犬は、飼い主さんと一緒にさえいられれば同じ毎日でも満足だって、知っていましたか?
犬と人との感動ストーリーを20話収録した書籍「犬が伝えたかったこと」より、第3話「フィロス」のお話をご紹介します。
目次
妻が通った散歩道~14歳の雑種(♂)を飼う65歳男性より~
今日も町はよそよそしく感じられた。
近所で人とすれ違っても、商店街で買い物をしても、運動会や盆踊り大会の声が聞こえても、すべて自分とは無関係なことに思えた。
1年前、私は妻をがんで亡くしている。
妻は活動的な人だった。地元の人たちとテニスをしたり、お茶会や、山歩き会、能の鑑賞会などにも積極的に参加していた。
私は閉鎖的な性格で、近所に友人はおらず、仕事以外に特にこれといった趣味も生きがいもなく、休日になれば一日中家でテレビを見て過ごしていた。
町工場を40年以上勤めた後は、毎日家に居るようになった。
そんな私のことを、妻は疎ましく思っていたに違いない。
家で2人でいても気詰まりで、妻が話題を出しても会話は続かなかった。私はよく「どこか勝手に出かけてくれてもいい」と言ったが、妻は首をふるばかりで、結局、妻とともに過ごした思い出がほとんどない。
妻は私と違って友達に恵まれていたし、趣味も地域活動も熱心で、ひとりでも生きていける人だったから、いわゆる熟年離婚をしてあげるべきだったという後悔もある。
亡くなる前のほんの数年だけでも、自由を与えてあげられればもう少し幸せだったんじゃないか、と。
ひとりになった私に残されたのは、犬だけだった。妻が14年前に犬の譲渡会で引き取り可愛がっていたフィロスという犬だ。
妻は朝晩熱心にフィロスと散歩に出かけていたが、フィロスはほとんど世話をしない私にあまりなつかなかった。
妻の死後も、私は最低限の世話しかしていない。つまりドッグフードをやり、座布団を与え、トイレシートを交換するだけだった。
老犬のフィロスは横たわっている。
フィロス。話しかけてもいつも反応はなく、フィロスは時々、呼吸をすることを忘れていたかのように深いため息をつく。
きっとこの犬の人生は、妻がすべてだったんだろう。主人のいない余生には何の興味もない、といった態度だ。なんとも言えない気持ちになる。
老いた犬の姿が、ふと自分と重なった。
これといった生きがいもなくなったからといって、人生の終わりをただ待っているだけなのか。
それではたして生きていると言えるのか。
急に腹立たしい気持ちになった私は、妻の遺品と一緒にしまっていた引き綱を引っ張りだした。
フィロスを散歩に連れ出すことに決めた。
私と散歩をするのは初めてだったが、フィロスは立ち止まったり、しゃがみこんだりすることもなく、ただおとなしく歩いた。花が咲き並ぶ路地を歩き、小さな公園を横切り、犬連れたちがテラスで談笑する喫茶店の前を通る。
きっと妻と何度も歩いたおきまりの散歩コースなのだろう。ゆっくりした動きだったが、引き綱からはしっかりと先を歩く意思が伝わってきた。私はその後をただついて歩くだけでよかった。
商店街に入ると「お、フィロス」と豆腐屋の主人が声をかけてくる。豆腐屋は飼い主が違うことに気づいたようだが、「今日も散歩か。よかったな」と言ったあと、私に会釈をよこした。フィロスはのろのろ豆腐屋の足元に歩み寄ると、ぎゅうっと鼻を押し付けた。
さらに歩くと「フィロス?」と、小さな犬を連れたおばあさんが声をかけてきた。「お
父さんとお出かけなの? よかったわねえ」おばあさんがやさしく頭をなでると、フィ
ロスは気持ちよさそうに目を細める。
また先を行くと「フィロス、フィロス」と子どもたちが駆け寄ってきて、フィロスの背中や首をなでていく。フィロスは短い尻尾をゆらしてこたえた。
フィロスの散歩コースはいずれも私の知らない、生前に妻が見ていた光景のようだ。
やがて、川沿いの土手に出る。
老犬は大きな尻を左右に振りながら歩き、草花や電柱や落ちている物に関心を向け、鼻を近づけた。そして時々、何かを伝えるようにこちらを振り返る。
私もフィロスにつられ、土手からの景色をながめた。
追いかけっこをする子どもたち。バドミントンで遊ぶ家族。ジョギングをする若者。
その手前を大きな川が流れ、川面は夕陽をきらきらと反射している。
川沿いのベンチの前で、ふいにフィロスがぺたんと座り込む。
くたびれた、というよりはいつもそうしているようだった。
仕方なく私もベンチに腰をかけると、キーン、キーンという金属を研磨する音が聞こえた。
それはよく聞き慣れた音であり、ずっと耳に残っている音だ。
大好きな音だ。
目を閉じると、涙がにじんでくる。
そこは、私が勤めていた町工場の裏だった。
あいつはいつもここで休んでいたのか。
まぶたの裏に、フィロスと工場を眺める妻の姿が浮かんだ。
フィロスは友情的な愛を示す。
フィロスの愛は一度獲得されると、永遠に消えることはない。
言葉を交わさなくても、ずっとそばにいたい。
(著者・ドッグライフカウンセラー 三浦健太さん解説)
犬と人間との大きな違い。
それは「くらべる」という行為によくあらわれます。
人間はなんでも「くらべる」ことが大好きです。
自分と他人、自社と他社、うちの子どもとよその子ども。
どっちが得か、どっちが早いか、どっちが価値があるかなどをくらべます。
それだけではなく、朝と夜、昨日と今日、今年と来年、といった時間の比較もします。
ですから同じことをくり返していると、人間の場合は飽きてきます。
まったく変化のない環境に居続ければ、退屈を通りこして苦痛にもなってくるでしょう。
それは人類の進歩のためには必要なことです。
「くらべる」ことができるからこそ、人間は夢や希望を持ち、新しい行動を起こそうという気持ちを生み出せるからです。
しかし、犬はちがいます。
犬はそもそもあまり「くらべる」ことをしません。
その環境が快適でさえあればそれでよく、できるだけ変化しないことが望ましいのです。
同じ時間に起きる。同じ時間に食事をする。同じコースを散歩する。同じように飼い主に甘える。
そんな毎日を、どれだけくり返しても飽きません。
むしろあまり変化のない日々は、犬に安心感を与えます。
犬は季節の移り変わりや、飼い主さんのちょっとした変化を感じられるだけで十分しあわせなのです。
犬が求めているのはいつもと変わらない環境と、安定した飼い主さんの愛情、ただそれだけです。
犬と泊まれるホテルや、犬が遊べるテーマパークに行けなくてもかまいません。
特別においしいごはんを食べられなくても、きれいな夕日を見られなくても大丈夫。
犬は目の前に、飼い主さんの〝変わらぬ愛情〟さえあれば満足です。
「変わらぬ愛情で接する」と、言葉で言うのは簡単でしょう。
ただ日々の安定した生活に飽きてしまいやすい私たち人間が、飼いはじめたころと同じような愛情を、ずっと愛犬に対して持ち続けるのは意外と難しいことかもしれません。
犬が飼い主さんに対してそうしているように、飼い主さんも毎朝、愛犬を新鮮な気持ちで見てあげてください。
(画像提供:iStock.com/kohei_hara)