STORY11 リン
一緒にいたい!行動を起こすときの動機はなにか?
人間と犬とをくらべると、大きな違いがあります。
人間には理性が備わっているため、人間の行動はすべて理性に左右されてしまいます。
簡単に言ってしまえば、「行動するためには理由が必要」なのです。
好きな人に対して、好きと思うことでさえそうです。
なぜ好きなのか? なぜ素敵だと思うのか? などの理由を考えてからじゃないと、なかなか好きだと認めることができません。
しかし、もちろん、好きになることに理由なんて存在しません。
「好きな人と一緒にいる」という単純な行動ひとつとっても、なぜそうするべきなのか? なんて明確な説明はつかないはずです。
でもとても説明がつかないようなことでも、自分のやろうとすることに対して、なんとか理由をくっつけるのが人間の癖なのです。
一方、犬は自分の感情にひたすらまっすぐです。
その行動も直線的です。
犬がこの人と一緒にいたいと思った時は、とにかく一緒にいようとします。
それだけじゃありません。
自分のどんな行動においても、「なぜそうするのか?」「なぜそうしたいのか?」犬はわかっていないでしょう。
もしも人間の言葉を話すことができたなら、ただ「そうしたいから」と答えるはずです。
私たちは自分のわき上がる感情に対して、正当な理由をつけようとします。
そのとき、いい理由を思いつかない場合は、無視しようとしがちです。
また、理由を思いついたとしても、周囲の同意を得られないような理由しか思いつかなかった場合は、それを表現することもためらわれます。
それこそが、知的能力の高さのあらわれでもあります。
しかし犬がいる家庭では、少し様子がちがいます。
時々、この犬の〝まっすぐさ〟に影響されて、飼い主である人間側も「理由のない行動」をしてしまうことがあるのです。
そして理由のない、感情にまかせた行動が、夫婦、親子、恋人の関係を、大きく好転させることもあります。
犬のまっすぐな瞳を見てみてください。
「どうして一緒にいたいの?」
一緒にいたいから。
まっすぐな姿勢に、気持ちが強くゆさぶられるのです。
* * *
行かないで
──14歳のパグ(♀)を飼っていた 35歳女性よりパグのリンはとても表情豊かな犬でした。
家族に怒られると泣きそうな顔をしますし、ごはんの時間が近づいてくるとパッと目を輝かせます。
留守をしていた家族が帰ってくればニコニコしながら突進してきますし、家族に留守番を頼まれそうなときは不満そうな顔でクンクン鼻をならします。
そんなリンのことが大好きな私は、いつも一緒にソファの上でくっつきあって、リンの顔を愛おしい気持ちでながめながら体をなでてあげました。リンのむちむちとしたさわり心地がお気に入りでした。
リンは感情を出すことが得意なのに、私は感情を表に出すことが苦手で、クラスの同級生たちからは「冷たい」「なにを考えてるかわからない」などと言われて敬遠されていました。
ただ感情の起伏がなかったわけではなく、むしろ傷つきやすい性格でしたし、嫌な感情を引きずりやすい性格でもあります。ただ私は自分が抱いている感情を、他人に対してうまく表現することができなかったのです。
私の父はほとんど家にいない人でしたが、そんな状況から感じるこのもやもやとした気持ちも、いつも家にいる母に向かって伝えることができませんでした。
はたして悲しいのか、腹立たしいのか、どうでもいいと思っているのか、それさえもわかりません。
父は時々帰ってくるたびに「学校はどうだ?」とか「うまくやってるか?」などとたずねてくるのですが、私はただ笑顔を貼りつけて「たのしいよ」「うまくやってるよ」としか答えられませんでした。
そんな私が吹奏楽部に入った理由はシンプルです。楽器の演奏だったら、スポーツのように声を掛け合ったりすることなく、あまり人とコミュニケーションを取らなくても済みそうだと思ったからです。
でも実際は、想像していたものとは違いました。
演奏中の部員たちは無言で、それぞれが自分の楽器に集中しますが、たとえみんな黙っていたとしても、楽器を通してお互いの考えや気持ちを通わせ合うのです。お互いに無言の会話をくり返しながら、ひとつの曲を作り上げていくのだということを知って以来、私は吹奏楽の世界に夢中になりました。
私の担当は打楽器でしたが、どれだけ叩いても叩き足りませんでした。部活が終わった後、部員たちと雑談をする時間も、私にとっては自分の考えを素直に話せる貴重な時間でした。
部活の帰りは夜9時を過ぎることもありました。
その分リンと触れ合う時間は減っていましたが、私はそのことを特に気にしてはいませんでした。
するとあるときから〝部活で帰りが遅くなる日は、バチが入ったスティックケースを持って出る〟ことに気づかれたのか、毎朝スティックケースが、鉢植えの後ろ、タオルケットの下、棚と棚のすきまなど、家のどこかに隠されるようになったのです。
リンはスティックケースさえなければ、私が早く帰ってくると信じているのでした。
おかげで毎朝リンとの知恵比べに勝たないと、私は学校に出かけることができなくなってしまいました。
私は「もうやめてよ」と何度も怒りましたが、リンはイタズラを全然やめようとはしてくれません。でもそれはきっと、私も〝宝探し〟をけっこう楽しんでいることにリンも気づいていたからでしょう。
でも吹奏楽コンクールをあと1週間後に控えていた朝は、さすがの私もスティックケースが見つからないことにイライラしていました。
「どこ? リン! 今日はどこやったの?」
いくら問いかけても、リンは反応しません。我関せずと、ソファの上で静かに眠っています。
すでに高齢だったリンは体力がないのか、一度眠りはじめるとなかなか起きなかったのです。
ちょうどその日のことでした。
授業が終わった頃、母から〝リンが危ないかも〟というメッセージが。
あまりにも突然のことに、私は半分パニック状態で学校を飛び出しました。
家に戻ると、父もいました。
そして両親の表情を見て、すでにリンが息を引き取ったことを知りました。
いっぱいの保冷剤に、リンが愛用していたタオルケット。
ソファの上で目を閉じているリンの横に、ぎゅうぎゅうに押し込まれているものがありました。
引っ張り出してみると、それはスティックケースでした。
「今日はよっぽど出かけてほしくなかったんだね」
母がそう言ったとたん、心の中にたまっていた感情が一気にあふれ出してきました。
「宝探しむずかしかったよ。ぜんぜんわからなかったよ。リンの勝ちだよ。降参だよ。むずかしすぎるよ。ぜんぜんわからなかったじゃない。リン、ひどいよ。もっと早く言ってよ」
私だって、お父さんのカバン隠したかったよ。
「帰ってこられなくてごめん」。そう言ったのは父でした。
驚いたことに、父の目も真っ赤になっていました。はじめて見る父の涙でした。
私はリンの体に顔をうずめました。
犬の匂い。弾力のある毛。リンのあんなに表情豊かだった顔はもう固くなりはじめていましたが、まだほんの少しだけ温かいような気がして、私は涙を流しながら心のどこかでほっとしていました。
同じ思いでいる両親の姿を、今日生まれてはじめて見ることができたからです。
その後、両親の間にどういう話し合いがあったのかはわかりません。
でも、父は次第に家に帰ってくるようになり、だんだんと母との会話も増え、父はいつの間にか家にいるようになりました。
あれから20年ほど経ち、私は結婚してすでに家を出ていますが、今もなお両親は仲良く暮らしているようです。
この世で生きる喜びの一つは、
誰かを信じて待つこと。