普通の理学療法士だった僕が、病院を飛び出してイキイキと働くパラレルワーカーに……! 勇気を出して一歩を踏み出し工藤さんのケースは、人生の岐路に立つ人にとってのヒントが満載。そして、工藤さんの人生を大きく変えたインスタグラムの活用術も伝授します!
目次
まずは自己紹介——目が死んでいた過去の自分
現在、僕は非常勤の理学療法士として週3で訪問リハビリを行うほか、都内のレンタルサロンを借りて整体の仕事もしています。それと、インスタグラムコンサルティング事業も手がけており、いろいろな顔を持つパラレルワーカーとして働いております。また、スケボー、マジック、ダーツ、読書と、非常に多趣味です。
ここまで聞いて「イキイキしていて楽しそうだな」と思っていただいたかもしれませんが、僕の中学生の頃の写真を見ると今と全然違います。表情が硬く、目が死んでいるのです。バスケ部でキャプテンをやっていたのですが、自分の意見を言うのが嫌で、常に下にまわって争いごとが起きないように努めていました。
また、重度のアトピーとニキビで自分に自信を持てず、人の目が見られませんでした。学校のなかで、自分がどう思われているのか、クラスでどのような立ち位置なのかが常に気になっていました。他人の目を気にしすぎていた僕は、いじめられていました。
そんな僕が、今では「いつも笑顔だね」と言われるようになりました。人は本気で「変わりたい」と思って行動すれば、変わることができるんです。今日は、僕のこれまでの失敗や挫折から、みなさんに何かきっかけをご提供できればという思いでお話しさせていただきます。
パラレルワーカーになるまでの軌跡
理学療法士として病院に勤務
パラレルワーカーになる前は理学療法士として、回復期の病院に勤務していました。リハビリをして、自宅や施設に戻るためのサポートをする仕事です。当初は「この病院でずっとやっていくんだ、患者さんに貢献していこう」と強く思っていました。
しかし、入職後必死に取り組んでいた僕は、周りの先輩とのやる気の差を感じました。どの患者さんに対しても同じ治療をしたり、漫然と患者さんのお話相手になったりするだけの先輩の姿を見て、「同じようにはなりたくない」と思ったんです。
そこで、僕は仲間を集めてセミナー団体を設立しました。レンタルスペースを借りて、理学療法の知識を話す会です。2人からはじめて、80人規模にまでなりました。大した技術があるわけではありませんでしたが、同じように努力している仲間がいるということが感じられました。
それから、病院に対して違和感を感じる出来事がもうひとつありました。当時担当していた患者さんで、とても痛みが強く、何を試しても全然歩けない方がいました。検査をしてみるとがんであることが発覚し、リハビリ病棟から一般病棟に移ることになりました。
棟は違っても同じ病院なので、僕は業務が終わった後、その患者さんに会いに行っていました。僕は「患者さんとセラピスト」というより、「人と人」との関わり合いだと思っているので、会いに行くのは当然のことだと思っていました。でも、僕以外は誰一人会いに行っている人がいなかった。そこで僕は「おかしい」と思ってしまったのです。
彼女が終末期医療を行う病院へ転院するときには、その前日に会いに行きました。「またね」と言いながら、これが“最後のお別れ”になることはわかっていたので、帰り道で泣きました。後日、それから2〜3週間で亡くなったと聞き、「なぜ自分は何もできなかったんだろう」というやるせない気持ちになりました。
緊急事態宣言で「何かしないとまずい」と危機感
この経験で「ここにいたらダメだ」と強く思い、入職から3年目の年度末で辞めようと決意しました。ところが、理学療法士として働き始めて3年目の2020年4月に、緊急事態宣言が出されたのです。
僕は喘息を持っているので、外出を制限して家にいました。周りでは仕事がなくなっている人、収入がなくなったという人もいて、「僕も何かしないとまずい」と強く思ったのです。
プログラミング、ブログ、カウンセリングと、とにかくいろいろな勉強を始めました。誰も頼る人がいないなかで、ありとあらゆるものに手を出し、150万円近く使ったでしょうか。結果として、これらは全部うまくいきませんでした。
この時期はまさに迷走していました「何かやらなきゃ」と焦るあまり、自分の魅力ではなく、“稼ぐ”ことにフォーカスしすぎていたのです。友人から、「マコは、黙々とやることだと自分のよさが消えちゃうよ。人と関わっていたほうがいい」と言われて目が覚めました。
そこで、自分には何があるのかを振り返ったところ、「セラピーのスキル」と「独学で勉強したインスタのスキル」があると気づきました。そして、とりあえず「自己流でもいいから、自分でやってみよう!」と思ったのです。
まずは、レンタルスペースでの整体から始めました。インスタからの集客で、毎月2〜5人、多い時は10人のお客さまがいらっしゃるようになり、「イケる!」という手ごたえを感じました。
そしてこの年、僕のなかでもうひとつ大きな出来事がありました。90歳を超えた病院の患者さんに、「今日が一番若いんだよ」と言われたのです。その人は、すごくイキイキしていて、とにかく歳の重ね方がかっこいい方で。リハビリ中のことでしたが、ビリビリと電気が走ったように感じ、「何か挑戦するんだったら今しかない」と思ったのです。
この言葉に背中を押され、僕は年度末ではなく12月に辞めることを決意。貯金もなく、自己投資をしていた分の借金もありましたから、本当に勢いだけでした。
大ピンチから運命の出会い
そして2021年1月。2回目の緊急事態宣言が発出され、僕は大ダメージを受けます。予約はほぼゼロになり、貯金がなかったので支払いに困るように。書籍を売ったり、友人に頼んでお金を借りたりして、なんとかしのぎました。そして、それまで作業のために池袋のスタバに通っていたのを地元のベローチェに変え、その落差になんともいえない気持ちになったりもしました。
病院も辞め、毎日家とカフェの往復で、頼れる人が誰もいない状況。お金がないから友達とも遊べません。「自分は誰にも何の価値も提供していない」とふさぎこみ、家族としかしゃべらない毎日は孤独で苦しかったです。
しかし、そんな僕に人生を変える出会いが訪れます。2月に、ひょんなことから朝活社長のゆうさんと知り合ったのです。朝活サロンに入らせていただき、「ここでやらないと人生が変わらない」と決めて、毎日5時に起きて本気で取り組みました。
そして、インスタグラムコンサルティング事業をスタート。「本当に僕のところに集まるのか?」と不安でしたが、1回目の募集で50人の応募がありました。その中から10人のお客さまをお迎えし、事業を開始することができました。ここまで来るのに短い期間のなかでいろいろありましたが、たくさんの方とのご縁で今があると思っています。
この経験から得た学びは「人生はドラクエだ!」ということ。詳しく説明しましょう。