「伝説のホスト」から脱税事件で転落、壮絶人生で得た失敗学/井上敬一

フジテレビ『ザ・ノンフィクション ホストの前に人間やろ!』のカリスマホスト経営者、井上敬一。ホストクラブ時代の偉業、脱税事件による転落。そして恋愛コンサルタントとして再起を果たした今後の展望など、今すべてを語る!

20歳の大失恋を機に、カリスマホストの道へ

——なぜホストになったのですか?

きっかけは、20歳の頃の大失恋。当時、僕は立命館大学で哲学を学んでいて、高1から4年半付き合っていた彼女と結婚しようと思い、僕の実家で一緒に暮らしていました。それなのに、急に「好きな人ができた」と言われて。

彼女にフラれたのがショックだった僕は、自信を回復するために、勉強もせず大学でナンパするようになりました。そんなある日、大阪の北新地の女の人に、「そんなにモテたいならホストをやってみれば?」と言われたのです。

女の子と楽しく飲んでお金までもらえると聞いて、「そんな仕事があるのか、夢のようだ」と。さっそくバイト雑誌で見つけたホストクラブに申し込み、2カ月間体験をやってみたというのが、いちばん最初のきっかけです。

これだけならアルバイトで終わる話だったのですが、ちょうどその頃、母が連帯保証人になった人が、数千万円の借金を残して消えてしまって。僕も奨学金で大学に行っていたし、借金を返すためにはアルバイトではダメだと。また、自分自身も何かに挑戦したいという気持ちもあり、思い切って、ホストの世界へと飛び込みました。

——「5年連続ナンバーワン」「1日の売上1600万円」など、ホスト時代の偉業はどのようにして成し遂げたのですか?

ホストやホステスは、他の仕事と違って、席に座って「初めまして」と言った時点でお金が発生しています。相手は「笑わしてくれるの? 何かやってくれるの?」と期待しているわけですから、めちゃくちゃプレッシャーです。一発ギャグも何百回とやりましたが、もちろんウケない。

あるとき、ケン坊という研ナオコみたいな顔のホストの横についたら、僕からしたら全然おもしろくない話なのに、女の子はめっちゃ笑ってるんです。そのときに、「男と女の会話は違う」ということに気づきました。僕がしていたのは「男にウケる会話」なのだと。

それからは、とにかく観察しまくりました。その日のお客さんとの会話で答えられなかったことを、家に帰ってから書き出すんです。「あのドラマ見た?」、見てなかったら見る。「この歌、歌える?」、知らなかったら、次までに歌えるようにしておく。

そして、「ホストは私たちをお金でしか見てないんやろ?」とか、その場で答えに窮してしまったような質問は、家で考えて、次の日か、遅くとも1週間以内にはベストアンサーを返すようにしました。そうすることで引き出しが増えて、会話力がつき、お客さんに楽しんでもらえるようになりました。

「1日1600万円」で大阪ナンバーワンホストに

——1600万円を売り上げた日のことを教えてください。

ホストが最高の売上を上げられるのは、自分の誕生日です。このときは、少し前から「大阪でナンバーワンになりたいんだけど」と相談していました。すると、その方は600万円を紙袋に入れてきました。それで、鏡割りをひとつ200万円として、3つ買ってもらった(笑)。

ホストは、男を売る商売。「あんたのことを認めているよ」の対価が酒なわけです。このときは、お店が入っているビルの1階が酒屋だったので、お客さんはみんな原価を知っている(笑)。それでも、「僕から買ってください」と正直に伝えられるような間柄にしていくことが大事なんです。

——「伝説のホスト」から「経営者」に変わったきっかけは?

高校時代はサッカー、大学では哲学を学び、わりと健全なヤツだったのに、ホストはまったくの別世界。自分がやりやすい環境に変えるには影響力が必要で、そのためにはまず「数字」だと思ったんです。そこで、大阪ナンバーワンだった人の記録である売上1000万円を目標にして、4年目に1600万円を達成しました。

でも、自分自身で稼ぎ出すのは、どれだけがんばっても年間1億円程度が限界。ベンツもフェラーリも乗ったけど、もっとほしいし、1億では足りない。そこで、目標も達成したこともあり、後世の育成にシフトすることにしました。「僕の半分でいいから、稼げる人を育てよう」と。1人500万円でも、2人いれば1000万円になりますから。とにかく、お金がほしかったんです。

——人材育成にはどんな苦労がありましたか?

