和歌は、その歌や言葉の背景も含めて現代の感覚でとらえてみると、面白さが伝わってきます。
この記事では、面白い和歌や言葉を「いまを生きる私たちの感覚」に合わせた「エモ訳」で味わえる『いとエモし。超訳日本の美しい文学』より厳選してご紹介します。ぜひ最後まで読んで、楽しくて面白い和歌や言葉の数々をわかりやすい超訳でじっくり楽しんでみてください。
目次
くすっと笑える和歌4選
ここでは、思わず笑ってしまうような和歌をご紹介します。
炎上中!
つきもせず
うき言の葉の おほかるを
はやく嵐の 風も吹かなむ
(後撰集/読み人知らず)
うわ〜〜〜〜。やば。まじ?
まだ炎上してるの!?
うわうわ、そんなことまで言われてるの?
いやいや、それはちょっと言いすぎじゃない?
なんなの!? もう! まじで!
誰かこの火、消してくださーい。
うわさ話で悩んでいた人の歌です。昔から、人はゴシップ好きだったようです。炎上してしまった!という焦りと、意気消沈ぶりにかわいさを感じます。作者を「読み人知らず」としたのは、選者の配慮だったのかもしれませんね。
おしゃれ教養アピール
夜をこめて
鳥の空音に はかるとも
よに逢坂の関はゆるさじ
(後拾遺集・百人一首62番/清少納言)
心ときめく素敵な口上を
ありがとうございます。
しかし残念です。
どれだけきれいな言葉で
お願いされても、
とりくつろわれても、
逢坂の関は、開きません。
そう。答えは「絶対NO」よ!
おあいにくさま!
和歌集には、その歌が詠まれた背景がよく書かれています。この歌は、清少納言と後輩の藤原Yくんとのやりとりで詠まれました。
ある夜、藤原Yくんが訪ねてきましたが、何だか適当な理由をつけてそそくさと帰ってしまいます。「え? どゆこと?」と思っていると、翌朝このような手紙が届きます。
「昨夜はすみませんでした。鶏の鳴き声に急かされてしまって」
出たわよ! Yくんのおしゃれ教養アピール!
いい度胸じゃない、と思った清少納言は、次のように返事をします。
「鶏は鶏でも、あなたの鶏は、函谷関の鶏の鳴き声でしょ?」
「函谷関の鶏」というのは、中国の故事にかけています。孟嘗君という人が敵に捕まったとき、朝になって鶏が鳴かないと開かない関所の門を、部下に鳴き声を真似させて開けた、という話があるのです。
するとYくんは、このように返事をしてきました。
「関所は関所でも、私の関は、あなたに逢いたい逢坂の関です」
まー、いやらしいわね!
でも、それで女性を口説こうって言うなら100年早いわ。
そうして返したのが、この歌です。
藤原Yくんとは、のちの大納言・藤原行成。ふたりはかねてから仲が良く、このようなやりとりをして遊んでいたようです。
「逢坂の関」とは、東海道から京都に入る時の交通の要所だった関所のことです。
遊び心満載の歌
来むと言ふも 来ぬ時あるを
来じと言ふを 来むとは待たじ
来じと言ふものを
(万葉集/大伴坂上郎女)
もう〜イヤになっちゃう。
だって、ただでさえあなたは
「行くよ」って言っても
来ないときがあるのに、
「行けない」って言われたら、
それは絶対来ないってことじゃん。
いや、わかるよ。わかるんだけど!
来てよ!
そこはさ、察して、無理して、来てよ!
もうっ! もうっ! ニャン!
