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あえて全力を出さず決着をつけない武田信玄と上杉謙信の戦い方

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群雄割拠の戦国時代に頭角を表した、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信。戦国大名の中でも屈指の実力を持つふたりが戦ったのが川中島の戦いです。明確な決着がつかないままで終わった両者の戦いを、戦略がテーマのビジネス書「胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス書」よりご紹介します。

永遠のライバルとして有名な武田信玄と上杉謙信の戦略とは一体どのようなものだったのでしょうか。せひ最後までお楽しみください。

武田信玄と上杉謙信、それぞれの戦い方

武田信玄と上杉謙信、それぞれの戦い方の違いをみていきましょう。

武田信玄の「戦わずに勝つこと」に重きを置いた戦略

甲斐(現在の山梨県)の武田信玄は、「風林火山」で有名な孫氏の兵法を重視しており、「戦わずに勝つ」戦略を採用していました。

戦上手のイメージが強いですが、外交的な作戦などで決戦を回避する傾向にあったといわれています。謙信との戦いも、のらりくらりとして正面から戦おうとはしませんでした。

臨んだ戦の勝率が高い上杉謙信

比較的小規模な戦闘が多かったといわれる上杉謙信。同盟相手などから救援要請を受けての出陣が多かったので、信玄のように合戦回避をすることはなく、比較的即座に出陣していたようです。

そして臨んだ戦の勝率は非常に高く、信玄と同様に戦上手であったといえます。

信玄と謙信の戦いが始まる

武田信玄は信濃(現在の長野県)攻略を進め、強敵の村上氏の当主である村上義清を国外へ追放します。逃げ延びた義清は上杉謙信にたどり着きました。

まるでいじめられたのび太くんがドラえもんに頼るように、「一緒に信玄を倒して欲しい」とお願いしたのです。

謙信は越後の統一を成し遂げたばかりで余裕のある状態ではありませんでしたが、義を重んじる謙信は最終的に信玄との戦いを決意します。

こうして村上義清は謙信の協力のもと、かつての領土を取り戻すことに成功。しかし武田軍の猛反撃にあい、またしても亡命を余儀なくされます。
ふたたび謙信に救援要請をする義清。謙信は武田軍との戦いに臨みます。これが「第一次川中島の戦い」です。

相手の強さを知っているからこそ本気で戦わない

川中島の戦いは第一次〜第五次までありました。信玄と謙信の戦いを見ていきましょう。

のらりくらりと、したたかに戦う信玄

1553年、村上義清の救援要請を受けて始まったのが「第一次川中島の戦い」です。現在の長野県を舞台に繰り広げられましたが最終的な決着はつかないまま終了しました。

1555年、「第二次川中島の戦い」が起こります。信玄が謙信側の家臣や善光寺を自軍側に寝返らせたことがきっかけでしたが、今川義元の仲介で和平を結び、大きな戦いには発展せずに終わります

さらに2年後の1557年、信玄が和平を破って上杉方の城を奇襲します。謙信も兵を出しますが、武田軍はのらりくらりとして正面から戦おうとしません。

そこで謙信が寝返った裏切り者に兵を向けたところ、武田軍は「今だ!」とばかりに上杉の城を攻め落としました。謙信はすぐさま信玄のもとに向かい戦闘が始まります。
しかしこの時も双方大きな被害が出る戦いには発展しないまま謙信は撤退していきます。これが「第三次川中島の戦い」でした。

第一次〜第三次は大きな戦ではありませんでした。しかし信玄はこの間に川中島地方を掌握しており、戦況は信玄優位で進められていました

関東を制圧していく謙信

信玄との戦いが落ち着いた頃、上杉謙信は関東管領である上杉憲政の後継者に選ばれます。

関東管領とは室町幕府が関東を統治するためにつくった「鎌倉府」の鎌倉公方(リーダー)の補佐(執事)のような役割でしたが、両者は互いに対立し、内乱や分裂を繰り返すなどして衰退。
関東管領の肩書は形だけのものとなっていましたが、「関東の正当な支配者」という大義名分としては十分でした。

簡単にいうと、謙信は関東へ進出する大義名分を手に入れたことになります。

謙信は上野国を制圧し、憲政を圧迫していた北条氏を追い詰めていきますが、そこに信玄が立ちふさがります。

信玄は北条氏康を支援するため謙信の本拠地である越後国の国境に迫ったのです。背後を脅かされた謙信は関東攻略に集中できなくなり、信玄との「第四次川中島の戦い」に臨みます。

この戦いでは互いの策と策がぶつかり合う攻防を繰り広げ、信玄の弟である武田信繁や山本勘助が討ち死にしました。また謙信と信玄が一騎打ちに臨んだという逸話もあります。
しかし最終的に武田軍が上杉軍を善光寺へと追い返すことで戦は終結

その後「第五次川中島の戦い」にも臨んだものの、決戦に発展しないままでした。これを最後に、信玄と謙信が直接対決することはありませんでした。

温存するという戦い方

武田信玄と上杉謙信の明確な決着はつかないままでしたが、2人が本気で戦えばお互いにボロボロになっていたことでしょう。相手の強さを知っているからこそ、あえて潰し合わないようにしていたのかもしれませんね。

白黒つけることにこだわらず、「温存する」という戦い方もあるのです。

まとめ

永遠のライバルの象徴である武田信玄と上杉謙信。最後まで決着がつかないままだったのは、あえて全力を出さない「温存する」という戦い方を選んだからでした。白黒をつけることに固執せず、はるか未来を見据えていたのです。

戦略がテーマのビジネス書「胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス書」では、古代から現代に至るまでに起きた戦いの戦略を分析・考察し、私たちの仕事や人間関係に使えるヒントを提示しています。ぜひ本書を手に取って、先人たちの生み出した戦略やその生きた道筋を知り、現代をうまく生きる参考としてみてください。


胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス教養 著者 齊藤颯人/監修 本郷和人・本村凌二

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