ここはカフェ「しくじり」。一見さんお断りの会員制だ。
ここでの通貨はしくじり。客がしくじり経験談を披露し、それに応じてマスターは飲み物や酒を振る舞う。
マスターは注意欠如・多動症(ADHD)の傾向を持ち、過去に多くのしくじりを重ねてきた。しかしある工夫で乗り越えてきた不思議な経歴の持ち主。会員のために今日もカフェのカウンターに立つ。
そんな奇妙なカフェのお話。
(カラン、コロン〜♪ カラン、コロン〜♪)
小鳥遊 「おや、りんださん、いらっしゃいませ。どうなさいましたか?」
りんだ 「小鳥遊さん、『優秀な人に仕事は集まる』って言葉、本当なんでしょうか?」
小鳥遊 「いきなりその質問ということは、抱えきれないぐらいの仕事にパンクしてしまったとか?」
りんだ 「ええ、仕事を引き受けすぎちゃって。さすがに最近は自分でも多すぎかなって思って引き受けるか迷ったりしているんですけど、そんなときに『りんださん、優秀な人に仕事は集まるって言うじゃないですか』って言われて、ちょっと嬉しくなって引き受けちゃったり」
小鳥遊 「フフフ、今回もいいしくじりのにおいがしますね。りんださんのお話、じっくり聞かせてください」
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りんだ 「最近、打ち合わせが多いんです。昨日は、午前はお客様のところに訪問して、昼前に帰社。午後はほとんど打ち合わせで、自分の仕事ができる時間は定時前の30分しかなかったんです」
小鳥遊 「それはもうがっつり残業コースですね。しかも、お客様訪問は行っただけで終わることもなくて、例えばそのお客様向けの提案資料や見積もりをお送りするとか、必ずその後の事務仕事があったりしますよね」
りんだ 「そうなんです。午後の打ち合わせも同じで、打ち合わせて終わりじゃないんですよね。むしろ、打ち合わせて新たな仕事が発生します。そんなときに限って締切が『早ければ早いほどいい』とか言われるんですよね」
小鳥遊 「分かります。信頼されて仕事を任されるのは嬉しいことですが、正直自分では処理しきれない量の仕事がドサッとくると困りますよね」
りんだ 「そこなんですよ、小鳥遊さん。『自分では処理しきれない』って自己申告じゃないですか。だから『いや、そこは頑張ろうよ』って言われたら、自分でも『頑張ってやらなきゃいけないかも』って思っちゃうんです」
小鳥遊 「りんださんは真面目ですね」
りんだ 「でも、結局引き受けすぎて自分で自分の首を絞めてしまうんです。自分でも、『ああ、こんなにあったら無理だ』って思える根拠とか理由みたいなものがなくて。だから、他人に対しても無理だって自信を持って言えないんです」
小鳥遊 「なるほど」
りんだ 「だから、今仕事を抱えすぎてしまって、パンク寸前…というか、もうほぼパンク状態です」
小鳥遊 「それは大変でしたね。じゃあ、わんこそばでも食べますか」
りんだ 「小鳥遊さん、『じゃあ』の意味が分かりません(笑)」
小鳥遊 「フフフ、あとでお話します。ちなみに、そばはお嫌いですか?」
りんだ 「いえ、出身が東北ということもあり岩手のわんこそばが美味しくて結構食べてました。ご存知の通り、食いしん坊なので…。お腹は空いているので今日は記録更新できるかも!」
小鳥遊 「なら良かったです!」
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小鳥遊は大量のそばをゆで始めると、厨房にひっこんで漆塗りの小さなお椀をたくさん持ってきた。
小鳥遊 「りんださん、わんこそばの準備が終わりました。とりあえず20分でどれくらいいけるか試してみましょうか」
りんだ 「いきなりの展開でなかなか状況が飲み込めないですが、いいですよ。受けて立ちます!」
小鳥遊 「それではいきます!」
りんだがそばを一口で食べるとすぐに小鳥遊がお椀を差し出す。りんだが食べる。小鳥遊が差し出す。
