「自分」を生きたい人に片づけをすすめる理由

片づけを知ることは、分け方を知ること。「ただある」にメスを入れよう。

#連載エッセイ
#「自分」を生きたい人に片づけをすすめる理由

片づけって「いるモノ」と「いらないモノ」って分け方じゃ不十分ダメなんです。本当は「明確に使うモノ」と「明確にいらんモノ」と「使うか使わないかもわからん、曖昧にそこにあるモノ」って分け方です。

この「曖昧なモノ」をいかに持っていたかを直視して、しっかり向き合って、意図をもって明確に分けないといけない。この見方に私は痛く感動しましてね。部屋の中の、そして、自分の中の「曖昧な部分」が自分をモヤモヤさせてたのかよ…と悟ったわけでした。

断言します。「整理」とは「片づけ」とは、この「ただある」にメスを入れることです。

「出番がいつかははっきりわからない」
「明確に必要だから持っているわけではない。でもいらないとも思えていない」
「ただ、なんとなくある」

そういうモノがあなたの部屋にもないですか?それが「ただある」です。

前回のコラムで 「整理の前に片づけのゴール(理想)」を決めようって話しました。理想がないと「ただある」の整理って難しいんですよ。だって、

「これはまだ使えるし…」
「お得だったから…」
「いつか着るかも…」
「いただきものだから…」
「高かったから、もったいない…」
「思い出があるから、手放せない…」

そうやって、過去や外の価値観に引っ張られるから。でも、それに勝る理想があれば「ただある」を整理できる。

「過去の話は置いといて、これは私の『今』に『向かう先』に必要?」
「世間の話は置いといて、私自身はこれを使うと心地いい?」

こうやって自分に確認をとって、「ただある」を「スタメン」「スタンバイ」に格上げするのか、それとも「不用品」として手放すのかを仕分けすればいい。迷ったら期間限定の「保留箱」を作ってもいいよ。シンプルでしょ。

「いいや、それが難しいのよ…」って思う人いる?そういう人に言いたい。

難しくないから。

「なんとなく」で家に置いていたモノと「理想」、どっちが大事ですか?

過去や外の価値観を基準に「なんとなく」で持ち続けることと、今と未来に向けた自分の価値観で「選んで」持ち続けること手放すこと、どっちが大事?

難しくないよ。即答できるやろ?

「なんとなく」で残しておく方が痛みを感じなくて済むかもしれないし、「捨てる」を避けることで自分が悪者にならなくて済むかもしれません。でも、ここで腹をくくって「自分の理想に従った取捨選択」ができるようになる必要があると思う。

全部捨てなさいって言ってるんじゃないですよ。

「いつかつけてみたいけど、派手だからまだ…」って持っていただけの赤リップを今つけるとか、「いつか発信する時のために買ってた…」って積んどいたデザイン本を開いて一つ画像を作ってみるとか、そういう仕分けもできる。そこから何かが始まることだってある。

「自分にとって本当に必要なモノは、自分で選ぶ」

そう決めて、やってみてほしい。
その力が鍛えられたら、コトやヒトにも応用できるから。

例えば、

・親やパートナーの価値観に合わせて続けている習慣。
・情熱がないけどなんだかんだで続けている仕事。
・「こうあるべきだ」と喜びなく守っているルール。
・誰かに誘われて何も考えずに趣味。
・なんとなくでフォローしている膨大な数のアカウント。

こういう「ただある」の中に、知らず知らずストレスになっているコトや、実は自分にとって宝物だったコトがあるかもしれない。

モノでも考え方でも人間関係でも「本当はこうがいいな」っていう理想に沿ってきちんと見れば、「これ、実は大事に思ってたわ」「これ、もう手放していいかも」って気づいて選んでいけると思う。

とりあえず、まずはモノから「整理」してみてください。

次回は、「収納」について話します。
「整理」はちょっと痛みを感じる部分があったと思うけど、「収納」はね、甘さを感じると思うよ。どっちも「自分と向き合う」のは同じです。お楽しみに。

これ読んで「なんかいいな」と思った人は、「読んでほしいな」と思う人に伝えてくださいね。中学校や高校の頃、授業中に手紙を回したみたいに。ほなまた。


かとう麻子
1984年高知県生まれ、大阪府在住。
8年間の専業主婦生活を経て、2020年に整理収納アドバイザーとして起業。
現在は社会人学生として仏教を学びながら、落ち着いてるのに落ちない心と尽きない行動力を引き出すモチベーターとして活動中。
オンラインサロンやトークイベントなどを多数開催。一児の母。