イベントレポート

HSPで楽しく生きる30代の逆転ストーリー/もも@momo__hsp

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人は誰でもいつからでも輝ける。転職3回、メンタルダウン2回。現在はHSPを軸に心地よい生き方についてTwitterで発信するももさんが、どん底で傷ついてばかりの人生から「自分に生まれてよかった」と思えるようになるまでの軌跡をお伝えします。

「自分」を見失い続けた30年間

「生きづらさ」を感じる日々

私は小さいころから「自分に生まれてこなければよかった」と思っていました。ずっと生きづらさを感じる日々。いつも誰かの目を気にしてばかりいましたし、優秀な姉と比べて自分のできないことばかりが目についてばかり。気弱でいつもいじめられていました。高校生のときには、処方されていた睡眠薬を大量に服用して救急搬送されたことも。とにかく「どうしたらこの命を楽に早めに閉じることができるのか」をいつも考えていました。

「生きることを諦めろ」

それでもなんとか生きていたのですが、26歳のときに、勤めていた銀行で一般職から総合職になり、そのときの上司から「お前は生きていてもしょうがないから、生きることを諦めろ」と言われました。

その当時、同じ部署に女性の先輩がいて、私のことが好きではなかったからか、仕事のやり方についてずっと嘘を教えられていました。上司からは私が嘘をついていると思われてしまい、間違って教わったやり方に対して机を蹴られたり、稟議書を目の前で破られたりと、とにかくひどい仕打ちがありました。「生きることを諦めろ」という言葉で今までの感情が確定したと感じ、1回目のメンタルダウンを経験します。

銀行を辞めリース会社に転職をしたことで心身は回復したのですが、生きづらさは解消されませんでした。人生の主役は自分なのに、自分ではなく他人の人生を生きている感じです。

そんなことが続いていた29歳のときに、自分にとって一番大事だった存在が、急にこの世からいなくなってしまったのです。私はその人がいてくれたことにすごく支えられていたと気付き、「人って生きているだけで価値がある」と思うようになりました。

だとしたら、自分もとりあえず生きていたら何かしら提供できることがあるのではないか。そんな想いから、自分の人生を切り拓こうと30歳で2回目の転職を果たします。このときの転職先は有名な企業。当時の自分のスキルでは本当は入れないような人材系のコンサルティングファームに、運よく入れていただくことができました。

見えたかすかな光 ~HSPを知る~

ですがまだまだ生きづらさを感じていました。そしてあるとき「生きづらい」でネット検索をしてみると、検索結果のなかに「心が疲れやすくて生きづらいのは『HSP』かもしれません。」と出てきたのです。
調べてみるとHSPはHighly Sensitive Personの略で、とても感受性が強くて繊細で敏感な人という意味。HSPの特徴は、私に見事に当てはまりました。

特に、私は「HSS型HSP」で、「隠れ繊細さん」と言われているタイプだと思いました。HSSは「刺激追求型」のことで、刺激を求めるけれど繊細だという矛盾した性格が合いまったタイプです。一見すごく明るくて、人からは元気そうとか、悩みが無さそうと言われるけれど、家に帰ったら一人反省会。あんなこと言わなければよかったとか、きっと嫌な気持ちになったかなと考えてしまうタイプです。

けれど、当時は周りにも理解をされませんでした。先輩と1on1で面談をしたときに「私はHSPだと思うのでHSPなりに楽しくやっていこうと思います」と話しました。すると「それって病気だからがんばって治さないと辛いよね」と言われ、やっぱり私がおかしいのかと思い一旦忘れることにしました。

コロナ禍の変化に完全敗北

2回目のメンタルダウン

そんななかでコロナ禍となり、2回目のメンタルダウンを経験しました。会社は研修やセミナーなどを提供していたので、多くのキャンセルが発生。法人営業として、「営業数字を上げる自分こそ生きている価値がある」とずっと思っていた私にとって、数字が上がらないということは最悪なこと。「数字が上がらない自分は無価値」とまで思ってしまいました。ずっと生きる意味がないと思っていた自分に輪をかけるようにして、ついに数字さえ上がらなくなってしまった。慣れないリモートワークに適応できなかったことも重なって、2回目のメンタルダウンにつながってしまいました。

転職活動で出会ったTwitter

この会社では力を発揮できないし、新しい環境に身を置いた方がきっと良いと考えてまた転職を決意しましたが、今の状態だと法人営業はもう厳しいなと思いましたね。何か新しい仕事をしようと思って探していたとき、マーケティングという言葉に出会いました。Webマーケティングなら特に「人に会わなくても仕事ができるから」という理由で、今思うとすごいレトリックだと思いますが、やってみようと決意。

ただマーケティングは人気の職種なので「30代×未経験×コロナ初期」という3重苦で、転職活動は当然上手くいくはずもなく。そんななかで、転職コンサルタントの方に「Twitterを始めてみませんか」と言われました。140文字にまとめるために文章力もつくし、マーケティング力もつくし、時代を読む力もつくからということでした。

半信半疑でスタート 数字を追い求める日々

半信半疑なままでしたがとりあえず始めてみたところ、営業職が長かったからか、とにかく数値を出そうとういう営業=ゲームのような感覚になってきました。それに伴い、フォロワー数も少しずつ増加。ですが、全くうれしくありませんでした。朝3時に起き、9時まで6時間連続リプ(ツイートに対する返信)をしたり、リプ交流会でお互いに反応率を上げたり「自分らしくない」発信に疲弊してしまったのです。

そもそも、誰に何を伝えたいのかを考えていませんでした。「ウケないかな」とか「ネタにならないかな」とか「注目されないかな」と、ただただ承認欲求のままに生きていたので、本質的な発信がまったくありませんでした。目的がないまま、とにかく数字を追い求めていたのです。

原点になった「せらかなセミナー」

2020年6月から3か月ほど運用していてこれでいいのかと思っていたときに、せらさん(@sera_sera_sera8)とかなさん(@sos_kanakumagai)のセミナーに参加したのです。お2人で作り上げてきたストーリーを語る姿がものすごくキラキラしていて素敵だなと感じました。そしてセミナーの最後には「Twitterは夢をかなえるツール」だとおっしゃっていたことを強く覚えています。この言葉をお聴きしたときに、今の私のTwitterは夢をかなえるツールではないけれど、もしかしたらやり直せるかもしれないと思いました。そしてこのセミナーから3日後の2020年9月9日に、自分を見つめ直すために「ご報告:ツイッターを離れます」というツイートをします。これが前のアカウントの最後のツイートになりました。

このアカウントは非公開にし更新も停止しましたが、次にアカウントを作るときには必ず自分らしい発信をすると決めました。「新しい自分で、Twitterの世界に必ず戻ってこよう」と。