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一度は聞いたことがある有名な和歌15選!意味を現代の感覚に合わせて解説

いとエモし。超訳 日本の美しい文学
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歴史的に有名な人物は、数々の歌を残しています。この記事では、聞いたことがあるような有名な和歌、有名な人物の和歌を、「いまを生きる私たちの感覚」に合わせた「エモ訳」で味わえる『いとエモし。超訳 日本の美しい文学』よりご紹介します。

どこかで聞いたことがある有名な和歌5選

多くの人が一度は聞いたことがあるような和歌を紹介していきます。

君が代は永遠への祈り

君が代は 千代に八千代に

さざれ石の 巌となりて

苔のむすまで

(古今集/読み人知らず)

 

この土地の守り神さまへ。

私たちの小さな命が、この魂が

どうかどうか、この先、この地で、

何百、何千、何万年と、

ともにあれますように。

いまはこの小さな石が、大岩となって

苔をまとうようになるその時まで。

それは、小さな私たちの祈り。

 

言わずと知れた、「君が代」のもととなった歌です。「さざれ石」は「小石」のことで、「巌」とは「大きな岩」のこと。永遠にも近い長い時間をともにありたいと、祈りをこめているのかもしれません。

ちはやぶる神

ちはやぶる

神代もきかず 龍田川

からくれなゐに 水くくるとは

(古今集・百人一首17番/在原業平)

 

紅葉に染まり、

流れる水が、紅色に見える。

いまだかつて、

神々も経験したことがない景色。

真っ赤な水が、流れているのだ。

そんな時代を、生きたのだ。

 

百人一首のなかでも代表的な和歌です。「ちはやぶる」は、「荒々しい」と言う意味。転じて、「神」にかかる言葉として使われていました。「水くくる」は、水面を布に見立てており、「水を染める」という意味になります。

紀貫之を超える歌人

ひさかたの

光のどけき 春の日に

静心なく 花の散るらむ

(古今集・百人一首33番/紀友則)

 

これ以上ない

穏やかな春の日差しの中でも

花は気忙しく、

激しく散っていく。

散りゆくものは、

どうしたって止められないんだね。

こんなにのどかな光があるのに。

 

のどかな春の日の光と、花が散っていく様子を対比しています。

紀友則は、古今和歌集の選者・紀貫之の従兄弟。紀貫之以上の歌人と言われていたが、古今和歌集の制作中に亡くなりました。これにより、紀貫之がメインの選者となったのです。

神業としか思えない「いろは歌」

色は匂へど 散りぬるを

我が世誰ぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず

(いろは歌)

 

花の香りが

たちまち消えるように、

人は死ぬ。

そのうち、あっけなく。

いっときの焦燥にかられて

勝敗を競う。命をつかう。

そういう世界は、

もう充分楽しんだ。

もう次に行くよ。

その先で待ってるよ。

 

平安時代の末期に流行したといわれる歌で、作者は不明。五十音をかぶることなく並べ、深い意味を持たせています。神業といえるでしょう。

悲劇の物語の幕開け

祇園精舎の鐘の声、

諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、

盛者必衰の理をあらはす。

おごれる者久しからず。

ただ春の夜の夢のごとし。

たけき人もつひにはほろびぬ、

偏に風の前の塵に同じ。

(平家物語)

 

春にはあたらしい命が芽吹くように、

私たちはたまに、

何かの夢にとりつかれる。

何も見えなくなってしまうほどに。

でも、どんな花も、いつかは枯れる。

肉体も、夢も、消えるときがくる。

宇宙からすれば、人生は「一瞬の風」。

ヒトの考えた成功や失敗に

意味なんてないんだよ。

だからこそさ、自由なんだ。

どう生きるのかは、

自分で選ぶんだ。

 

有名な悲劇の物語である「平家物語」の冒頭部分です。当時はどうにもならなかった彼らの分も「自由に生きなさい」と言われているような気がしてきます。

「祇園精舎」は古代インドで釈迦のためにつくられたお寺のこと。「沙羅双樹」は、釈迦が悟りを開いて亡くなったときにそばにあった樹です。淡い黄色の小さな花を咲かせます。

