下田美咲のズバリ言うわよ

「死ね!」と言う子どもに先生はどう対応するべき?

#連載エッセイ
#下田美咲のズバリ言うわよ

お悩み解決のスペシャリスト・下田美咲が読者からの相談に答える本連載。今回も、人生を変える価値観を授けることをモットーにズバリ言うわよ。

小学校で教師をしています。子どもが「死ね!」と簡単に言うことについて、どう思いますか? 学校で、子どもたちが他者にそう言うのをよく見かけるのですが…。教育者として、どんな声がけをするべきでしょうか?

影響力は無限大じゃないのよ

さすが先生。とってもいい質問をありがとう。今から美咲先生による、道徳の授業を始めさせてもらうわね。

これはね、全人類がもれなく自覚を持つべきことで、生きていく上で土台となるような人生の摂理なのだけど、自分が他者に与えられる影響の範囲は基本的に激狭よ。ゲキセマ。すんごく限られているの。ぜんぜん無限大じゃないの。

たとえば、学校の先生が生徒の素行について関われることって、「学校にいる間のルール違反だったり暴言暴力を取り締まること」までであって、その結果として「学校内の秩序を保つこと」は目指せることの範囲内だけど、れ以上の関与はできないし、しようがない。

っていう、そういう限界値への自覚を持つことって、すごく大事。それは第一に、自分のために必要。

だって、それ以上の影響力を持とうとすると、それは完全なオーバーワークになっていくから。生徒のために生きる必要が出てきて、自分の人生がなくなっていく。

安全な「死ね」と、危険な「死ね」がある

それはそうと、小学生くらいの子どもが他者に「死ね」と言うこと自体がどうなのかについて、現役小学生ママでもある私の意見を述べると、ゾンビやらモンスターを倒すような要素のあるゲームを日常的にやっている子だと、ゲームをしながらの掛け声で「死ねっ!」「ぶっ殺す!」とかは言いがち。

息子は、言葉フェチの私が手厚く育てているだけあって基本的に言わないのだけど、息子の周りの子はわりとみんな言っている。性格自体は穏やかで優しい感じの子でも、ゲーム中の言動はなかなかに荒ぶっている。

だから、その延長で普段から軽率に「死ね!」っていうワードが出てきてしまうっていうのは、全く深刻ではない現象として、よくあることだと思う。本人にとってそれは「デュクシッ!」とかと変わらない語彙だったりする。

だから、そもそもその「死ね!」が、どれほど深刻な背景があって口から出た言葉なのかってところは1つ考えてみてもいいと思う。深刻な背景がないような戯言全般は、成長と共に自然と言葉のTPOを身につけて、細かな教育をしなくても言わなくなるだろうから。

だけど、たとえば家庭内で家族から「おまえなんか死ね!」「ぶっ殺してやる!」などと言われるのが日常で、暴言暴力を受けながら育っている子が、学校内で「死ね!」と言っていたとしたら、それは危ない感情からくる深刻な暴言だと思う。

ただ、そういう状況で暮らしている子を、教育できる言葉なんか存在してない。だって、本人が浴びせられ続けているんだから。戦時中の世の中で「暴力はいけないこと」なんて話しをしても、納得できるわけないでしょ。変に納得したら、自分が置かれている状況の悲惨さへの理解が深まって心が壊れかねないし。

現役で虐げられて生きている人を相手に道徳を教えるなんて無謀だし不毛なのよ。どんな理屈も響かないし、空っぽな説教にしかならない。