連載エッセイ「あの本とカフェへ。」
大人気Webマガジン「かもめと街」を運営する、街歩きエッセイストのチヒロがサンクチュアリ出版の本を持ってお気に入りのカフェを巡ります。
「死んじゃイヤだ!」
先月まで放送されていた、長瀬智也×宮藤官九郎のドラマ「俺の家の話」のワンシーン。
あまりに良いドラマで、一緒に観ていた家族がドン引きするくらい、毎週ワンワン泣いた。
このシーンでは、余命半年と言われる人間国宝・観山寿三郎を演じる西田敏行へ向かって、孫が泣き叫びながら思いのたけをぶつける。
心の内をさらけ出したところでどうにもならない、絶対に言うまいと堪えていた孫が、大好きなおじいちゃんとの家族旅行の夜、本音を吐露する。
多分それは、最初で最後の旅行。
今のご時世、ハワイへは行けないから、スパリゾートハワイアンズへ。
おじいちゃんの隣で、ふたりきりで眠る夜。
灯りを消した部屋の中、シクシクと涙を流す孫に「秀生、どうして泣いてるんだ?」と聞く寿三郎。
この世に残される寂しさをこらえきれなくなった秀生が放つ台詞が冒頭のそれだ。
その台詞を聞いた瞬間、「ああ、この言葉、あの時に言いたかったな」という出来事が脳内に蘇った。
あの時に言えなかったこと、言っても仕方ないからと言わずに閉じ込めていた言葉。本人に届けられなかったのを悔やんでいたことに気づいて、涙が止まらなかった。
届けられなくても、どこかで消化すべきだったのかもしれない。
星野源はライブの後、家に帰って洗濯しているとき、ものすごく孤独感にさいなまれることがある、とテレビで語っていたそうだ。
そういえば、その星野源の名エッセイ「いのちの車窓から」には、故・十八代目中村勘三郎も舞台の後に孤独を感じていたと書かれたエピソードがあったっけ。
祭りの後の、どうしようもない孤独。大勢の観客の前でめいっぱい注目を浴び、心を動かすステージを繰り広げた後の心情は、観劇する側のわたしには想像できない。
孤独はきっと、埋められない。
1人で感じる孤独より、2人で感じる孤独の方がナントカとはよく言うけれど、孤独の種類は山ほどあって、きっと万人に効く解決策はないのだろう。
フリーランスになって、気がつけば3年が経った。
成長しているかといえば口をつぐみたくなるけれど、やりたいことを前のめりでやれることも増えてきた。手に余るほどの孤独を抱えながら。やり方なんて何もわからないけれど、とにかくやりたいから進むしかない。
「このままで大丈夫ですかね?」と、誰かに聞きたくなるけれど、未来のことなんて誰ひとりわからないのに、ましてや他人の将来なんて答えが出るわけがない。
「大丈夫ですよ、自信持って!」と言ってくれる人は、あなたを励ましたいだけか、または、そうやって自分の思惑通りに事を進めたいだけの人かもしれない。
取材へ行く時は、いまだに緊張して震えるし、インタビューの達人には程遠い。ICレコーダーの書き起こしを聞く時間は自分の質問力のなさに対峙せねばならず、気が重い。聞き手として存在する時間すら、孤独を感じている。きっとこれは、何度経験を重ねても同じように感じるのだろうな、と最近では半ば諦めている。
それほど、いつも真剣なのだ。
語られる部分にも、語られない部分にも目を凝らしてひとつ残らず掬い上げたい。そんな風に前のめりでいても、絶対に全ては掬い上げられないから。
気づけばやりたいことに過集中する自分は、ネガティブな思考にも一直線になる。
不安はいくつもの不安を連れてきて、最悪の事態を想定させる。
こんな風にネガティブに考えてしまう癖、やめたいな、と悩む。悩む時間こそがムダであると分かりきっているのに、いつまでも行動しない。
そんな時に手に取りたいのは「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」。
本の中から印象に残ったエピソードを5つ紹介しよう。
その1:ネガティブであることは、人類が生き延びるために必要不可欠だった能力だということ。
常に危険を察知し、あらかじめ予想して行動することで危機を切り抜けてきた時代だってあったはず。
現代ではなんとなくポカーンと過ごしていても、そうそう危機は訪れないから、不安を抱えるだけ損な気がしてしまうけれど。
「ネガティブであること=危機管理能力が優れている」と自分の定義を変えてしまえば、いくらか楽になるような気がした。
その2:人に嫉妬してしまうのは、やりたいことがあるから人と比べてしまう。嫉妬するほど情熱があるのはすごいということ。
たしかに!やりたいことなんてなければ、こんなに苦しまないかも。
「嫉妬する=他人を観察する」よりも、やりたいことがある人はそのことに集中した方がきっと幸せな結果が生まれることは間違いなさそう。わたしはそっとSNSで活躍している(と、こちらからは見える)知人を見ないようにした。それぞれ頑張れば、いいのだから。
その3:マウントを取りたがる人は、自分が相手より優れていることを認めさせたいだけ。
