いつの時代も、悩みの種は恋愛に関係することが大半なのではないでしょうか。両思いでも片思いでも恋は切ないもの。はるか昔から、恋愛の切なさが詰まった和歌は多く詠まれています。
それを現代の感覚に合わせて表現すると、記憶が呼び戻されるような言葉にできない気持ちになるのです。
この記事では、切ない恋愛の和歌を、「いまを生きる私たちの感覚」に合わせた「エモ訳」で味わえる『いとエモし。超訳 日本の美しい文学』よりご紹介します。当時の女性たちの切なさや胸いっぱいの気持ちを感じることで、いまを生きるあなたの心も「エモパワー」で癒してくれるでしょう。ぜひ最後まで読んで、あなたの恋の悩みにも向き合ってみてください。
目次
あなたに会いたい!想いが募る恋愛の和歌4選
会いたい気持ちが込められた恋愛の和歌を紹介していきます。
夢の中でも会いたい気持ち
おもひつつ
寝ればや人の 見えつらむ
夢と知りせば 覚めざらましを
(古今集/小野小町)
あーあ。会えてめちゃくちゃうれしかったのに。
夢だってわかってたら、ずっと寝てたよ。
歌の名人である「六歌仙」の1人である小野小町の歌です。平安時代を代表する女流歌人で、絶世の美女として知られています。
好きな人を想い続けていたら、その人が夢に現れることがあります。
夢の中でも会いたいという気持ちと、夢だったと気づいたがっかり感を表現している和歌です。
恋と夢と現実の間で
夢の如 おぼめ枯れゆく 世の中に
いつとはんとか おとづれもせぬ
(後拾遺集/斎宮女御)
世の中とは、まるで夢。
確かなものなんて何もない。
それでも、
私はあなたを待ってしまう。
「次はいつ会える?」
そしてまた、恋い焦がれる。
世の中とは、夢そのもの。
斎宮女御は、平安時代の中期に村上天皇に嫁いでいます。三十六歌仙の1人で、村上天皇との歌のやりとりも有名です。
恋する気持ちで月を眺める
月はただ
むかふばかりの
ながめかな
心のうちの
あらぬ思ひに
(風雅集/祝子内親王)
月を見ている。
月を見ている。
月を見ている。
でも、本当は何も見えていない。
私が見ているのは、心の中のあなた。
祝子内親王は鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した女流歌人。どんなに美しい月も、心のときめきを前にしたら意味がなくなってしまうのです。
万葉集の切ない恋の歌
白栲の 袖の別れを
難みして荒津の浜に
宿するかも
どうしても離れがたくて、
出発を明日に延ばしたよ。
あともう一晩だけ、
旅立つ前に、君と会いたくて。
草枕 旅ゆく君を 荒津まで
送りぞ来ぬる 飽き足らねこそ
私もです。
会いたくて、
ひと目見たくて、
見送りに来てしまいました。
つらくなるだけだと、わかっているのに。
(万葉集)
太宰府の官僚たちが、都や海外へ出発する港での歌。出発しなくてはいけない官僚と、彼を慕う女性がやりとりしました。「袖の別れ」とは、男女が互いに重ね合った袖を解き離して別れることをいいます。
このふたりは、とうとう荒津まできてしまい、最後の一夜をともにしたのでしょうか。
切ない恋愛の和歌8選
両思い・片思い・人知れぬ恋・別れ……。切なくなるような和歌をご紹介します。
藤原定子の辞世の歌
夜もすがら 契りしことを 忘れずは
恋ひむ 涙の色ぞゆかしき
(後拾遺集/藤原定子)
もしも私が死んだら。
あなたは
覚えていてくれるかな?