歴史的にも有名な人物の和歌10選

歴史的に有名な人物が残した和歌をみていきましょう。

「源氏物語」の作者・紫式部

めぐり逢ひて

見しやそれとも

わかぬ間に雲がくれにし

夜半の月影

(新古今和歌集・百人一首57番/紫式部)

 

せっかく再開できたのに、

もうお別れ。

それは、月が雲に

隠れてしまうときのように、

あまりにも一瞬の出来事。

時空を超えてしまったのかな。

楽しかったな……楽しかった。

 

「源氏物語」の作者である紫式部の歌です。仲良しの幼馴染久々に会えたのに、すぐに別れのときがやってきました。そのときに作られた和歌です。

「枕草子」の清少納言と、その主人である藤原定子のやりとり

いかにして 過ぎにしかたを 過ぐしけむ

暮らしわづらふ 昨日今日かな

(枕草子/藤原定子)

 

ねーねー、いつ帰ってくる?

あなたがいないとぜんぜん楽しくないのよ。

寂しいわっ ラブ

 

雲のうへも 暮らしかねける春の日を

ところがらとも ながめつるかな

(枕草子/清少納言)

 

私のほうは1日が長くて長くて……。

(宮中にいるときでさえ長く感じるのに)

「それはこんな寂れた実家にいるからだわ!」

とショボンです。

 

清少納言は藤原定子に仕えていました。数日間、用事で実家に帰っていたとき、定子が寂しがってこんな歌を送ってくれた、という「枕草子」のエピソードにある歌です。このとき定子は政治的に追い詰められ、窮地に陥っている状況。

そんななか、枕草子の中で、清少納言は主人である定子のことを「定子さまってほんとかわいいの!」を連発しています。このエピソードも「かわいいでしょ?」という一幕です。

「義経記」静御前のエピソードから

しづやしづ しづのおだまき 繰り返し

昔をいまに なすよしもがな

 

吉野山 峰の白雪 ふみわけて

入りにしひとの あとぞ恋しき

 

静よ、静よ、静よと。

あなたが名前を呼んでくれた日々を、

私はずっと、

胸の中で繰り返している。

あの日、

あなたのあとを追えたなら。

時間を巻き戻せたら。

ムダだと、無理だったと

わかっているに、そう考えることをやめられない。

もう一度、あなたに会いたいの。

ただ。それだけ。

 

源義経の愛人だった静御前が、源頼朝の前で詠んだ2首の歌です。頼朝は大激怒しますが、頼朝の妻・政子は感動したといいます。

静御前はこのとき義経の子を身ごもっていましたが、結局頼朝に殺され、静御前も19歳で亡くなりました。

天才歌人と呼ばれる鎌倉幕府将軍・源実朝

世の中は

常にもがもな

渚漕ぐ

海人の小舟の

綱手かなしも

(新勅撰集・百人一首93番/源実朝)

 

漁師たちが仕事終わりに

陸に上がる。

そんなふつうの光景に

無性に心が動く。

ああ、変わらないでほしい。

変わらずにあってほしい。

世界よ、

どうか変わらずに。

どうか、どうか。

 

鎌倉幕府3代将軍・源実朝の歌。12歳で将軍となり、28歳で暗殺されました。天才歌人として有名な人物です。

ロックな破壊層の愛の歌

木稠ぎ葉落ちて、更に春を回す

緑を長じ花を生じて、旧約新たなり

森也が深恩、若し忘却せば、

無量億劫、畜生の身

(狂雲集/一休宗純)

 

葉が枯れ落ちれども、

また緑は芽吹き、花は実る。それがめぐり。

俺たちは死んだらそのたび、

あたらしい誓いを立てることになるんだ。

俺はこんな約束をしよう。

彼女から受けた、

この海のようにでかい愛をもし忘れたならば、

その瞬間、永遠に畜生として身を堕とすと。

 

