下田美咲のズバリ言うわよ

今の時代、資産運用をやらないのは愚か者?株や投資をやるべき?

#連載エッセイ
#下田美咲のズバリ言うわよ

お悩み解決のスペシャリスト・下田美咲が読者からの相談に答える本連載。今回も、人生を変える価値観を授けることをモットーにズバリ言うわよ。

美咲ちゃんが株とか投資をしないのはどうしてですか?
最近は資産運用をすることが当たり前の時代ですよね。「銀行にお金を預けておくだけなんて愚か者だ」という風潮もありますが、どう思いますか?

私が株や投資に手を出さない理由

株や投資の話、すっごくよく聞かれるし、私の周囲の“稼いでいる人たち”は確かに、ほぼみんなやっているし、資産運用に関する発信を見かけることも増えてきた。

実家に帰省するたびに弟からも「まだやってないの?!君なんて稼いでるだから絶対にやった方がいいよ?!」と呆れられ、半ば説得のような資産運用トークが始まる日々を送っているわ。

そんな中で、私が株や投資に手を出さずにいる理由はただ1つ。

お金のことだけを考えるのがクソつまんないからよ。私の脳みその使い道として、そんなことにリソースを割くのはもったいないと思っているのよ。

時間や脳みそは、お金より貴重な資源

時代は「資産運用をしない者は、自分が持っている資産の価値をただ時間の経過と共にすり減らしていて、愚かだ!!」って流れよね。

だけど、それよりも私は、自分が持っている「時間」とか「思考力」を貴重な資源だと思っているの。銀行預金よりもっと貴重で、蔑ろにできないのが、そっちなの。

資産運用で確実に成果をあげていくためには「自分自身で勉強をすることが必須」って、みんな言うわよね。まずは情報収集だと。

自分でちゃんと調べて、その上で自分が信じられる範囲内で、いざとなったら損をしても大丈夫と思える範囲内で、運用していくべきだと。

勉強をするってことは、時間を使うってこと。

さらに言うと、脳みそのリソースをそこに割くってこと。

人って一度にいくつもの考え事をできないでしょ。思考力って有限なのよ。株や投資の勉強をしてる時間に、新しい企画のアイディアはひらめかないし、株や投資の戦略を練っている間もそう。資産運用に手を出すってことは、その分だけ、他のことに時間や頭を使えなくなるってことなの。

それって私からしたら、大損失なのよ。銀行にお金を預けている間に減っていく日本円の価値よりも、面白くもない資産運用の勉強をしている間にひらめき損ねてネタを逃すことの方が、よっぽど将来の資産を減らすのよ!!

私は中1で五教科を捨てた人間

投資って、上がりを大きくしようするほど、勉強や情報収集が必要になるわよね。たいした勉強をせずに手を出せる資産運用で得られる上がりなんて、たかが知れていて、その程度のプラスしか出ないんだったら、資産運用を学ぶことに使う時間で新しい原稿を執筆して世に出したほうが、明らかに儲かるのよ。私。noteの総売上3億円なのよ。

私が原稿を書くことよりも大きな上がりを出していこうと思ったら、リスクのある賭けにも出なければいけないし、リスクが大きくなるほど、緻密な情報収集が必要になるわよね。手を出す価値があるほどの資産運用をやろうと思ったら、作家業をけっこう減らして、それを仕事の1つとして取り組むくらいのスタンスでやるべきなんだと思うわけ。

だけど、それって、まずクソつまんないのよ。
だって私はそもそも、お金を稼ぐための作業でしかないようなことを仕事にはしたくなくて、今の人生を掴み取ってきた人間なのよ。

私ね、中学1年生の時に五教科を捨てたの。「あ、こんなことをしてても、私の欲しい人生を掴み取ることに繋がらない」って気づいたから。

それで、そこからはひたすら図書館に通って、“私が欲しい将来”のためになりそうなことを学ぶ活動に勤しんだの。学校には通っていたけど、授業中も教科書を開かずに持参した本を読んでいて、だから先生から教科書の端で殴られたこともあったわ。

テストも受けず、夏休みの宿題も一度も提出せず、内申点とかどうでもいいから校則も守らず、でも親が「給食費を払っているから給食だけは食べてきて欲しい」って言うから不登校にはならず登校はしてたけど。

そしたらそんな私に、同級生はよくこう訊いてきたわ。「美咲ちゃんはなりたいものがあるのかもしれないけど、本当にソレになれるかはどうかは分からないのに、学歴で保険をかけておかなくて怖くないの?」って。

私、1mmも怖くなくって。
だって私にとって、自分がなりたいものになれていない将来なんて、生きてても死にたいだけだから。私からしたら、それって保険として機能してないの。自分が求めてる最低限の未来が保証されてないから。私にとっての最低限は「楽しいと思える仕事をして、お金持ちな大人になること」だった。それ以外の将来など受け付けていない。

だから、人並みに五教科をマスターしたところで、それは私の人生にとって有効な保険にはならないし、同級生が「人生に保険をかけるために受験をするんだよ!つまらなくても勉強をするんだよ!なんで保険をかけないで平気なの?!」って私のことを不思議がるのと同じくらいに、「なんでこの人たちは、こんなに若くて今ならまだ何でも目指せる身持ちなのに、自分の人生に対してベストを尽くすことじゃなくて、最低保証を得ることに全力投球してるんだ…?!保険をかけることにリソースを割きすぎでは?!その時間の使い方こそどうなの…?!」と不思議で仕方がなかったわ。

その思いは、あれから20年を生きる中で覆ることがなく、「やっぱり私の選択は正しかった」と思うばかりよ。当時、私の考えを理解できる人間なんていなかったけど。

それでも、13歳で五教科をすみやかに捨てて、なりたい自分になるための努力に自分が持ってる時間をフルベットしたことは、やっぱり最良の選択だった。

私が思うに、「資産運用の勉強」みたいな、それ自体には面白味がない作業ができる人って、学生時代にちゃんと学校の勉強をこなせていたような人であり、別に楽しくもない作業を「でもお金のために」とか「生活のために」って自分の仕事にして全うすることができるタイプの人なのよ。

私と真逆すぎるの。だからもちろん、そういう人の方が大多数よ。ただ私には、資産運用適正がなさすぎる。そんなのは中学生時代の素行からして明白なのよ。

そんな私に、弟は「でも、今の時代で資産運用を学ばないのは、さすがに小学校の勉強からパスしてる感じだよ!それってさすがにヤバいでしょ」とかって言い出したけど、今の私には、中学校の勉強をパスしても経済的に成功した事実があるから、今となっては中学で五教科を捨てたことを誰も否定しないけど、当時は、小学校も中学校もなんなら高校も同じくらい、そのフェーズで学校の勉強を完全に捨てる判断をすることはヤバい者扱いされてたわよ。昔からちゃんとしっかりヤバいのよ私は。