夜をめくる

vol.1 正しくないレシピの暮らし

#連載エッセイ
#夜をめくる

“同棲”と呼ぶには甘さの足りない、おかしな共同生活。
僕たち二人の暮らしは「好き」とか「付き合おう」とかのたまご焼きみたいなやわらかい言葉で交わす確認作業の代わりに、「緊急事態宣言」とかいう激辛麻婆豆腐みたいに汗をかいてしまう言葉がきっかけで始まった。

 

 

「リモートワークはサボっちゃうわw」
「トイレットペーパーあと2個しかない」
「Netflixでおすすめある?」

会社の同期たちとのグループLINEが久しぶりに活発になった。たまに通知が来ても上司の不満か飲み会の誘いくらいなのに、みんな自粛生活でストレスが溜まっているんだろう。

「花見できなかったな~」
「オンライン飲み会やろうよ!」

あまり気が進まないと思いながらも、ワニが喜んでいるスタンプを送る。

「てか本当にみんな外に出てないの?」

騒がしかった通知が急に止まる。探り合っているような沈黙が続いた。

「人がいない夜中に散歩してる」

誰かに不謹慎だと思われるかもしれないけど、会話が終わるよりはマシな気がして正直に答えた。

「わたしも一緒に散歩したいです」

返信をくれたのは意外な人だった。彼女とは同期だけど部署は違って特別に仲がいいわけじゃないし、会社の人間とプライベートな話をすのを好まない性格だと思っていたから。グループLINEに登場したのも僕に興味を持ってくれたのも驚いたけど、それ以上に嬉しかった。

 

 

夜中の散歩は予想以上に盛り上がった。学生時代に追いかけたバンド、繰り返し観た映画、兄の影響で読んだ漫画、どれも不思議なくらい一緒で、なんでもっとはやく話さなかったんだろうと二人ともはしゃいでいた。

「タイムマシンがあったら学生時代に戻って話しかけに行くわ」
「もっと有意義なことに使いなよ笑」
「たしかに笑 過去と未来、行けるならどっちがいい?」
「どっちも行かないかな」

あっさり答える彼女の横顔が自分よりずっと大人に見えて、つい黙ってしまう。

「レモンサワーなくなったね」
「あー、解散するか駅前のファミマまで行くか」
「花火したくない?」
「まだ売ってないっしょ」
「うちに線香花火あるから、ベランダでしようよ」

家に行くのはさすがにどうなんだろうと思ったけど、行くことにした。下心よりも、そりゃあ100%無かったかと聞かれるとちょっと自信ないけど、久しぶりに人と会えた嬉しさや彼女ともっと話してみたい気持ちが勝った。

 

 

広くはないけど物が少なくて白を基調にした1DK。よく言えばシンプル、悪く言えば無機質な部屋。黒いウォーターサーバーだけが宙に浮いたように居座っている。

「タバコ吸うんだっけ?ベランダで待ってて、花火探してくる」

外出自粛期間はコンビニに行くのも誰かに怒られそうで禁煙を始めたなんて説明するのもカッコ悪いし、どこに座っていればいいかもわからないから、言われた通りベランダで待つことにした。

28cmのサンダル。錆びて転がった灰皿。吊るされた作業着。

ああ、そういうことか。たくさんのことを妄想して自己解決していると、部屋着に着替えた彼女が出てきた。

「もう終わってるから」
「なにも言ってないけど」
「聞きたそうだったから」
「どこが好きだった?」
「手が綺麗なの」

語尾にいちいち引っかかることを気づかれないように線香花火に目を落とす。彼女が初めて見せた執着みたいなものが気になって、踏み込む口実を探した。

「勝った方の言うこと聞くやつやろうよ」
「わーいいね」
「エロいことはナシにします」
「紳士的ですね」

二人ともケラケラと笑っていると、僕の小さな火が先に落ちてしまった。

「ねぇ、一緒に暮らしてくれない?」

 

 

同じ家に住むようになって、新しく知る彼女のことが増えた。
タイピングがめちゃくちゃ速いこと。コンビニに行くだけでも髪を整えること。一度寝たらなかなか起きないこと。鍵をかける習慣がないこと。氷を作り忘れると怒ること。あまり生活に興味がないこと。自分の生活より、どうぶつの森の島ほうを大事にしていること。

洗濯物のたたみ方を聞いても、畳んであるなって思えればいいらしい。食事はいつもコンビニのサラダチキンかUberEats。持ってる調味料は塩コショウ・醤油・マヨネーズだけ。噛むのが飽きたと言って途中で食べるのをやめたりする。はじめは食生活を合わせていたけど、食費がかかるし不健康だ。これは不要不急じゃないと自分に言い聞かせて、本屋に行って料理本を漁った。

「大さじ、小さじ、少々、適量、お好みで」

それがわかんないから困ってるんだけど、世の中の人はこれで理解できるんだろうか。高校生の頃に数学の青チャートを見た時の気持ちを思い出した。どれを選べばいいか悩んで、基本という文字がやたら目立つ本と、赤くてレシピが細かく載っていない本を買って帰った。

 

 

「緊急事態宣言」が解除された頃には、ふたりの生活もずいぶん慣れた。ウォーターサーバーの水の交換頻度も覚えたし、洗濯物はどの状態から畳んであるなって思われるのかもわかった。

僕の料理の腕前もずいぶん上達した、はず。彼女も食べるのを途中でやめなくなったし、「この前のやつまた食べたい」と言ってくれるようになった。

ごはんを作ってもらってるから皿洗いと風呂掃除は自分の担当にしたいとも言われたけど、そういうのは時間と気持ちに余裕がある方がやろうというルールで落ち着いた。

なんの問題も、不自由もない暮らし。でも、僕はベランダに出なかった。洗濯物はコインランドリー。乾燥機を使った方がタオルがふかふかになるからと誤魔化し続けて。

 

 

「花火買ってきたの」

せっかくなら外でやろうと言ったけど、彼女はベランダがいいと譲らない。久しぶりに出た二回目のベランダは、新しい二足のサンダル以外なにもなかった。驚いているのも喜んでいるのも表情を読まれないように、線香花火に目を落とす。

「勝った方の言うこと聞くやつやろう」
「今回も私が勝つよ」
「エロいこともアリにしましょう」
「さては負けるつもりですね」

二人ともゲラゲラと笑っていると、彼女の小さな火が先に落ちた。

「ちゃんと付き合って、これからも一緒に暮らそう」

 

 

 

 

執筆:げんちゃん
モデル:原口玲花
撮影:Koshiro Kido

 

こちらのストーリーは、”カレンの台所” 滝沢カレン(著)を題材にしました。


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