油とソースの匂いが充満する弁当屋に、気まずい空気がトッピングされた。まるで犯罪を知らせるようなエラー音が何度も何度も鳴り響く。22時を過ぎても混み合う店内で、順番を待つ他の客たちの視線が後頭部に刺さる。
「電子マネーの読み込みできないんで現金かカードでもいいっすかぁ?」
一万円札を崩したくないし390円でクレジットカードを使うのが嫌だからSuicaを使おうとしたのに。レジの順番がきてから新発売の海鮮天丼と季節限定のカレーのり弁当かさんざん迷って、結局から揚げ弁当を選んだバチが当たったんだろうか。なんだかすべてが嫌になって、注文のキャンセルを謝罪して逃げるように店を出た。これじゃあ本当に犯人みたいだ。
なにかを決めるのが苦手なのは昔から。レジ袋どうしますかと聞かれれば、どうしたらいいんですかねと言いたくなってしまう。MとLどちらのサイズがちょうどいいのか選んでもらいたい。レジ袋や弁当のメニューすら決めるのに悩むのに、転職なんてできるんだろうか。
からあげクンとおにぎりを食べながら転職サイトを眺める。言葉は違っても「明日のあたりまえを作る」というビジョンばかりが並んでいて、どれも同じに見えてしまう。調べれば調べるほどわからなくなった。知りたいのは毎日の帰れる時間と、めんどくさい人間関係がないかだけなのに。
最後の1つを食べ終わるより先に転職サイトに飽きた。インスタのストーリーズを触ると、「今!俺!テレビ!出てる!見て!」が画面いっぱいに表示された。慌ててテレビをつけると、大学時代いつも柄シャツばかりを着ていた友だちがスーツ姿で画面に映っている。
夢を追いかけて上京する若者に、物件を紹介する不動産屋として。
依頼者の希望条件は、渋谷駅徒歩10分以内・風呂トイレ別・オートロック付き・家賃6万円以下。その条件じゃ見つからないんじゃないかと思っていたら、やはり友だちは苦戦していた。なんとか見つかった物件は築年数のかなり古いボロボロの物件で、あっさり却下される。違う駅の物件は内見もしてもらえない。友だちが家賃を上げるかどれかひとつでも条件を譲歩できないか聞いてみても、「憧れの東京暮らしを実現させたい」とキラキラした目で依頼人は答えた。
画面が切り替わって別の不動産会社が映る。友だちの出番はもうなかった。依頼者は家賃8万円の物件を契約して、「最高に満足してます」と笑っていた。食費を削ることにしたらしい。その決断、もっと早くしてくれてもよかっただろ。
「テレビ見たわ」
「太って映るって本当だな?」
「知らんけど、スーツ似合ってた」
「絶対着ねぇって言ってたのにな」
「てか家賃8万にすんのズルくね?」
「まぁ、ズルくないし、誰も悪くない」
「大人じゃん」
「来年の春に子ども生まれるから大人になった」
「まじか!おめでとう!!!」
「写真は趣味で続けることにした」
「子どもの写真見るの楽しみにしてる」
「お前が小説書いて表紙は俺の写真って約束覚えてる?」
「忘れてはない」
「趣味の写真が表紙じゃ失礼だよな」
窓から入ってくる風は涼しいを通り越して寒かった。みんな自分勝手だ。勝手に季節は変わるし、勝手に物件の条件は変えるし、勝手に夢を思い出させる。俺が人生で唯一、きちんと決断したのは「夢を諦める」だったのに。
文章を仕事にするなんて甘い世界じゃない。原稿を書くために入るカフェのコーヒー代の方が、もらう原稿料より高くつく。締切に追われて気持ちに余裕がない生活。なにより、書けば書くほど自分に才能がないことに気づいてしまうのが苦しかった。
どうせ会社は辞めるんだし、今からもう一度挑戦してみようか?いや……でも……
テーブルの上にだらしなく置かれたレジ袋を捨てようとすると、転職のために買って積まれたままの本たちが目に入った。一冊を手に取り開く。「やるかやらないかの決断は、コインの裏表で決めても一緒」らしい。どう決めるかよりも、そもそも決められるかの方が重要だと。悩んでも決められない自分が嫌になって、試してみることにした。表なら書かない、裏なら書く。
でも財布の中を探しても小銭がない。ああ、から揚げ弁当を現金で買っておけばよかった。運に任せて決めるのはやめた。裏だ。
執筆:げんちゃん
撮影:Koshiro Kido
こちらのストーリーは、”最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方”を題材にしました。