ホストクラブに入店してくるのは、元極道や少年院上がりなど、とにかくヤバいヤツらばかり。世間や親に認められず、社会からドロップアウトしてくる人が多いんです。いちばん驚いたのは、ひらがなを書けないスタッフがいたこと(笑)。

初めは、マニュアルをつくったりして、スタッフに「正しいこと」を伝えていました。でも、ある先輩に言われたのは、「感情で動く“感動”はあるが、理論で動く“理動”はない」ということ。人は「正しいこと」を言われたから動くのではないのです。簡単に言うと、「この人のためにがんばりたい」と思うから動く。

このことに気づいてからは、外での研修や遊びを増やしていきました。いわゆる、家族ぐるみの付き合いですね。一緒に風呂やゴーカート、釣りに行ったり。「京都の寺に本物のカッパのミイラがいる」と嘘をついて連れて行き、抜き打ちで座禅をさせたこともありました(笑)。

彼らと遊んだりしながら一緒に過ごす中で、箸の持ち方や帽子のかぶり方など、細かいことも一から教えていきました。テレビの密着でも流れていましたが、スタッフのお母ちゃん、お父ちゃんにも会いに行きましたね。

脱税事件が勃発、「カリスマホスト経営者」からの転落

——人材育成もうまくいき、絶頂を迎えた中で、脱税事件が勃発しました。

きっかけは、うちの顧問税理士が逮捕されたこと。僕のところにも国税がやってきて、脱税の調べを受けました。「税理士に任せていただけ」と答えると、めちゃくちゃブチ切れられる。大人があんなに怒られることはない、というぐらい怒られましたね。

その税理士は国税局のOBでした。あとから聞いたら懲戒免職になっていた人で、国税局からマークされていたんですね。僕としては、税金は真面目に払うつもりだったのですが、「真面目に払っている人なんかおらん。アホちゃうか」と。
「非合法ではない。大手もみんなやっている」と言われて、「余計な税金を払うぐらいなら、スタッフの出店費用に回してあげたいし、給料も上げてやりたい」と当時の僕は思ったわけです。それが節税なのか脱税なのか、わかっていなかったんですね。

実は、この税理士の件は、僕以外にも25社ぐらい起訴されているんです。僕はあくまでもそのうちの1社だったのですが、僕の名前が大々的に大阪の新聞やニュースに出てしまった。
「カリスマホスト経営者」として集中砲火を食らっていたんです。今は大前提として、自分がすべて悪いと認めたうえでこうしたお話をしていますが、当時はこんなこと言えませんでした。

——事件の後、スタッフはどうなりましたか?

当初は、彼らのことを命がけで守ってきたという自負があったので、不安はありませんでした。「これぐらいのこと大したことないやろ、しんどいときこそ一緒にやってくれるだろう」と。

でも、全然そうはならなかった。いちばん初めに辞めると言ったのは、店の全てを任せようと思っていた「ナンバー2」。これはめちゃくちゃショックでした。彼に連鎖するかのように、スタッフはどんどん辞めていきました。店ごと独立されたこともありました。結局、一度人の気持ちが離れたらダメなんです。

昼間は検察で絞られ、夜は店で「オーナーのことは信じられません。俺も辞めます」と毎日言われて。「これが現実なんやな」と、骨身に染みましたね。追徴課税もつらかったけど、人が離れていくのがこんなにもつらいとは思いませんでした。

他の会社の役員や団体の理事などもしていたので、並行して各所への挨拶回りもしていました。その中で、知り合いの社長から「俺らはいいから、スタッフと話してやって」と言われたんです。「現場の彼らがいちばん不安やで」と。

それからは、とにかく毎日お店に行くようにしました。スタッフ一人ひとりに思いを聞いてもらって、逆に聞いて。でも、すでにどんどん崩壊していっているときで、もう遅かった。
こんなときこそ、外の体裁なんて気にせず、もっとスタッフと顔を合わせて「自分はこんなふうに考えている」という思いを伝えるべきだったんです。

生まれて初めての借金、そして新たな道で復活へ

——巨額の追徴課税が課されました。どん底の状態から、どうやって立ち直ったのでしょうか?

