天皇が政治を行なっていた飛鳥時代、権力を求めて貴族のクーデターが起こりました。天皇を無視して独断で政治を行うようになっていった蘇我氏を、中大兄皇子と中臣鎌足が倒します。しかし、史料に書かれている話が、本当に真実かどうかはわからないとされています。
この記事では、見せかけの事実の奥に隠されているかもしれない不都合な真実を、戦略がテーマのビジネス書「胸アツ戦略図鑑 逆転の戦いから学ぶビジネス書」よりご紹介します。ぜひ最後まで読んで、勝ったものだけが行える戦略を見つけてみてください。
目次
古代史上最大のクーデター
まず古代史上最重要といわれるクーデターの全貌をみていきましょう。
絶大な権力を手にした蘇我氏
飛鳥時代は天皇が政治を行なっていました。その天皇に仕えて絶大な権力を手にしていったのが蘇我氏です。
始まりは、欽明天皇に仕えた蘇我稲目が天皇の信頼を得て側近になったこと。次の天皇である推古天皇の時代には、稲目の息子である蘇我馬子が政治を支えるようになります。馬子の後継者となった蘇我蝦夷が政治の実権を握り、蝦夷の息子・蘇我入鹿は父親をしのぐほどの絶大な権力を手にしました。
そのようななか、蘇我入鹿は従兄弟である古人大兄皇子を次期天皇にしたいと考えていました。しかし他にも候補者はいます。古人大兄皇子を確実に天皇にするために、入鹿は他の候補者を全員消してしまおうと考えます。そして次期天皇の有力候補であった山背大兄王を襲撃し、結果的に自殺に追い込みました。
これは入鹿個人の犯行ではなく、入鹿側の貴族も加担していたのですが、皇位継承者を死に追いやったという事実は変わりません。他の候補者は恐怖を感じていたことでしょう。
運命のふたり
入鹿らをなんとかしなければと考えたのは貴族である中臣鎌足。彼は入鹿を倒す計画を立てますが、協力者が必要だと考え、次期天皇候補を仲間にしようとします。
まずは皇極天皇の弟である軽皇子に接近しましたが、力量不足を感じ仲間にするのをやめにしました。
次に目星をつけたのが中大兄皇子です。しかし、身分の高い皇子には簡単に会えません。
そんな折、飛鳥寺で「蹴鞠」の会が開催されました。蹴鞠とはマリを蹴って落とさないようにする遊び。遊びと言っても作法や競技場など細かく決まりがあります。
蹴鞠の会は、今で言う「職場のフットサル大会」のようなイメージ。鎌足にとって、中大兄皇子に直接会える、またとないチャンスです。
その蹴鞠の会で、中大兄皇子は蹴鞠に熱中して靴を飛ばしてしまいます。鎌足は飛んでいった靴を拾って中大兄皇子に渡しました。
すると中大兄皇子は身分の低い鎌足に対して「わざわざ拾ってくれてありがとう」と丁寧に対応します。これに鎌足は感動し、「この人しかいない!」と直感。そして親交を深め、蘇我氏へのクーデター計画を練り上げます。
クーデーターの勃発
645年、クーデター実行の日。入鹿は皇極天皇らと宮廷の儀式に参加していました。式の最中、外交文書を読み上げる蘇我倉山田石川麻呂がガタガタと震え出しました。緊張していたのです。彼は蘇我氏でありながらクーデターの参加者で、鎌足や中大兄皇子の仲間でした。重要な任務を任されていたのか、ふるえが止まらないほどの緊張です。
その様子を隠れて見ていた鎌足と中大兄皇子は、入鹿に逃げられたらまずいと思い、「もうやるなら今しかない!」と飛び出して入鹿に斬りかかります。策略により、事前に刀を没収されていた入鹿は抵抗できません。「オレが何をしたというのだ!」と叫ぶ入鹿に、「皇位を奪おうとした」と中大兄皇子が返すと、これを聞いた皇極天皇はクーデターを黙認します。
入鹿はなすすべなく殺害され、父の蝦夷も自害に追い込まれました。
こうしてクーデターは成功。これが乙巳の変です。
見せかけの事実の奥にある真実
勝者となった中大兄皇子と中臣鎌足。2人のその後をみていきましょう。
対等な政治対立だったかもしれない
悪の蘇我氏を討った正義の中大兄皇子。しかし、このエピソードの根拠となった史料である「日本書紀」は、中大兄皇子の子孫らが編纂したもの。実際には単なる政権交代だったかもしれません。
たとえば、このころ東アジアの百済や高句麗などの国々は、強力なリーダーのもとで力を強めていました。強力なリーダーがいなかった新羅は劣勢になっていました。これを知った入鹿は、古人大兄皇子とともに強力なリーダーシップを発揮する百済や高句麗のような政権を目指したといいます。
一方で、中大兄皇子らは貴族たちの合議で政治を行う新羅のような政権を目指していたのではといわれています。
これが真実なら、どちらの考えにも合理性がある「対等な政治対立」だと言えるのではないでしょうか。
勝者だけが使える戦略
乙巳の変の後、中大兄皇子は皇太子として政権を掌握。鎌足も政治の要職につきます。この2人を中心にして大化の改新と呼ばれる政治改革が進められていきました。
やがて中大兄皇子は天智天皇となり、中臣鎌足は藤原姓を与えられます。彼は平安時代にかけて栄華を誇る藤原氏の礎となりました。
勝者が正当性を示すために印象操作したり、話を盛ったりするのは、歴史においては必然です。政治を有利に行うための戦略だとも言えるでしょう。このようなことは歴史的には常にあったことだと身構えることで、見せかけの事実の奥にある真実を見抜きやすくなるかもしれません。
まとめ
悪の蘇我氏を討った正義の中大兄皇子という構図で語られる乙巳の変。このエピソードは勝者である中大兄皇子の戦略だったのかもしれません。
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