あなたは「今の自分は理想的な人だ」と胸を張って言えますか? もしそうでないなら、まずは自己分析から始め、自分がなりたい理想を強く思い描くことが大切です。ドン底から這い上がった経験を持つ人気コーチが、自分らしく生きるための秘訣をレクチャーします。
今日のテーマは、「ありのままで理想を手にする」です。みなさん、今の自分は理想的な人だと言えますか? このセミナーが終わる頃には少しでも「今の自分は理想的な人だ」と思えている人が増えているよう、今からお話ししていきたいと思います。
まず自己紹介をしますと、私の本業は看護師で、19年目になります。現在44歳で、6匹の猫と一緒に住んでいます。昨年の10月から、コーチングとカードリーディングのセッションを始めました。そんな私の人生には、3つの大きなドン底がありました。
目次
ドン底その1 20歳の交通事故
まずひとつめが、今から20年以上も前の話になりますが、20歳の頃に交通事故に遭ったこと。地元のデパートでアパレル販売員として働いていたのですが、朝、職場へ送ってもらうために車に乗っていたところ、右折車と衝突。とにかく衝撃がすごくて、前日からの記憶を失ってしまうほどでした。車は大破し、助手席にいた私は頭からフロントガラスに突っ込んで大怪我を負いました。
目が覚めたときには病院のベッドの上。ぼんやり外の景色が見えるけれど、しゃべることはできないという状態でした。家族が心配そうにのぞき込んでいる顔が見えて、「あ、相当やばいことになってるんだな」と悟りました。手術のために髪は短く切られ、頭と顔には包帯がぐるぐる巻き。頭からは管が出ていました。顔の神経が切れてしまい、目を閉じることができないから、ずっと涙が出ている状態。怒っても泣いても笑っても表情がつくれません。
しばらく経って鏡を見たとき、「ああ、もう人前には二度と出られない。アパレルの仕事はもちろん、人に会う仕事はできないんだな」と絶望的な気持ちになりました。することがないからテレビを見るのですが、キレイな女優さんを見ても「こんなふうにキレイになりたい」ではなく、「普通に顔が動かせることがうらやましい」と思っていました。
主治医の先生から言われていたのは「99%戻らない」、むしろ「年齢を重ねるごとにもっと悪くなっていく」という現実。先生は、辛い現実も淡々と伝えてくれる方で、逆に「そこに嘘はない」と信用ができました。
突きつけられた現実を受け入れることができなかった私は、ぼーっとしていたのか、消灯後の病院内を一人でさまよっていました。そしてある日、ふと思ったのが「屋上に行きたいな」。そこへ行けばすべてが解決するような気がして屋上へ向かったのですが、ドアが開かなかった。そこで、「私は屋上へ行って何をしようとしてたんだっけ?」と急に我に返り、病室へ戻りました。このときドアが開いてしまったら、私はここにいなかったかもしれないと、今でも思います。
理想を叶える「思い」と「行動」
このドン底を、私はどうやって乗り越えたのでしょうか? 大きかったのが主治医の先生の存在です。先生は、事故で切れてしまった神経をつなぐために、何時間もかけて手術をしてくださいました。粉々になったガラスを全部洗い流しながら、顕微鏡を使って何時間も一生懸命神経を探してくれたのです。
後日、「なんでそこまでしてくれたんですか?」と聞くと、「だってあなたは若いから。あなたの人生はまだこれからだから」と答えてくださいました。私は、そこで初めて「99%戻らない」の「99%」の意味がわかったのです。先生が神経を必死につないでくれたから、「1%」がある。1%に思いが乗っかっていると思いました。この大切な「1%」を、絶対に活かしたいと思うようになったのです。
感謝の気持ちが湧き起こり、「この先生を喜ばせたい」と強く思うようになった私は、ここから患者としてのスイッチが入りました。先生が喜ぶことは、治療がうまくいき、私の顔が動くようになること。治る保証は全然なかったけれど、先生が「こんなにキレイになったんだね」と喜んでいるところをイメージするようになったのです。
退院後は、週1で外来に通いながら自宅療養になりました。人の目が気になるため、誰かに会ったりすることはできませんでしたが、唯一、足を運ぶことができたのが地元の図書館。私は毎日そこに通い詰め、医学論文を読み漁りました。顔のどこの神経が切れて、どんな表情がつくれなくなって、どんな治療法があるのか、とにかく調べて勉強する。看護師の友達から分厚い解剖学の本も借りました。外来の日には毎回、勉強したことを書いた紙を先生に渡し、「今度の手術でここを治してください」と提案していました。