大伴坂上郎女は、万葉集を代表する奈良時代の女流歌人です。女性としては収録数がもっとも多く、このような遊び心満載の歌もあります。大伴旅人の異母兄弟です。
は・ず・い
忍ぶれど 色に出にけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで
(拾遺集・百人一首40番/平兼盛)
私はいま、めちゃくちゃ恥ずかしい。
「え、セインパイ恋煩いですか?」
と、人に聞かれてしまうほど顔に出ていたらしい。
不覚である。不覚である。
何より、図星であるからして、マジで恥ずかしいのだ。
平安中期の貴族である平兼盛。なんだかぼーっとして調子が出ない、そんな心情をうたっています。当時は珍しい倒置法を使った画期的な表現でした。
しゃれも絡めた和歌3選
ここでは、その歌を詠んだ背景も楽しめる和歌をご紹介します。
大御所に切り返した歌
春の夜の
夢ばかりなる
手枕に
かひなく立たむ
名こそ惜しけれ
(千載集・百人一首67番/周防内侍)
遠慮しておきます。
私があなたに腕枕されたって。
ステキなうわさ話には
なりそうだけど、
ちょっと、ときめかないかも。
私、純愛派ですから。
周防内侍は平安後期の女流歌人。貴族や女房たちが夜遅くまで話していたとき、周防内侍が「ねむいわぁ」とこぼします。するとその場にいた大御所・藤原忠家が「この枕で一緒に寝よう」と誘いました。それに切り返したのがこの歌です。教養人たちの美しいしゃれですね。
ばれた?行方不明のお坊さん
岩のうへに 旅寝をすれば いとさむし
苔の衣を われにかさなむ
(後撰集/小野小町)
私しばらく旅寝だから
寝具が心もとなくて寒いんです。
ねぇそこのお坊さん。
あなたの服を貸してくださいな。
世をそむく 苔の衣はただ一重
かさねばうとし いざふたり寝む
(後撰集/僧正遍昭)
あいにくだが、世捨て人の私の服はこれ一着。
かと言って、貸さないのもあまりに非道。
今夜は一緒に
肌を寄せ合って寝ませんか?
うっへっへっ
和歌の達人である小野小町が、偶然、出家して行方が分からなくなっていた僧正遍昭がいるといううわさを聞きます。そこで、本当に僧正遍昭かどうかを試すためにうたい、それに僧正遍昭が返した、という歌です。
冗談だけど本音がちらつく和歌
あかねさす 紫野行き 標野行き
野守は見ずや 君が袖振る
(万葉集/額田王)
私たちはもう別れたの。
私には、もう新しい人もいる。
それなのにあなたは、
人の目を盗んで何度も手をふってくる。
まわりの人にバレたらどうするつもり?
ちょっと、嬉しいけどね。ふふ。
紫草の にほへる妹を 憎くあらば
人妻故に 我れ恋ひめやも
(万葉集/大海人皇子)
元妻よ。
君はもう人妻になってしまったが、
いまここで、あえて言おう。
「それでもお前が好きだ!」
……いや、
人妻になったからこそ、
余計に恋しいのかもしれないが(笑)。
額田王と元夫の大海人王子が狩にでかけたときに詠まれた歌です。
酒席で冗談でつくった歌のようです。宴会は大盛りあがりだったことでしょう。
しかし、大海人皇子にとって「余興でつくった」というのは、ちょうどいい口実だったのかもしれません。絶対本音だと思われます。
ちなみに額田王の新しい恋人は、大海人皇子の兄である天智天皇です。
えらいエロ坊主のありがたい物語
「今昔物語」には、様々な物語が記されています。
今回はその中から、比叡山の僧侶の話を面白い超訳でご紹介します。
えらい坊主の若いころの話
わし、坊主。とんでもなく格式の高い寺の、えらい坊主じゃ。かしこまれい。
この物語は、彼の若い頃の話です。見栄えはよいけれど、修行も勉強もせず、女性のことばかり考えている坊主でした。しかし、法輪寺への参拝だけは欠かさず行っていました。
ある日、そこで知り合いと話し込んでしまい、あたりは真っ暗に。宿を探していると、立派な屋敷があったので、泊めてもらうことにしました。食事までご馳走になります。あいさつした主人は、20歳頃のとても美しい女性でした。
たぎった坊主と、震えるほど美しい女主人、そうなったらお前さん、やることは一つだわな。
わし、夜這いしようと思ったんじゃ。
いやな、理由はある。夜なんとなく眠れずに屋敷を歩いておったら、戸の隙間から女主人がゴロンと寝転んで、本を読んでおったのが見えた。その姿が、いや〜、たまらなかったんだわ。
わかるじゃろ? わからん? 想像力が足りんのじゃない?