りんだ 「おそばおいしいです!」
小鳥遊 「それは良かったです。ちょうどたくさんのそばを仕入れたところだったので、当店としてもありがたいです」
次第にりんだのペースが落ちていく。
りんだ 「うっ、ちょ、ちょっとまってください」
小鳥遊 「もっともっといけるんじゃないですか?」
りんだ 「いや、もうこんなに食べたじゃないですか」
そう言ってりんだは目の前に積みあがったお椀を指さす。
小鳥遊 「作るのと差し出すことに集中していましたが、(お椀の数をかぞえながら)おお、37杯! りんださん結構食べましたね」
りんだ 「ですよね。自己最高記録には及びませんが…やっぱ学生の頃に比べると食べられる量減ったかもしれません…。まだ15分くらいしか経っていませんが、いったんお休みさせてください~」
小鳥遊 「はい、承知しました」
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りんだ 「今日は、どんな理由でわんこそばを出してくれたんですか?」
小鳥遊 「そうですね。ヒントは、そこにある『お椀』です」
りんだ 「え~と、う~ん…あっ! なんとなくですが、分かった気がします」
小鳥遊 「どうぞ」
りんだ 「私は37杯も食べて、もう食べられない! と思いました。だけど、それは小鳥遊さんからはパッと見では分からないです」
小鳥遊 「そうですね」
りんだ 「でも、そこには37杯分のお椀が積み上がっているわけで、お椀を見れば小鳥遊さんも『たくさん食べたな』って分かるんじゃないかと思うんです」
小鳥遊 「なるほど」
りんだ 「だから、そこにあるお椀のタワーみたいに、仕事も『こんなに抱えてます!』って他の人にも分かるようにしておくと、さっきの私のように『もう無理です』と断りやすい、ということじゃないですか?」
小鳥遊 「ご名答~!」
りんだ 「やった~!」
小鳥遊 「よく、『仕事の見える化』と言いますが、これは自分で自分の仕事を把握しやすいようにという目的の他に、他人にも理解してもらいやすくするためにも有用なんです」
りんだ 「そっか…自分にも他人にも『見える化』は大事なんですね」
小鳥遊 「まぁ、それでもやらなきゃいけないときは、頑張るしかないんですけどね。でも、真面目で頑張り屋さんな人ほど、自分だけで仕事を抱え込んでしまって、『大丈夫です。まだまだいけます!』と自分のキャパ以上に仕事を引き受けてしまいがちですので、それを避けることはできるかと」
りんだ 「うっ…心当たりがありすぎる。でも、どんな風に見える化したらいいんでしょうか」
小鳥遊 「なに、簡単なことです。みんな一度は作ったことがある、『TODOリスト』がそれです」
りんだ 「ああ、そうか! 基本中の基本ですね」
小鳥遊 「はい。まぁ、TODOリストが書いてあるノートを押し付けて、『ほら! 私は今こんなに大変なんです! だからもうこれ以上仕事しません! 絶対!』と言ってしまっては、人間関係がギクシャクしてしまうと思いますので、ものは使いようですが」
りんだ 「そうですね。でも、『これだけの仕事を自分は今抱えている』というのが分かれば、自分の中で断りやすくなるし、『今日はこれだけやらなきゃいけなくて…明日以降にまわせませんか?』と交渉する材料にはなりますね」
小鳥遊 「そのくらいがちょうどいい感覚だと私も思います」
りんだ 「なるほど! 仕事を見える化して、断りやすい状況を作る。早速明日からやってみたいと思います!」
小鳥遊 「では、わんこそば再開しますか?」
りんだ 「そうですね。じゃあ、切りのいいところであと3杯。40杯食べて帰ることにします!」
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わんこそばを食べ、お腹も気持ちも満たされて店を出て行くりんだ。そんなりんだを見送ると、マスターはスマホを取り出し、日課の店じまいツイートをしました。