追徴課税は2億円。滞納税金には、年間14.7%の金利がかかります。毎日生きているだけで8万円かかる計算です。本税を返さないと、金利は永久に続きます。ある程度あったプール金もすっからかんになり、借りるしかありませんでした。このときがいちばん吐きそうでしたね。

そこで開催したのが「井上敬一復活祭」。「お金貸して」と言ったら誰も来ないので(笑)。80人ぐらい来てくれました。新規事業の計画を発表して、当時のパートナーと「正直に言います。お金貸してください」と頭を下げました。
手を上げてくださった人にすぐさま紙を配って、「なんぼいけるか書いてください」と(笑)。21人の方にお借りして、1日で4250万円が集まりました。

こうして借りたお金で税金を払い、一部は事業資金に回して、新しい会社をつくりました。お金を貸してくださった方とは「5年で返す」という覚書を交わし、年に何回か報告会を行っています。

最初は1年で返すつもりでした。IT事業を起こそうと、システムに1000万円を注ぎ込んで失敗したりもしました。この、何かあったときに「一発で返して、早く楽になろう」という気持ちも失敗の原因だったんでしょうね。

生まれてこのかた、今がいちばんコツコツ働いていると思います。大学辞めてすぐにフェラーリ乗ってましたからね(笑)。夜の仕事の1万円と、こういう仕事の1万円は重みが全然違います。年間の売上が、ホストクラブの頃の1店舗の売上程度。でも、一発でバーッといくのではなく、ひとつずつやっていくことが大事なのだと気づきました。

——ホストに戻らないのは、なぜですか?

ホストの仕事は短命です。みんな「将来は違うことやりたい」と思って、その思いを糧に仕事をしている。だから僕は、みんなの「バーがやりたい、飲食店がやりたい」という夢を順番に叶えてあげようと、スタッフに投資してあげていました。

でも、これが全部うまくいかなかった。「やりたいこと」ではなくて、「社会に求められていること」をやらないといけないことに、当初は気づいていなかったんですね。だから、人にやらせる前に、まずは自分がやってみせようと「ホスト引退宣言」をしたんです。事件が起こったのは、それからでした。

ホストをやれば儲かるのはわかっているし、ノウハウもある。正直、「戻ろうかな」と思ったこともあります。でも、一度決めたこと。事件のことについては全部僕が背負い、店は名前を変えてそのまま続けられるようにして、自分は一から新しいことをやるほうを選びました。

婚活支援ビジネスで、ホストの「その後」に光を

——東北の支援にも注力されています。

僕は尼崎の出身なので、大学生の頃に起きた阪神大震災を今でも覚えています。サッカーのグラウンドに仮設住宅ができて、「試合できひんな」とか思ったり。その当時は、「支援しよう」などという気持ちはなかったので、それがどこか心残りでした。

だから、東日本大震災が起きたときには、「何か自分でできることはないか」と。大阪の運送会社の社長にトラックを出してもらい、ガソリンを積んで、10日後には現場に向かいました。

発生直後は炊き出しや物資の供給に専念し、少し落ち着いてきたら、「ホストクラブ祭り」といったイベントも行いました。仮設に住んでいるおじいさん、おばあさんに出てきてもらって、シャンパンタワーをやるんです。大阪からグラスを持って行ったのですが、半分ぐらい割れていて、だいぶ低いタワーになりましたが(笑)。

こうして一生懸命やらせてもらっていると、不思議といろんな絆ができてくるもので。裁判でもこのときに出会った東北の方が証言に立ってくれたし、嘆願書も200枚ぐらい書いていただきました。もちろん、こうしたことを狙ってやったわけではありませんが、見返りを求めずにやったことは、違う形で返ってくるんですね。

そして、普段身を置いている「金にまみれた世界」ではないところを見て、スタッフも変わりました。何より、東北の方々とは生(き)の部分で付き合えたことがよかったですね。いまだに交流が続いています。

——現在取り組まれていることと、これからの展望を教えてください。

今、力を入れているのが婚活支援の事業です。恋愛に悩んでいる方向けに、セミナーなどを行っています。27股をかけたりとか(笑)、自分は女性に迷惑もかけたし、お世話にもなったので、恩返しの思いも込めてこの事業をやっています。

ホストは毎日が疑似恋愛みたいなところもあり、事例がとても豊富なんです。こういうときはこう言うべき、こういうLINEが来たらこう返すべき、と添削してあげられる。これまでの受講生からは、結婚した、復縁した、彼ができた、モテモテになって追っていた彼がどうでもよくなったなど、数々の喜びの声をいただいています。

ホストやホステスは、周りからは「社会的地位が低い」と言われ、稼ぐことでバランスとっているものの、本当は「認められたい、社会の役に立ちたい、昼間の仕事がしたい」と思っている人も多い。そんな彼らにとって、恋愛講座は、自分をいちばんいかせる場なのではないかと考えています。

