私が著者になるまで

相手へのリスペクトを素直に表現する「かわいい言い方」で人生が変わる! 山﨑拓巳

#私が著者になるまで

ビジネスコーチとして、全国各地でセミナーや講演を続ける山﨑拓巳さん。コミュニケーション術やメンタルマネジメントをテーマにした著作群は、多くの読者を惹き付けています。最新作『なぜか感じがいい人のかわいい言い方』(サンクチュアリ出版)では、相手との心理的な壁を取り払う会話術にフォーカス。作家デビューの経緯から、コミュニケーションの極意、新刊の読みどころまで、“山﨑拓巳ワールド”の秘密に迫ります。

<聞き手・澤田聡子>

「言葉には魔力がある」と気付く

 

聞き手
ご挨拶から5分足らずなのに、いつの間にか私自身のことをすべてお話しちゃっていてびっくりです……! 昔からコミュニケーション上手で、「話し方」については、意識されていたんですか?
自分の話し方が気になり始めたのは、起業した20歳のとき。ビジネスの現場では、これまで仲間うちや家族間だけで通用していた「言語」だけでは、伝わらないことがある。自分のフレームの「外」にいる人に届けるにはどうすればいいのか。だんだん世界が広がるにつれ、「今の自分じゃダメなんだ」と気付いたんです。
山﨑さん
聞き手
起業したことが「話し方」を変える機会となったんですね。
もっとさかのぼると、高校時代にその土台が形づくられたのかもしれない。「言葉には魔力がある」と気付いたのが高校時代だから。当時から「心に響いた言葉」をノートに書き留めるようにしていたんですね。たとえば、「女の子にモテる言葉ってなんだろう」って考えたときに、それは『少年ジャンプ』ではなくて、『別冊マーガレット』に載っている(笑)。
山﨑さん
聞き手
少女マンガをお手本にするとは、目の付け所が違います……!
『月刊セブンティーン』と『別冊マーガレット』を、6年間購読していました(笑)。それで、こういうことを言えば女の子たちは喜ぶんだな〜、と気付いた言葉をノートに書き出していったんです。
山﨑さん
聞き手
確かに、『別マ』には「女の子が欲する言葉」があふれている(笑)。
高校時代に陸上競技をやっていたんですが、他校で練習したときにそこのコーチが、最後に選手たちを集めて、「試合まで、あと25日。遠くに見えていた目標が、だんだん目の前に近づいてきた……」って檄を飛ばすんですよ。それがなんともカッコよくて、自分の高校でも練習後に「キャプテンのオレからひと言……」って真似してみたら、見事に大失敗(笑)
山﨑さん
聞き手
え〜っ、そこは「初めて言葉で人の心を動かした」っていう成功譚かと思っていました(笑)
「スベって、こっぱずかしかったじゃん!」っていう失敗談です。でも、部活では懲りずにそれを繰り返して、だんだんスピーチが上達していった。当時の陸上部の後輩たちと会うと、「先輩が練習の終わりに話していたことが、今でも役に立っていて……」と、いまだに言ってくれるんですよ。
山﨑さん
聞き手
それは感激しますね。山﨑さんにとっても、「話し方」に注目するきっかけになったんですね。
だから、僕は人を成長させるのは「ごっこ」だと思っている。高校時代の秀逸な「陸上コーチごっこ」の経験が、今でも生きていると思うんですよね。
山﨑さん
聞き手
なるほど。自分のキャラって「ごっこ」でも変えられるんでしょうか。
たとえば、「戦隊モノごっこ」をやっているときは、普段の自分のキャラクターではなくなるはず。「赤レンジャー」をやるなら、頼れるリーダー的なセルフイメージになりますよね。「ごっこ」は、いわば自らのフレームの外にいざなってくれる“憑依現象”なんです。
山﨑さん

“作家ごっこ”で作家になる

 