その後、少しずつ外には出られるようになったけれど、あからさまにケガをしている見た目は、どうしても「かわいそう」に思われてしまう。そこで、容姿をコンプレックスにしたくないと思った私は、ウィッグをつけ、帽子をかぶって外に出るようにしました。そして、もっと人前に出ようと、地元ではなく、渋谷のど真ん中にある大手アパレル会社の販売員として働くことを決めました。都会の中心で、あえて自分を晒すことにしたのです。
一方で、論文探しも継続していました。「電気治療がいい」という論文を見つけて、休みの日はお風呂に入るとき以外、1日23時間器具を装着したり。こうした行動を2年間続けた結果、現実は、自分がイメージしていた通りになったのです。顔が動くようになり、先生はまさに「こんなにキレイになったんだね」と言ってくれた。そばにいた研修医の先生に「ちょっと見てくれよ」と自慢したりなんかして、とにかく喜ばせてあげられたのが本当にうれしかったです。
この経験は、「思いと行動が理想を叶える」ということを教えてくれました。図式化するとこうなります。
根底の部分には、絶対に叶えたい強い思いがあります。私の場合だと、「先生への感謝、1%を活かしたい」という気持ちですね。その上で、叶えたいビジョンを鮮明に描き、それを叶えるためにあらゆる行動をしていく。思いつく行動はとにかくひととおりする、そして、叶うまで毎日続けることが大切です。
ドン底その2 38歳の婚約破談
私は、埼玉県の吉見町というのどかな田舎町で生まれました。いつも近くの土手に犬の散歩に行っていて、家族みんなで笑っている光景を強く覚えています。私は小さい頃から家族がとても好きで、この家族を幸せにしたいと思っていました。しかし、なんでもできる兄や姉に比べて、何をするにも失敗の多い私は、「家族を笑顔にできていないのではないか」と自信を持てずにいました。
そうして、大人になるまで自分のことを心から愛せないままでいた私に、38歳のときに2つめのドン底が訪れます。婚約が破談になったのです。キャリアアップを目指すお医者さんの彼と、目の前の結婚という一大イベントで頭の中がいっぱいになっている私との間で、いつしかすれ違いが生じていた。一緒に暮らし始めていた新居に突然、彼の親御さんが来て「この結婚はなかったことにしてください」と言われました。
引っ越し、式場のキャンセル、購入済みの指輪をどうするか、そして彼との別れ……人生の流れが一気に変わりました。私としては、予定していた人生が突然なくなった感覚で、「自分の人生は終わった。どうやって生きていけばいいのか」と思っていました。
でも、よく考えてみるとなんかおかしい。彼は、私との結婚がなくなっても、キャリアアップを追うという夢は変わらない。なのに、なぜ私は、結婚がなくなると私の人生が丸ごとなくなってしまうのだろう……。ここで私は、「自分は、彼の夢に乗っかって生きていこうとしていたのではないか?」ということに気づいたのでした。
自分と向き合い、自分自身の幸せを見つめ直す
私は、自分と向き合う時間を設けました。「この人生で何がしたいんだろう」「本当に生きたい人生ってなんだろう?」。誰かの人生に乗っかった人生ではなく、私自身の人生を考えたのです。そこで導き出されたのが「動物たちと一緒にいたい」という思いでした。動物が常にいる環境の家庭で育った私にとって、動物はいつも私を支えてくれる存在でした。動物たちに関わる活動をしていこう、これこそが自分が笑顔でいられる場所だと思ったのです。
活動を本格的に開始した私は、看護師の仕事をしている時間以外は、ほぼボランティアに明け暮れるように。保護や譲渡に関する活動や保護猫カフェの運営、動物のレスキューなどを行うなかで、徐々に学びを深めていきました。仲間との出会いもどんどん増え、いつの間にか新しい世界が目の前に広がっていました。
この経験から得た学びは、「自己愛を満たすことから本当の自分が始まる」。私は、「動物と一緒にいられることが、自分が笑顔になれることだ」とわかったことで、新しい世界がどんどん開けていきました。
ドン底その3 43歳で猫6匹!?
