コンプレックスでご飯を食べる方法

ぼくが9浪してまで早稲田に入りたかった本当の理由

#連載エッセイ
#コンプレックスでご飯を食べる方法

みんながやりたいことは倍率が高い

初めまして、私の名前は濱井正吾と申します。

私は偏差値40の高校から、仮面浪人の時期と、昼に企業の正社員をしてお金を貯めながら夜に予備校に通う時期を含めて、合計9年間受験勉強を続けて早稲田大学に入学した人間です。苦労しました、9浪だけに。

当然、こんな特殊な経歴なので「なぜそこまでして、早稲田に入りたかったのか」とよく聞かれます。

その質問に、いつも私はこう返しています。「成功体験を得て自己肯定感が欲しかった」「自分をいじめた人間を見返したかった」と。かっこつけていますね。ですが、実はもう一つ、恥ずかしくてあまり表には出してなかった理由がありました。

「有名になりたかった」のです。

幼いころからあまり周囲の大人に褒められず、叱られて育ってきた私は、「自分を見てほしい」「評価してほしい」という承認欲求が非常に強い子どもでした。その点で、自己愛が強い動機ではありますが、先ほどあげた2つの理由とも密接に関わっています。すべて、包み隠さない本当の理由ですからね。

私は浪人をするにあたって、マスメディアや作家・芸人・クリエイターなど様々な分野で活躍するOBが多く、ブランド力のある大学に入ることで、「偏差値40の高校から大逆転した男」という切り口でメディアに出ることを密かに狙っていたのです。

山間部である私の地元の人たちでも、テレビに出たり本を出したりできれば、自分のことを認めてくれるかもしれない。メディアにツテのありそうな早稲田に行けば、自分も一旗挙げられるかもしれない、とそう感じていました。

そして私は、いつか自分が華々しい道を歩くことを信じ、受験勉強で粘りに粘って、27歳で早稲田大学に合格して進学しました。

こうして自分が持つ、唯一無二の経験と経歴があれば、書籍が出せると信じて疑わなかった私は、大学に入ってすぐに出版社に自分の企画を売り込もう!と考えます。

しかし、現実はそう甘くありませんでした。

正攻法で有名になれなかった1年目

私は大学に入ってすぐ、書籍の商業出版を目指すサークルに入りました。そこで私は、出版社が登録し、投稿する企画を編集者に見てオファーをいただける「企画のたまごやさん」というメーリングリストを教えてもらい、ひたすら企画書を書いて送り続ける日々を過ごします。

題名は「27歳から早稲田に入った男の人生逆転劇」「27歳からの学び直し」「偏差値40の高校から社会人を経ての再受験で早稲田に入る」などなど。

自分がどれだけ苦労し、這い上がるために努力し、成功に至ったかという本の構成案と見本原稿をひたすら書き続ける1年を送りました。

しかし、1年間企画書を書き続けたものの、これらの企画を出版社の方からお声がけいただくことは決してありませんでした。

1年生の終盤、サークルのOBのツテで出版社の方とお会いしたとき、その方は書籍出版に激しく固執する私にこう教えてくれました。

「1つの本を出すのにだいたい500万円がかかります。あなたが出版しようとしている実用書は、サラリーマンが読みます。無名の大学生の成功体験にお金を払うかどうかと言われると難しいので、また濱井さんが社会人として実績を積み上げたときに、改めて企画書を書いた方がいいかもしれません」

出版社の方の心のこもったアドバイスでしたが、これは私にとってとてもショックな一言でした。事実上の出版業界からの戦力外通告だったからです。

思えば、再現性のない、またもう多くの人にとっては過去のものである受験の経験が、わざわざ自分に役立つと思って書籍を買いたいと思う人がいる内容であるかは微妙でした。

また、自身の経験を「綺麗」に書きすぎていました。言われてみれば、名もなき大学生の美化した人生になど、誰もお金を払おうとは思いません。私は結局、その現実に気づくのに1年かかってしまったのです。

泥水をすする覚悟を決める

しかし、私はまだ、大学在学中の書籍出版を諦めませんでした。

私は自分に大学生活の4年というタイムリミットを課していました。31歳で卒業する予定の自分に新卒市場での価値がないことは覚悟していたので、4年間、必死にもがいてダメなら、諦めて資格を取って教師になろうと思っていたからです。教員になることも夢の一つではありましたが、学校に入ったらもう忙しく制約も厳しいと思っていたので、作家や表現者になるのは無理だと思っていました。

だからこそ、私はどんな手段を使ってでも在学中の出版を実現する必要がありました。そこで、出版社の方が僕に言ってくれたアドバイスの、「社会人になってから」の部分ではなく、「無名の大学生」の部分に注目しました。

「いま有名になってしまえば、出版業界も声をかけてくれるに違いない」と思ったのです。それからは、少なくとも書籍が出せるくらい有名になるにはどうすればいいかをずっと考えました。

そこで私は、みんなが「なりたい」と思っているものを目指すことを諦めるという結論に至りました。

東京大学に入れるのは全体の0.55%。プロ野球選手になれる人は0.16%。M-1グランプリでファイナリストになる可能性は0.001%(8540÷9)です。何かで成果をあげる人は、だいたい世間の1%未満でした。

自分の経歴は確かに特殊ですが、成功するために入らなければならない「1%以内」の領域には入れないと思います。だからこそ、正攻法での成功を諦め、「誰もやりたがらないけど確実に需要がある」隙間を探しました。

泥水をすすってでも、有名になろうと思ったのです。