お悩み解決のスペシャリスト・下田美咲が読者からの相談に答える本連載。今回も、人生を変える価値観を授けることをモットーにズバリ言うわよ。
そう、難しすぎる。
ちなみにこの問題、産めば産むほど難しくなります。
私はすでに子どもが二人いて、その上で、第三子にいくか・いかぬか・いついくかをほぼ毎日家族全員で会議している真っ最中なので、自戒もかねて「女の人生、いつ産むか問題」に関しての持論を語ってみましょう。




目次
産めば産むほど難しい、子どもを産むか問題
「仕事どうしよう」が目下のお悩みということは、きっと一人目の子どもなんだと思うのだけど、実は一人目の子どもを産むのを決めることって、第二子以降と比べるとすっごく気楽なの。
なぜか。
最悪その妊娠出産で自分が死んだとしても、ただ自分が死ぬだけだから!!!
今思うとそれってまぁ、自分としては死んじゃえばそれでおしまいなわけだから、それはそれでいいかという雑さで挑めるんだけど、第二子以降は自分が死ぬってことの意味が大きく変わってくる。
自分より大切な我が子から、お母さんを奪うことになる。
これ、とんでもない。自分がただ死ぬってことの1億倍キツイ。子どもを持つとね、自分が死ぬことより、「この子の人生から私がいなくなる、この子が大好きなママに会えなくなる、この子がママを想って悲しい気持ちになる」ってことの方がはるかに恐ろしいことになる。ゾッとする未来像ランキングぶっちぎり不動のNo. 1がそっち。
想像しただけでも切なすぎて胸がちぎれそうになるし、我が子の人生からママを奪いたくなさすぎる。愛おしくて仕方がない息子たちに、母親がいない人生を送らせてしまう展開、あまりにも避けたすぎる。
それと比べると。
最悪でも自分が死ぬかどうかみたいなリスクしかなかった頃って気楽に産むことを選べたなって、今となっては思う。
後遺症で障害者になるのが怖い
妊娠・出産・子育てのタイミングについて悩むにあたって「仕事どうしよう」って考える気持ちはすごく分かるし、私自身もそこは当然のように毎度しっかり悩み散らかしてるんだけども、同時に、こんな悩みってのは妊娠出産というハイリスクプロジェクトの前では、超ーー甘い、そんなことで悩むのはまだまだネガティブが足りない、とも思っていて。
死ぬことの次に、いや、子どもを思う気持ちを抜きで考えるなら死ぬこと以上に恐ろしいのが、妊娠中あるいは出産時のトラブルで、障害者となってしまうことで。これ、けっこう普通にありえることで、確率は分からないけど個人的にはバイク事故くらい身近なモノのように感じてる。
実際、知人の知人に、妊娠中に起こった脳出血が原因で高次脳機能障害になった人がいる。言語障害が出ていて、出産から数年が経った今も会話が難しく、とにかく言葉が出てこないらしい。ちなみに三度目の出産で起こった出来事だったとのこと。
会話が難しいとなると、日常生活にも当然支障はあるだろうし、実際に育児をしている身からすると子育てにおいて言葉でのコミュニケーションってとてつもなく重要なものだから、子育てもとんでもなく難しくなるだろう。
そして、これは我が身に置き換えて考えると、モロに作家人生の終わりにもなる。言葉が今のクオリティで出てこなくなったら、私はもう作家ではいられない。
それは我が家にとって経済的なピンチでもあるけど、私にとって作家であることはただの仕事には収まらない本当に大切な人生のカナメであるため、子どもたちの母親として懸念するリスクを抜きにして、私個人の懸念でいえば、脳出血等のトラブルで脳機能に障害が出てしまって作家ではいられなくなるリスクは、死ぬより怖いし、一番イヤ。じゃあ死にたい、ってくらい無理。
ただ、自分より息子の方が大事だから、死にたい気持ちで生きるより、死んで子どもたちの人生から母親を奪うことの方が嫌なんだけど。