日々ぼんやり生きているわたしは、どちらかというと性善説を信じている。なので、マウント取りたがり屋に出会っても、気づくのがだいぶ遅い。
思ったことを素直に言いたいたちなので、褒めるのが好きだ。そうして褒め続けていると、いつの間にか「下の立場」だと思われていることも多々ある。そういうつもりじゃなかったんだけどな……。好かれたいから褒めている、というわけでもないのだけれども。
これは本当によく遭遇する出来事なので、最近では警戒指数をググッと上げて、被害に遭わないよう心がけている。被害に遭うと書いてしまったけど、引き寄せている自分の行動にも原因がある、と気づいたから。
その4:情報に振り回される人は、情報を鵜呑みにしないこと。
あたらしい情報にくらいついていかねば、と思っている節があり、SNSはくまなくチェックしてしまう。
でも、見なくてもいい情報に出会ってしまうことの方が多くて、余計な不安や心配が増えていることも多い。
いつのまにか大量の情報に振り回される世の中だけれど、情報は自分が掴みに行くという感覚を忘れないようにしなきゃ。
その5:誰からも必要とされてないと感じるときは視点を逆にして考える
「この仕事は誰かのためになってるのかな?」と考えることは、誰しもあることだろう。
他人に認められることで自己承認欲求が満たされるものだけれど、追い求めても永遠に終わりがない欲でもある。
満たされるときはほんの一瞬で、「満たされた」という実感は案外あっという間に消え去る。
「この仕事、誰かのためになっているのかな?」と思い悩んだときは、「この仕事は私に必要か?」と、視点を逆にしてみるといい、と本には書かれていた。
自分のことで考えてみると、答えはハッキリ出るだろう。
わたしの場合、文章を書くことで自分自身の心を保っているところがあるから、書くことは確実に必要だ。たとえ、誰からも必要とされなくても。(それはそれでさみしいけど)
他人に欲を満たしてもらうことを追い求めず、自分自身で満たせる生き方を心がけるのが大切なのかもしれない。
そんな「自分の仕事」を見つけた人が営む店には、いい空気が流れている。
「こう見せたい」だとか、「こう思ってほしい」とか、SNSでのイメージ戦略が異常にうまいだとか、そういう思惑から外れて、飾らずありのままの自分を生かして店へ立つ人が好きだ。
4月にオープンしたばかりの「喫茶 うろひびこ」にも、そんな雰囲気を感じる。
店主のアライヨウコさんは、音楽の専門学校を卒業し、全国でライブ活動に励みながらカフェやバーで働いた。今後をじっくり見据えたとき、いつかやりたいと思っていた自分の店をオープンさせた。
こだわりがないのがこだわり。
「うろひびこ」を表すとしたら、この一言に尽きる。
デザインやイラストの仕事もこなす彼女の好きなものがぎゅっと濃縮された部屋のようなインテリア。
決してインスタ映えするから作った装飾ではなく、好みを全開で出し切ったらこんな空間になりました!という雰囲気。
だからこそ、落ち着く。
個人的な意見だが、最近はあまりにも宣伝上手な店が多くて、こちらがどう思って行動するかまで計算し尽くされている風潮に疲れている。
でも、うろひびこには、そういう「下心」を感じない。
不思議な店名の謎も、あえて最初から正解は明かさない。自分で想像する余白を残してくれる。それが心地いい。
そうだ、彼女はミュージシャンなんだ。
友達の紹介で出会った彼女の歌を、ある日の真夜中に聞いた。穏やかに包み込む包容力のある歌声は、どんよりとした心を和らげる。
歌を歌う人だからこそ、全てを語り、相手の想像力を奪ってしまうことを避けているのかもしれない。
そんな彼女が作るシフォンケーキは、ふかふかの羽毛ぶとんのようにふんわり。口に入れればしっとりとなめらかでビロードのよう。
深みのあるブレンドコーヒーは、尊敬する阿佐ヶ谷のBnei coffee(ブネイコーヒー)にお願いして作ってもらったのだとか。
「自分の店を始めるってすごいですね」というと、「ひとりでやれたとは思っていなくて。周りの人が助けてくれたから店ができたんです」と話すアライさん。
ひとりは孤独であり、孤独じゃない。
そんなことを感じながら、また来ようと店を出ると、散りかけの桜がそよそよと舞うのが見えた。
■喫茶 うろひびこ
公式Instagram: @kissa_urohibiko
https://www.instagram.com/kissa_urohibiko/
東京都武蔵野市吉祥寺東町1-3-3 ユニアス武蔵野103
著者:チヒロ(かもめと街)
かもめと街
https://kamometomachi.com
Twitter:
@kamometomachi
この記事は、「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。孤独も悪くない編」の新刊コラムです。