コンプレックスでご飯を食べる方法

軸があるのは大事だが、自分の意見に固執してはいけない

#連載エッセイ
#コンプレックスでご飯を食べる方法

弱みを強みにする場合、いつかは認識を改める必要がある

前々回書いた一本目の記事では、9浪して早稲田に入ったあとに夢だった書籍の商業出版に至った話、前回書いた二本目の記事では、大学に入ったあとも克服できなかった根っこのコンプレックスを、武器に捉えて頑張った話を書きました。

書籍の出版とコンプレックスの克服を成し遂げたのはどちらも、「9浪」というマイナスを武器にしたことが大きいです。しかし、マイナスをプラスに転換することを頑張った中で、自分の中の認識を改めなければならないと気づくきっかけがありました。

そのため、今回は、早稲田大学の大学在学中と現在に至るまでで、どのように認識を変えていき、発信方法も変えてきたかについてお話させていただきます。

前々回の記事で、「バンカラジオ」のサブチャンネルで浪人経験を話した動画が80万回再生されたことがきっかけで「9浪」に引きがあることがわかった私は、自身のコンプレックスを深掘ることで、周囲と比較して異質であることが武器になると気づき、発信を続けました。

早稲田大学に在学していたときの私は、この「9浪」という言葉を軸にして自分の人生を紐解き、自身が住んでいた大学進学率が低い地域や底辺高校の経験、ブラック企業勤務の経験などを、貧困や非行、教育格差、地域格差などの社会問題に結びつけて発信を続けていました。

自分は不幸な環境に生まれて、不幸な人生を送ってきた。だから、同じように不幸な境遇の人を減らしたい。そう本気で信じていたからこそ、当時の発信には説得力があったのでしょう。毎日こまめな投稿を続けた結果、Xでの投稿を初めて2年が経過した4年生の夏ごろにはX(旧:Twitter)のフォロワーは1万人を突破。卒業式の直前期には2万人を超えました。

「社会的弱者」である自分の心の叫びが、世の中の人に届いている実感が確かにありました。

自身が辛い経験をして、そこを脱したからこそ、社会を良くしたいという思いがあったのは本当でしたし、だからこそ説得力のある発信ができていたのだと思います。

大学を卒業してすぐの4月には書籍出版が実現。5月には『激レアさんを連れてきた』、6月には『家、ついて行ってイイですか?』という人気番組に立て続けに出演し、フォロワー数は2万5000人まで到達しました。2022年の上半期はまさに、人生最良の時期でした。

しかし私は、この上半期を最後に、自信の発信に急速に説得力がなくなっていくのを感じてしまったのです。

「弱者」だと思っていた自分は、「弱者」ではなかった

私は大学時代から一貫して、弱い立場の人間がどのような状況に置かれているのか、どのような世の中にしていく必要があるのかを考え続け、発信をしていました。

時には、弱い立場の人への解像度が低い富裕層や高学歴者をも、強い言葉を使って批判していました。そのスタイルは大学を卒業し、企業に就職してからも変わりませんでした。

しかし、就職して3ヶ月が経過するころには、様相が変わってきました。

自分の発信に対する「RT」や「いいね」などの反応が微妙に鈍り、リプ欄で私の言動や姿勢を咎める声をたくさんいただくようになってきたのです。

それでも当時の私は、フォローしていただいた方が増えたから、批判も増えて当然だと開き直っていました。今までと同じように、強い言葉を使い、弱者にきびしい世の中の仕組みを訴え、強者を批判するような発信を続けていたのですが、新たにフォローしていただく方は増えず、応援の声も減り、批判の声だけが日に日に強くなりました。

なぜ、そうした声が増えて行くのかが、私には分かりませんでした。それでも、何かを変えなければ現状は変わりません。そこで、このままでは良くないと考えた私は、批判の声に目を通してみることにしました。すると「お前は恵まれている」という意見がたくさんあったのです。

大学時代はそういったコメントがついても、擁護や応援のコメントのほうが多かったので聞き流していたのですが、大学を出てからのコメント欄には批判の声のほうが目立つようになっていました。

ここで私は気づいてしまったのです。「弱者の声を代弁したいと思っていた自分は、すでに弱者ではなくなっていた」のだと。

「31歳で大学に通っている苦学生」だった自分はすでに「ふつうに会社に勤めている早稲田卒の大人」になっていました。

それどころか、浪人経験者の代表のように、浪人の経験談をメディアで話させていただいたり、記事を書かせていただくようになっている自分はもう「弱者である自分を正当化し、その経験で金を稼ごうとする悪い大人」に見えてしまっていました。弱者の代弁をしているつもりが、逆に周囲からは弱者を食い物にするような人間に見えていたのです。

批判の声に耳を傾けた私は、ここで初めて、大学時代から好感度が急落している原因に気づきました。そこで、このままではいけないと思い認識を改めることにしたのです。