「恋愛を成就させてあげて、ハッピーな人たちを増やしていく」という大義名分もあるし、少子化の問題にも貢献できる。ホストやホステスとして踏んだ場数の経験をいかして、人間関係に悩んでいる人に対してコンサルをする—この仕事は、夜の業界を卒業した後の出口、光になりうると思っています。

——初の恋愛本『シークレット婚活塾』は、3週間で重版がかかりました。

僕にとって7冊目の本ですが、初めて重版がかかりました。恋愛に関する本は、それまでもいろんな方から書くように勧められていたのに、ずっと断っていたんです。「なんかチャラい」とか言って(笑)。

みなさん、就職や起業、転職するときに、「やりたいこと」から考えると思います。でも実は、もっとも大事なのは、「何を求められているか」という視点。僕にはこれが抜け落ちていたんですね。

要は、「ちゃんと人の話を聞きましょう」ということ。求められていることの中から、やりたいことを見つけていくんです。
僕も、勧めに従って恋愛のことを書いてみたら、初めてうまくいきました。自分を貫くよりも、川の流れに沿ってやってみる。このことを頭の片隅に入れておくといいと思います。

 

(画像提供:iStock.com/Instants)

井上 敬一(いのうえ けいいち)
コミュニケーションデザイナー


出身地:兵庫県
生年月日:1975年11月5日
血液型:B型
身長 体重:174cm 66kg
事業:株式会社FiBlink(ファイブリンク)代表取締役
一般社団法人 恋愛・結婚アカデミー協会 代表理事
専門:講演、セミナー、研修講師(コミュニケーション)、恋愛評論家、復縁コンサルタント、WEBセミナー事業(プレジデントキャンパス)、アパレル、サムライスーツプロデュース 他

兵庫県尼崎市出身。立命館大学中退後、ホスト業界に飛び込み1ヶ月目から5年間連続ナンバーワンをキープし続ける。当時、関西最高記録となる1日1600万円の売り上げを達成。業界の革命児として、PrinceClubShionをはじめとしたシオングループオーナー業を経て、現在は実業家として企業、個人のブランディングやアパレル、サムライスーツなどのプロデュースを手掛ける他、人に好かれるコミュニケーションを伝える研修・講演を展開している。圧倒的な実績に裏付けられたコミュニケーションスキルをわかりやすく説く講演は、多くの企業・団体から支持を受けている。

また、約20年間のホストクラブ経営の経験をもとに、接客術や人間関係の築き方を活かし、2015年4月から始めた「恋愛・結婚セミナー」は多くの悩める女性を恋愛や結婚の成功に導き、卒業生は150人を超える。これまで数多くのメディアに取り上げられてきた中、独自の経営哲学で若いスタッフを体当たりで指導する姿はフジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』で10年にわたり密着取材され、シリーズ第8弾まで放映されている。

著 書
・わかってくれない上司をうならせる神フレーズ50(パブラボ出版)
・ゴールデンハート(フジテレビ出版)
・ホストの前に人間やろ!(竹書房)
・人に好かれる方法(エイチエス株式会社)
・7つの本気(株式会社現代書林)

井上敬一 公式ホームページ&メールマガジン
http://inouekeiichi.net/

連 載
◆恋愛jpコラム
http://ren-ai.jp/specialist/inouekeiichi
◆ITメディアエグゼクティブ
「経営トップに聞く顧客マネジメントの極意」
http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/series/1735/

講演実績(一部)
●明治安田生命様 化粧品セールスレディ「魅力ある人間になるために」
●Canon労働組合様
●JAL様
●兵庫ダイハツ株式会社様 「新春ピット店大会」講演会
●NTT様 
●株式会社ダスキン福井 
●辻・本郷税理士法人
●ヨシケイ開発株式会社様 講演会
●(社)日本農業法人協会夏季セミナー第3分科会「第1回若手集会」
●東京青年会議所様
●ビジネス会計人クラブ
●第一回日本リーダーシッププレゼンテーション 他ゲスト:大嶋啓介様、加藤秀視様など
●京都大学 MEETING&MUSIC&TALKLIVE FESTIVAL「生きざまっ祭り」
●千葉県立八千代高校 卒業生様
●株式会社HCC様社員総会 他
●一の宿倶楽部様(温泉旅館オーナーグループ様
●株式会社八百屋町様
●モルトベーネ様(福岡 名古屋 大阪)

 

 


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