共に過ごした時間を。
私のことを。
もしもそうなったら、あなたがどーんな泣き顔をするのか、
ちょっと楽しみだな。
私は、忘れないからね。
ありがとう。
第三子を出産後、24歳で亡くなった藤原定子。死を予感し、愛する一条天皇に向けてこの歌を遺しました。定子の死後、御帳の紐に結び付けられていたこの歌が発見されたといいます。一条天皇は定子を最期まで引きずり続けたようです。
はかない運命
君がため
惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひぬるかな
(後拾遺集・百人一首50番/藤原義孝)
命とは儚いもの。
ゆえに、私はいつ死んでもいい。
そう本気で思っていた。
しかし、
今は君と1秒でも長く
ともに生きたいと、
そう願ってしまっているんだ。
イケメンで人柄もよかったという藤原義孝が、恋しい女性のもとで一夜を過ごし、帰宅後に詠んだ歌。
恋の願いが叶ったとき、心境が変わり、生きる喜びに気がつきました。しかし、藤原義隆はこのあと、21歳の若さで病死してしまうのです。きっと生きたかったことでしょう。
大人の階段をのぼる
今朝よなほ
あやしくかはる ながめかな
いかなる夢の いかがみえつる
(風雅集/進子内親王)
今朝起きると
見えるものすべてが変わってしまった
どうなってしまったんだろう
昨日までのわたしはもういない
「初めて恋人と結ばれたときの、翌朝の気持ち」というお題で詠まれた歌。恋する乙女が大人になっていく瞬間です。
人知れぬ恋の和歌
玉の緒よ
絶えなば絶えね
ながらへば
忍ぶることの
よわりもぞする
(新古今集・百人一首89番/式子内親王)
私よ、ムダに生きるな。
私は、この想いを墓場までもってゆく。
この恋心は、私の中にだけあればいい。
気持ちが弱るくらいなら、
命よ、いまここで果ててしまえ。
生涯独身をつらぬいたという式子内親王。「しのぶ恋(人知れぬ恋)」といえば式子内親王というほどです。藤原定家と恋仲だったという話もあります。
雨を願う歌
鳴神の 少しとよみて さし曇り
雨もふらぬか 君をとどめむ
(万葉集・柿本人麻呂)
雨が降ってほしい。
雷が鳴ってほしい。
そうしたら、もう少しだけ
あなたと一緒にいられるのに。
鳴神の 少しとよみて ふらずとも
我はとどまらむ 妹しとどめば
(万葉集/柿本人麻呂)
天気なんて関係ない。
君がここにいてくれるなら
僕は一緒にいるよ。
「妹」とは「愛しい人」という意味。何か理由をつけて一緒にいたいという想いがいじらしい歌です。新海誠監督の映画「言の葉の庭」のモチーフとなっています。
揺らぐ決心
三輪山
いかに待ち見む
年ふとも
たづぬる人も
あらじと思へば
(古今集/伊勢)
私は、もうここを出ます。
私を訪ねてくる人もいませんから。
「もう終わったんだ」
そう決めた。
そうでもしないと、進めないから。
女流歌人である伊勢が、恋仲だった藤原仲平への別れを決意した歌です。しかし、まだ決めきれない、微妙な恋心が感じられます。
春の夜の夢
枕だに
知らねば言はじ
見しままに
君かたるなよ 春の夜の夢
(新古今和歌集/和泉式部)
はぁ……。
何もかもが、素敵だった。
「これ夢?」って思うことが、本当にあるんだね。
だからこそ、あの日のことは秘密にしよう。
誰にも言えない2人だけの秘密。
もう二度目はないと思うから。
和泉式部は平安時代中期を代表する女流歌人のひとりです。不倫による身分違いの恋、死別。話題に事欠かない人生を送った女性です。すさまじい妖艶さを感じます。
白拍子の悲しい和歌
仏も昔は 凡夫なり
我らも終には 仏なり
何れも仏性 具せる身を
隔つるのみこそ 悲しけれ
(平家物語/祇王)
私たちは、最後には御仏となって
魂の世界に帰るでしょう。
ですから、すべての命は平等なのです。
……わかっている、わかっています。
でも私は、いまはまだ未熟な人間です。
つらいものは、つらいのです。
たまらなく、悲しいのです。
かつてあなたに愛されていた私。
いま、あなたに愛されているその女性。
その差が、とてもとても、つらいのです。
ホトケになれたら。
ホトケになれたら。
ホトケになれたら……。よかったのかな。
平家物語に登場する祇王は、平安時代に白拍子をしていた女性。白拍子とは、いまでいう「芸能界で活躍するアーティスト」が近いかもしれません。とても魅力的な職業だったようで、時の権力者たちの多くがメロメロになっています。
祇王は平清盛に寵愛されていました。しかし、清盛はそのうち仏御前という別の白拍子に夢中になります。祇王は飽きられてしまったのです。
それだけでなく、清盛は「元気のない仏御前の前で踊ってほしい」と祇王に声をかけます。祇王は仕方なく舞い、その時の気持ちを歌に詠んだのです。
まとめ
ただ現代語訳するのではなく、現代の感覚に寄せた言葉で表現することで、切ない恋愛の繊細な気持ちや映像が浮かび上がってきたのではないでしょうか。
万葉集の時代から続く先人たちの和歌や言葉を「いまを生きる私たちの感覚」に合わせた「エモ訳」にし、素敵なイラストで視覚化した『いとエモし。超訳 日本の美しい文学』では、先人たちが作品に込めた「エモパワー」を強烈に感じられます。切なくなったり、勇気がわいてきたり、なんともいえない胸いっぱいな気持ちになったりできる、おしゃれな本です。ぜひ本書を手にとって、心のままにパラパラとめくり、言葉にできない「何か」を存分に味わってみてください。
いとエモし。 超訳 日本の美しい文学
k o t o
定価:1,480円(税込1,628円)