そういう意味では、子どもたちの母親を障害者にしてしまうリスクも、とてつもなく怖い。自分の母親が障害者なのか健常者なのかという違いは、間違いなくとてつもなく大きなものがあるから。
そこのリスクを取ってまで、「子どもを増やしたい」というエゴに踏み切っていいのだろうか、っていうのは、仕事どうしよう問題より遥かに難しくて、そう考えると、仕事なんかまぁ産んだ後の自分および子どもが無事で健康ならばそこから全力で巻き返せばどうとでもなるだろう!!!!!って思える。自分の努力次第でどうにかできることは、どうにかしようとすればいいだけじゃん、って。
キャリアの面でベストな出産時期などない
とはいえ、第一子を産む時も、第二子を産んだ時も、第三子を考えている今も「仕事的にいつがいいんだろ…」というのは毎度悩む。
「妊娠前までにかなり良い地位を築いておいた上で産めば…」ということは毎度考えるし、そこに対してやれるだけのことをしてもいるんだけど、実際に妊娠や出産を経験すると、そのことで妊娠や出産が身近なことになってそういう情報が入ってきやすい自分にもなると(当事者になるとアンテナが変化するため、生きてるだけで、他人のそういう情報もキャッチしやすくなる)、妊娠出産には死ぬリスクもあれば、死にはしなくてもそれを機に障害者となるリスクがまぁまぁあるから、って考えると、とんでもなく苦労して状態の良いバトンを用意しておいても、それを産後の自分に受け取ってもらえるかどうかが結構未知な状況なわけだから、産み終えてから頑張った方が良いのでは説も出てくる。
それに、世の中には常に、妊娠中でもなく産後でもない身軽な体ですごく頑張っている同業者の人がいるから、自分が妊娠やら出産やら0歳児育児やらで年単位でやりちぎれない期間があったとすると、その間に、その席って取られるもんだと思っておいた方が良い。自分のピンチって、誰かのチャンスだから。逆に、そうやって自分にまわってきていたチャンスもきっと沢山あっただろうし。
自分が動けない期間、誰かに代わりにその役割を担ってもらうってことは、自分がいなくても成り立つ世界線を作ってしまうってことでは、どうしたってある。
だから、産むからには、産んだ後に産む前にいた場所に戻るってよりは、産んで育ててるからこそ辿り着いたおニューな自分で、産む前の自分では掴めなかったであろうポジションを掴み取りに行く、というような気概でいた方がいい。
産む前の自分がやってたことは、産んでない人の方が得意だろうし。同じ土俵で、産んでない人に並ぶのって難しい。だけど、産んだ人しか立てない土俵も確実に沢山あって、人生なんてずっと似たような日々が続くより変化があった方が攻略し甲斐もあって面白いものではあるから、そっちでファイトする方がよっぽど刺激的で楽しかったりもする。
何人目であっても、妊娠出産って人生をリセットするようなインパクトがあるもんだと思う。やっぱり、自分の人生に新メンバーが加わるって大きいし、大きなこととして扱うべきでもある。そうしないと変なことになる。せっかく産んだのに、生まれてくれたのに、ないものみたいに扱うのは変な話で、命が増えるって、命が減るくらい大きなことだから。
大切な人が一人でも亡くなったら、人生って、その命があった頃とは別物になるじゃん。増えるのも、同じくらい別物になるインパクトがある。
妊娠も出産も、そもそもそこで自分の人生が終わるかもしれないような挑戦だし、自分が無事でも、生まれてきた子どもに病気や障害があったら、働くこと自体が難しい状況にいくらでもなり得るし、それは万が一というほど確率の低いことでもない。
そして母子ともに無事で健康であったとしても、やっぱり人生は産む前とは別物になるし、そもそも別物にするために産むんじゃん。同じでありたいなら、産む必要もないわけで。
その子と出会った先にいろんな思い出を作るために産むのだから、いなかった頃と同じような人生に戻るわけでは当然なくて、かなりの大きな差が出る。てか、差を楽しむプロジェクト。



