない。

だだっ広い海原に、あるのは、

ボロ小屋一つ。

でもさ。これはこれで、

いいのかもしれないね。

 

鎌倉時代前期に活躍した藤原定家。この歌は、西行法師に頼まれて詠んだものです。飾りけのない自然の風景に美を見出しています。

さまざまな花の色

色見えで うつろふものは

世の中の 人の心の

花にぞありける

(古今集/小野小町)

 

花はいいよね。

だって咲いてるか

枯れてるかなんて、

ひと目見ればすぐにわかるから。

でも、やっかいなのが見えない花。

心の花。

だって人の「好き」は

いつ枯れるかわからないでしょ。

それが私は、とってもイヤなの。

 

平安時代を代表する女流歌人である小野小町の歌です。古語の「色」にはさまざまな意味があります。身分・表情・本音・恋心・気配・欲・恋人・愛人。色はさまざまだからこそ、意味もさまざまなのかもしれません。

美しい文学である「枕草子」を意訳して解説

ここからは、清少納言の書いた「枕草子」が表現する四季の美しさを、エモい超訳でご紹介します。

きらめきが凝縮されている「枕草子」

清少納言は藤原定子に仕えていました。定子は一条天皇の妻です。そして、定子の父は藤原道隆。藤原道長の兄であり、道隆と道長は兄弟で権力争いをしていました。

定子と一条天皇は典型的な政略結婚でしたが、政略とは関係なく本気で愛し合っていたのです。これは当時としては異例なこと。

しかし、定子の父・道隆が病死し、跡を継ぐはずだった定子の兄・伊周も失脚してしまいます。後ろ盾をなくした定子は出家せざるを得ない状況。

ところが一条天皇は、超イレギュラー対応をして定子を無理やり呼び戻します。殺伐とした宮中で、定子と一条天皇をつないでいたのは、もはや愛だけ

主人である定子が窮地に陥ったころ、清少納言は「枕草子」を書きはじめます。

枕草子のすごいところは、終始しゃれていて、とにかく明るいこと。エピソードにはたびたび定子も登場し、「ほんと定子さまってかわいいの!」を連発します。

先行きが暗い状況など見せることなく、宮中での出来事や小粋なやりとりがつづられているのです。定子や清少納言のきらめきが、ここぞとばかりに凝縮されている作品だといえるでしょう。

春はあけぼの

春のエモといえば、夜明けね。

まだまだ薄暗いところから、

だんだんと、東から日がのぼってくる。

ここよ!

このとき、山の、際があるじゃない。

山と空の境目っていうのかしら。

その山際に、細長い雲が

スーーーッとかかってるのを想像してみて。

それを、春のお日さまが静かに照らすの。

どうなると思う?

雲が、紫がかるの。グラデーションでね。

夕焼けとはまた違う、絶妙な紫色。

名前をつけるなら、「夜明け色」よ。

1日のうちに一瞬だけある、

夜と朝の狭間。

神秘的で、ドキドキしちゃう。

そして、あたらしい春の日がはじまるのよ。

エモ!エモ!エモいわ。

(枕草子・1段より/清少納言)

春といえば、花や鳥をうたうものです。しかし「春はあけぼの」と言った清少納言。「あけぼの」とは「夜明け」のことです。ものごとが大きく変わり、あらたに始まる春の夜明け。

「枕草子」はこの言葉とともに始まりました。

夏は夜

夏は、もう絶対、夜よね。

満月に近い夜ほどいいわ。

夏の夜空を照らすお月さま。

それだけでグッとこない?

でもね、月が出てない日も意外といいのよ。

真っ暗な中でホタルが

わーっと飛び回ってるのなんて、最っ高。

もちろんたくさんじゃなくて、

1匹か2匹だけ、ほのか〜に光っているのも、

幻想的でエモいのよね。

何なら、雨が降っててもいいの。

闇の中から聞こえてくる、サーッていう、雨音。

その音と、湿った空気が、においが、

日本の夏、ジ・オトナの夏!って

気持ちにさせてくれるわ。

(枕草子・1段より/清少納言)

電気のない平安時代。夜の暗さは今とは比べ物にならないほどだったはず。月や蛍の光はさぞや幻想的だったことでしょう。雨が降ると真っ暗になってしまいますが、清少納言は音やにおいも楽しんでいます。

秋は夕暮れ

秋はダントツで、夕暮れが私のオシ。

たとえば日が落ちた頃、

カラスが2〜3羽でおうちに帰っていく姿とか、

実際に見ると大きい鳥なのに、

遠くの方で飛んでるとすごく小さく見えるのとか。

そーいうのが、

なんか、グッときちゃうんだよね。

でも一番は、完全に日が沈んだときに

聞こえてくる風の音とか、虫の声。

そっと目を閉じて、耳をすますの。

暗闇から聴こえてくる、音。

静寂な、秋の息づかい。

これはマジで至高。

(枕草子・1段より/清少納言)

おうちに帰るカラスたちを眺めながら、人間も夜の準備をはじめていたのでしょう。秋になると風の音や虫の声が。ほとんど風のない夏にはなかった音です。

冬はつとめて

冬のオシは、朝かな。それも、朝一番。

雪の降るくらい寒い朝なんか最高なわけ。

早朝、霜が降りて地面が真っ白!

みたいな、それくらい寒い日に、

「ヤバッ寒!」

って、思わず声がでちゃったりして。

急いで炭に火を起こす感じ。

そういうときに私は

あー冬だなぁーって感じる。

でもね、昼くらいには

炭も真っ白な灰になっちゃって。

部屋も、もう日がのぼってけっこう暖かいのよ。

そうなると、もう、ぜんぜんエモくないのよね。

つまり冬の朝こそ、至高。ってこと。

(枕草子・1段より/清少納言)

「つとめて」とは「早朝」のこと。寒くて仕方のないときの、慌ただしい様子が冬らしくてエモいのです。最後の冬でエモくない様子も添えるのが清少納言らしさかもしれません。

まとめ

ただ現代語訳するのではなく、現代の感覚に寄せた言葉で表現することで、繊細な気持ちや映像が浮かび上がってきたのではないでしょうか。

切なくも美しい和歌や言葉を「いまを生きる私たちの感覚」に合わせた「エモ訳」にし、美しいイラストで視覚化した『いとエモし。超訳日本の美しい文学』では、先人たちが作品に込めた「エモパワー」を強烈に感じられます。

切なくなったり、勇気がわいてきたり、なんともいえない胸いっぱいな気持ちになったりできる本です。ぜひ本書を手にとってみてください。


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いとエモし。 超訳 日本の美しい文学

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定価:1,480円(税込1,628円)

 

枕草子、万葉集、古今和歌集、徒然草……などに綴られた古の言葉たちを、「いまを生きる私たちの感覚」に合わせて“エモ訳“した上で、超美麗なイラストによって視覚化した新感覚エッセイ。