ロックな破壊僧として知られる一休宗純。アニメにもなった、頓知小僧の一休さんです。彼が残した漢詩集「狂雲集」の最後の詩。

晩年、一休は森女という盲目の女性を愛しました。親子ほど歳が離れていたようですが、森女への愛情があふれんばかりにつづられています。

「人は生きながらにして生まれ変わることもできる」と読めるかもしれません。

上杉謙信の辞世の句

極楽も 地獄も さきは

有明の月の心にかかる雲なし

(上杉謙信 辞世の句)

 

行き先は、

地獄でも極楽でもかまわない。

私の心は、雲ひとつない真昼の月。

恐れも迷いもなく、

静かに、ただあるだけ。

 

越後の戦国武将である上杉謙信の辞世の句です。勇猛・酒豪・仏道に没頭・生涯独身・和歌を愛する風流人。さまざまな面を持った人物でした。関東進出や信長との対決を目指す最中に49歳で亡くなっています。

徳川家康が願ったことは

「厭離穢土 欣求浄土」

治まれる やまとの国に咲き匂ふ

いく万代の 花の春かぜ

(富士之煙/徳川家康)

 

「こんな汚れた世界には、

もう居たくない。

だったら、

美しくつくり変えればいい」

そうして始まった

長い長い戦いが終わった

これから何万年と

この美しい世界が続くことを願う。

 

江戸幕府を開いた徳川家康。かつて信長に敗れて失意にあったとき、登誉上人というお坊さんにかけられたのが「厭離穢土 欣求浄土」という言葉でした。この世を極楽にすればいいという意味です。

小林一茶の代表作から

めでたさも

中くらいなり

おらが春

(おらが春/小林一茶)

 

大きくなくていい。

小さいのもいけねぇ。

行ったり来たりしてよ、

最後は中くらい。

中の中に落ち着くんだ。

ほどほどの豊かさと、安らぎ。

それが、中庸。それが、おらが春だ。

 

俳人・小林一茶の代表作「おらが春」の第一句目の歌。旅をしていた一茶が故郷の信濃にUターンしたときに詠んだそうです。「おら」は信濃地方の方言。

松尾芭蕉に影響されて俳人となった一茶は、生涯で2万ほどの句を残しました。

松尾芭蕉の辞世の句

旅に病で

夢は枯野を

かけ廻る

(笈日記/松尾芭蕉)

 

ずーっと

旅ばっかしてきてよ。

俺はたぶん死ぬけど

夢の中でも

旅を続けると思うんだ。

楽しみだな。

 

江戸時代前期の俳人・松尾芭蕉。旅の途中で病気をわずらっているときに詠んだ句です。この4日後に亡くなったといわれています。

全国を旅しながら、1000以上の作品を残しました。

葛飾北斎の辞世の句

人魂で行く

気散じゃ

夏野原

(葛飾北斎 辞世の句)

 

おれぁ魂になって、でかけるぞ。

駆け回るんだ、夏の原っぱを。

のびのび、気のまま、思う存分さ。

お〜い!いま行くぞ。

 

葛飾北斎は江戸時代中期の浮世絵師です。膨大な作品を描き、「もっと生きられれば、もっとうまく描ける」と語っていました。そんな彼が最後に残した言葉です。

まとめ

ただ現代語訳するのではなく、現代の感覚に寄せた言葉で表現することで、繊細な気持ちや映像が浮かび上がってきたのではないでしょうか。

切なくも美しい和歌や言葉を「いまを生きる私たちの感覚」に合わせた「エモ訳」にし、美しいイラストで視覚化した『いとエモし。超訳日本の美しい文学』では、先人たちが作品に込めた「エモパワー」を強烈に感じられます。

切なくなったり、勇気がわいてきたり、なんともいえない胸いっぱいな気持ちになったりできる本です。ぜひ本書を手にとって、心のままにパラパラとめくり彼らの想いに触れてみてください。


いとエモし。 超訳 日本の美しい文学 k o t o

いとエモし。 超訳 日本の美しい文学

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定価:1,480円(税込1,628円)

 

枕草子、万葉集、古今和歌集、徒然草……などに綴られた古の言葉たちを、「いまを生きる私たちの感覚」に合わせて“エモ訳“した上で、超美麗なイラストによって視覚化した新感覚エッセイ。