聞き手
文章も昔から書いていらしたんですか?
僕は、モノ書きに憧れていた10代のころ、片岡義男さんが好きでよく読んでいたんですよ。
山﨑さん
聞き手
片岡義男さん、カッコいいですよね。
尾道をひとりでそぞろ歩いて、帰宅したら片岡義男の文体で文章を書いて。で、読み返してみて「なんにも面白くない」って落胆した(笑)。10代のころはとにかく、なんでもいいから書きたかった。「書くこと」がゴールだったんですね。
山﨑さん
聞き手
その「ゴール」が変わったのはいつだったんですか?
ビジネスを始めた20代のころからです。いろいろな人と出会ってその心の機微に触れ、コミュニケーションのコツをつかんでいくうちに、それを多くの人たちにも伝えたくなった。最初のうちは、セミナーを通じて、自分の経験を話していたんだけど、「書く」ことでも伝えてみたいと思うようになったんです。
山﨑さん
聞き手
誰かに伝えたいことができて、また文章を書くようになったんですね。
画家でいうと「描く」ための画材が増えた、という感じかな。今まではクレヨンでしか表現できていなかったのに、絵の具もあるじゃん! アクリルガッシュもあるじゃん!……という感じで、今度はツールとしての文章に、再びめぐり合うことができた。
山﨑さん
聞き手
1998年の『人生はピクニック』(サンクチュアリ出版)が作家としてのデビュー作ですが、これはどういう経緯で出版されることになったんですか?
達成したい夢があるとき、「努力するぞ」と力むと、かえって「努力しなければいけない現実」が目について、ハードルが高くなる。「自分には到底できないな」と感じてしまうと、「達成できない現実」が脳を占めることになる。そうではなくて、「自分はもうその夢を実現しているんだ」という世界観のなかで生きてみると、足りないピースは自然に集まってくるはずだ、という発見を文章にして伝えてみたくなったんです。
山﨑さん
聞き手
最初は「ごっこ」でしかなくても、それを信じることで、チャンスが引き寄せられて現実になるということなんでしょうか。
そのロジックで考えると、「もう私は作家なんだ」という世界観からスタートすれば、きっと本が出ることになるだろうと思った。そこでまず、ホテルに自分を“カンヅメ”にして、のちに『人生はピクニック』となるものの草稿を一気に書き上げたんですよ。
山﨑さん
聞き手
その時点では、出版の予定はなかったんですよね。
全然なかった。でも、ホテルにカンヅメになって「作家ごっこ」をした2週間後くらいに、たまたまサンクチュアリ出版の創業者・高橋歩さんと会う機会があったんです。「本を出してみたいんだよね」って言ったら、「いやいや、皆さんそうおっしゃいますけど、原稿書いていませんよね」って返されたから、「実はもう原稿書いちゃったんだけど」って(笑)
山﨑さん
聞き手
すごいタイミングですね。
もう原稿があるわけだから、話が早かったんだよね。で、「一度出してみようか」となって、本を書く人生が始まったわけです。
山﨑さん
聞き手
『人生はピクニック』と続編の『人生はかなりピクニック』(いずれもサンクチュアリ出版)は、ピクチャーエッセイという形で、山﨑さんのイラストやアート作品も多数掲載されていますね。
そう。当時は作家と同じく「絵描きになりたい」という欲求もあって、「アーティストならニューヨークで個展だろ!」ということで、自分の作品を持って単身、ニューヨークに乗り込んだりもしていました(笑)。ソーホーのギャラリーを回って売り込むわけだけど、どこに行ってもしっしっと冷たく門前払いされて、かなりヘコみました。ホント、映画みたいに追い払われるんだよ!
山﨑さん
聞き手
よく、心が折れませんでしたね……!
いや〜、心どころか屋台骨まで折れそうになったんだけど、めげずに何度も交渉していたら、展示してくれるギャラリーが現れて。目標通り、ニューヨークで個展を開くことができました。そんなこともあって、デビュー作には、その個展で展示した作品を入れてもらっていますね。
山﨑さん