深夜、坊主は女主人の部屋に向かい、戸に手をかけます。
少しずつ、ス、ス、ス、と。
女主人は気づきません。坊主は女主人の布団に向かって慎重に近づきます。
そして、きた。ついに! 入ったんじゃ! 彼女の布団の中に! 忍びの技術としてお前たちにも伝えたいくらいじゃ。
布団に入ったらなぁ、するのよ、得も言われぬいい芳香が。わしゃもう仏に祈ったわ、ありがたや〜ありがたや〜。
死にものぐるいで法華経をおぼえる
しかし女主人は気がついてしまいます。「あなたが立派な方だと思ったから、食事も出して宿もお貸ししたのに」と言いますが、坊主もあきらめず、静かな攻防を繰り広げていると、女主人は続けてこう言いました。
「あなたの言うとおりにならないわけではないのです。私は、去年の春に夫を亡くしました。それから言い寄ってくる方は何人もいた。けれど、そのへんのどうでもいい方と一緒になる気はないのです。だから、こうして1人で暮らしていたのです。その点、あなたのようなお坊さんを拒むような理由は、ありません」
坊主は興奮します。
いける! いけるの!?
ここで女主人は一つの条件を出します。法華経をとなえること。その唱え方次第では、坊主を受け入れると言うのです。
ふはは!わしは内心爆笑した。
だってそのとき、法華経をまーーーったく覚えておらんかったから!
女主人は、いますぐ寺に戻って修行をするように言います。夜があけると、坊主は一目散で寺に帰り、20日ほどかけて、死にものぐるいで法華経を覚えました。
女主人の元へ飛んでいくと、さらなる修行を勧められました。正式に付き合いたいから、学僧になられたらどうかと言います。学僧になるには3年ほどかかりますが、その間は文通をかかさないし、経済的な援助もすると。全く悪い話ではありません。坊主は覚悟を決めて、修行のために比叡山へ向かいます。
3年後の奇跡
3年後、その坊主は一門の中でも随一と呼ばれるほどの博識になり、学僧として身を成したのです。
坊主は正式に、表門から女主人を訪ねます。几帳越しに女主人に接見すると、次々に難しい質問をされます。この女主人は何者なのかと驚きながらも、立派な学僧になった彼は問答を見事にこなしました。
その夜、ついに待ちに待った瞬間がやってきますが、直前で坊主はいつの間にか寝てしまいます。突然、意識が途切れたのです。
目が覚めると、そこは何もない原っぱでした。
いったいあれはなんだったのか。
坊主には確信できることがありました。
「法輪寺じゃ!」
彼が唯一参拝を欠かさなかった法輪寺に、急いで向かいます。法輪寺のお堂で祈りはじめると、また突然気を失い、夢を見ました。顔の青白い小僧がでてきて、こう言います。
「すべて、わたしがやったことだ。どうにもお前には素質があるのに、まじめに学問をせぬ。そこで、色狂いのお前のこと。色でもってやる気を出させればと思案し、行ったことだ。」
すべては法輪寺の虚空蔵さまの起こした奇跡だったのです。
それからのことは、ほれ、見てのとおり。わしは自らの行いを深〜く反省し、修行に励み、立派な層となり、お前たちにこうして話をしているわけだ。ありがた〜い、話じゃろ?
まとめ
和歌はパッと見ただけでは意味が伝わりづらいですが、わかりやすい訳にすることで、その面白さが際立ちます。現代でも通じる面白さがあるのではないでしょうか。
和歌や言葉を「いまを生きる私たちの感覚」に合わせた「エモ訳」にし、美しいイラストで視覚化した『いとエモし。超訳日本の美しい文学』では、先人たちが作品に込めた「エモパワー」を強烈に感じられます。
切なくなったり、勇気がわいてきたり、楽しくて元気になったり、なんともいえない胸いっぱいな気持ちになったり……。ぜひ本書を手にとって、心のままにパラパラとめくり、彼らの想いに触れてみてください。
いとエモし。 超訳 日本の美しい文学
k o t o
定価:1,480円(税込1,628円)