私が著者になるまで

ほんの少しの勇気で、人生は動き出す 齋藤邦雄

#私が著者になるまで

母の死でゾンビ状態になった漫画家が、「アウトプットの力」で生還を果たすまで 齋藤邦雄

ITのメガベンチャー企業に勤務後、30歳で漫画家デビューという異色の経歴を持つ、齋藤さん。その経験をいかし、ビジネスコミックの執筆に力を入れてきました。著書『もしも社畜ゾンビが『アウトプット大全』を読んだら』(サンクチュアリ出版)には、母の死をきっかけに無気力なゾンビ状態となった自らが、アウトプットを繰り返すことで再び日常を取り戻したという体験が込められているといいます。一家離散、パニック障害……困難を前に、希望を失うことなく漫画家という夢を叶えた齋藤さんの人生の軌跡を追いました。

顔も知らぬ母の面影を追い、漫画の道へ

聞き手
主人公がゾンビのビジネスコミック……かなり斬新ですが、そんなにゾンビが好きなんですか?
いえいえ、自分の趣味趣向というより、マーケティングの結果です。
齋藤さん
聞き手
どういった経緯でゾンビ案にたどり着いたのか、興味があります。
まず、普段ビジネス書を読まない人でもおもしろく読めるような漫画を描くという、大きなテーマがありました。そこでとりあえず、ビジネス書とは縁遠い女性たちが普段見ているコンテンツを聞いてまわりました。
齋藤さん
聞き手
その結果は?
恋愛もの、アクション、日常系といったジャンルが人気でしたが、海外ドラマ『ウォーキング・デッド』にはまっているという人もいて、ゾンビものも候補に入れました。次に考えたのが、表紙です。目を惹く表紙を作らねば、本を手に取ってもらえませんからね。
齋藤さん
聞き手
なるほど、それでゾンビですか。
はい。恋愛ものや日常系だと、どうしても初見のインパクトに欠けます。パッと見ていい意味で異物感のある表紙にするには、ゾンビものがもっともよかった。そこから、「社畜ゾンビがアウトプットの力で生を取り戻していく」というイメージができ上がっていきました。
齋藤さん
聞き手
……とはいえ、やはりご自身もゾンビマニアなのでは?
いえ、嫌いではありませんが、マニアというほどではないですね。
齋藤さん
聞き手
大手ITベンチャーに就職後、30歳で漫画家デビューされていますが、なぜ漫画家の道を選んだのでしょう。
今思えば、母の影響が大きかったです。僕が2歳のときに両親が離婚して以来、会うこともなかったので、顔も覚えていませんが。
齋藤さん
聞き手
……疎遠でも、影響を受けたと。
はい。僕は両親の離婚後、祖父母や叔母の家に預けられて育ちました。4歳で叔母に引き取られたのですが、その家には同学年のいとこがいて、常に彼に遠慮していた印象があります。自分が勉強や運動をがんばっても、心からはほめてもらえないような気がしていました。そんな中、母と子という濃い血のつながり、無条件のぬくもりを、心の奥底で求めていたのだと思います。
齋藤さん
聞き手
複雑な家庭環境だったんですね。
父は仕事で忙しく、感受性の強い兄は反抗し、家庭環境は正直ぐちゃぐちゃで、僕は一刻も早くそこから離れたかったです。ですから小学生のうちから、自分ひとりの力で生きていくにはどうしたらいいかを考えていました。当時は、ひとりで完結できそうな仕事はアーティストか作家くらいしか思いつきませんでした。
齋藤さん
聞き手
漫画との出会いはいつでしたか。
中学から寮生活を始めたのですが、そこでは先輩から借りて読む漫画が唯一の娯楽でした。中でも鮮烈な印象だったのが、福本伸行先生の漫画で『銀と金』や『無頼伝 涯』で、時間を忘れて熱中しました。もともと絵を描くのは好きでしたし、そこから漠然と、漫画家になれたらいいという感覚はありました。
齋藤さん
聞き手
お母さんは、どう漫画とかかわっていたのですか。
僕が18歳の頃に叔母から、母が美術大学の出身で絵を描くのが好きだったと聞き、血のつながりを感じて、とてもうれしくなりました。それで芸術系の大学に進もうと決めたのが、漫画家への最初の一歩だったかもしれません。
齋藤さん
聞き手
それで在学中から漫画を描き始めたと。
そうです。大学は夜間だったので、昼はレンタルビデオ店でアルバイトをしつつ、漫画も描いていました。ちなみにこのバイト先で、ホラー映画のフロアに配置され、知識をつけるためゾンビ映画も観まくりました。その中で、ゾンビが日常生活を送り、思い悩んでいるような映画がいくつもあったのも、今回のヒントになっています。
齋藤さん
聞き手
そうなんですね。その頃、漫画はどんなふうに描いていたのですか。
いくつか賞に応募し、入選はしませんでしたが、とある事務所から声がかかり、担当編集がつくことになりました。
齋藤さん
聞き手
おお、プロの目に留まったのですね。
そこまではよかったのですが、「これは本当に漫画家になれるかも」と思ったことがプレッシャーとなり、漫画を描く手が止まってしまいました。担当編集に見放されたら終わりだ、次に持っていくネームは絶対におもしろくなければならない……そんな怖さがあり、アイデアをなかなか形にできずに時間ばかり過ぎて、結果として編集部と疎遠になっていきました。
齋藤さん