保護活動を始めた私は、里親さんとのご縁をつなぎきれなかった猫5匹と暮らすようになっていました。そして、もともと私が実家で飼っていた猫1匹もそこに加わることになりました。
しかし、あるとき、猫たちの健康診断で5匹みんなに検査異常値が出たのです。保護猫の出入りがあること、飼い主である私と一緒にいられる時間が少ないこと、そして、1Kの部屋で5匹が暮らすというストレスではないかと思いました。悪くなると手術が必要になるもので、1匹数十万、5匹となると100万円以上かかります。
ボランティア活動に時間を使いたかった私は、看護師の仕事を週4に減らしており、当然、お給料もカットされています。広い部屋が必要なのに、お金はない。手術にポンと大金を出せる余裕もありません。そして、プライベートの時間を削ってボランティアをしていた私は、体力の限界も感じていました。実際、「過労」という診断も受けていた。
6匹の猫を守り切るという自信が持てないでいた私に、「ひとりで6匹は多すぎる、里親を探しなさい」と誰もが言います。「力なき愛は無力」という言葉がありますが、まさに、私には愛情はあるけど守る力がない。「この子たちの飼い主は私じゃないほうが幸せなんじゃないか」と思い、ついに里親を募集することにしました。
しかし、里親募集サイトに載せると、応募はたくさん来るのに、なぜか全員が直前でキャンセルになる。保護猫カフェにデビューさせようとすると、何かしらのトラブルが起こって前日にキャンセルになる……そんな不思議な現象が相次ぎ、私は「この子たちも離れたくないのではないか」と直感。猫たちが家族のように寄り添って暮らす姿を見て、「経済的、体力的に自信がないというのは私の勝手な都合なのでは?」と思うようになったのです。
まずは、絶対に手放さないものを決める
そこで私はまた自分と向き合いました。「絶対に手放せないものは何か?」「何なら手放せる?」「本当に今のこの方法しかない?」、そして、「自分の枠の中だけで考えているのではないか?」。
まず、6匹の猫を手放さないことだけを決めました。なんの方法も保証もないけれど、そのために自分が変わればいいと思ったのです。言い換えると、覚悟を決めた。「経済力も体力もないなら、つくればいい! 手放さないでいられる自分になればいい!」と。
そして、自分が変わるために、それまでは考えもしなかった新しい世界に飛び込みました。Twitterでお金や時間、心の余裕を手にしている人がいることを知り、私も2021年12月にTwitterを開始。1年近くなんの成果にもつながらず、自信を失ったこともありました。しかし、自分に向き合い、「私だから伝えられること、私も楽しみながら人の力になれることはなんだろう?」と考えることで、コーチングとリーディングに巡り会えたのです。
ドン底でとことん自分と向き合い、出会いと学びがあって乗り越えられた経験を伝えることで、誰かの人生を輝かせるお手伝いがしたい――。こうして昨年の10月からセッションを始め、これまでに100名以上のお客さまと出会うことができ、みなさん輝くような笑顔なっていってくれました。
この経験のポイントは、「決めて制限を突破する」。
まずは、手放さないものを決めます。そして、思考の制限を外します。私の例だと、「仕事を増やすしかない、里親を探すしかない」という枠の中だけの思考をやめました。その上で、制限を突破して新しい世界に飛び込んで挑戦する。私はTwitterで、自分だからこそ伝えられることを見つけました。
目的・ビジョン・マインドを明確にするワーク
このワークを行うことで、自分の中の「こうなりたい」というビジョンを明確にすることができます。
「ありのままで理想を手にする」――タイトルに込めた想い
最後に、今回のタイトルに込めた想いを手紙にしたためてきましたので、聞いていただけるとうれしいです。
(画像提供:iStock.com/Delmaine Donson)
まり💖スマイルコーチ 20歳の時にアパレル販売員として就職するも、交通事故に遭い顔面損傷。2年間の療養生活と2回の手術治療を経て、再度大手アパレル会社に就職し復帰を果たす。その後、看護師へとキャリアチェンジし現在看護師19年目。現在は看護師をしながら、月30人以上のコーチングセッションをするスマイルコーチとして活躍中♡「元気が出た」「セッションがめちゃくちゃ楽しい」と好評。リピーターも数多い。また、ルノルマンカードを使ったセッションは大変人気があり、予約の取れない毎月満員御礼の人気コーチ。 ■ その他告知 ・Twitter https://mobile.twitter.com/mari_kigyo ・Instagram https://instagram.com/mari_laxury.style?r=nametag ・Blog https://mari-mario.com/2022/10/1195/