ここはカフェ「しくじり」。一見さんお断りの会員制だ。
ここでの通貨はしくじり。客がしくじり経験談を披露し、それに応じてマスターは飲み物や酒を振る舞う。
マスターは注意欠如・多動症(ADHD)の傾向を持ち、過去に多くのしくじりを重ねてきた。しかしある工夫で乗り越えてきた不思議な経歴の持ち主。会員のために今日もカフェのカウンターに立つ。
そんな奇妙なカフェのお話。
(カラン、コロン〜♪ カラン、コロン〜♪)
りんだ 「あ~! お金が! ない! あ~!」
小鳥遊 「おや、りんださん、こんにちは。いきなりどうしたんですか?」
りんだ 「小鳥遊(たかなし)さん! わたし、しくじってしまって、今お金がないんです!」
小鳥遊 「まぁまぁ落ち着いてください。ここはしくじりが通貨ですので大丈夫ですよ」
りんだ 「たっぷりしくじり披露するので、なにか食べ物をめぐんでください!」
小鳥遊 「フフフ。では、りんださんのしくじり、じっくり聞かせていただきますね」
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りんだ 「先月、10か所くらい出張に行ったんです。北海道、東北、四国、九州……もう疲れ切ってしまって。先週までにその交通費を会社に請求しなきゃいけなかったんです。でも、面倒くさくなって」
小鳥遊 「経費精算するのを、ずるずる先送りしてしまったと?」
りんだ 「そうなんです~~!! 全部で10万円以上ですよ! 今わたしの財布にあるはずの万札たちが、ないんです。自分のせいではあるんですけどね……」
小鳥遊 「それは大金ですね」
りんだ 「こまめに経費精算の申請を出せばいいなんてことは、わかってるんです。でも申請書なんてすぐつくれるし、あとでいいや、まとめてやろうって思っていたら、よくわからない領収書が山盛りになってしまうんです」
小鳥遊 「そうなったら、もうやらないですよね」
りんだ 「はい、そのとおりで……ということで金欠になってしまいました。この間は申請の期限が切れてしまって、3万円分の領収書を泣く泣く破り捨てました。経理部の人に怒られるのが怖くて……」
小鳥遊 「いや~、しびれますねぇ(笑)。いつもりんださんはクオリティ高いしくじりを提供してくださる! 何か食べたいものはありますか?」
りんだ 「それが、今猛烈に『のりたまをかけたごはん』と、あと『レトルトのカレー』が食べたいんです」
小鳥遊 「ずいぶんと限定的ですね。承知しました。タイミングよくどちらもあるので、少々おまちくださいね」
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小鳥遊は、棚からのりたまを取り出すと、手早くごはんの上にかけてりんだに渡し、のりたまが入っていた小袋をゴミ箱に捨てる。
小鳥遊 「まずは、のりたまをかけたごはんです」
りんだ 「ありがとうございます~~! おいしい~!! たまに猛烈に食べたくなるんです」
小鳥遊 「こんなに喜んでいただけるとは。わたし、ほぼ何もしてないですが」
りんだ 「小鳥遊さん、次! カレー! ほら!」
小鳥遊 「あ、はい、少々お待ちくださいませ。いきなり元気になりましたね」
小鳥遊はレトルトのカレーを棚から取り出して、レンジであたためる。
りんだ 「あと、そこのパック入りの杏仁豆腐もおいしそう! あっ、そこにあるのは堂島ロールケーキ! それも食べたいなぁ! ねぇ、小鳥遊さんいいですよね?」
小鳥遊 「わたしがあとで食べようと思っていたのですが、見つかってしまいましたね。はい、お出しします」
小鳥遊は名残惜しそうに、杏仁豆腐やロールケーキをカフェの皿に移しかえてりんだに渡す。
りんだ 「うわ~! 全部おいしいです! さすが小鳥遊さん!」
小鳥遊 「わたしはひとつも作っていませんがね……」
小鳥遊は、レトルトのパウチや杏仁豆腐が入っていた容器、ロールケーキが入っていた箱を片付けながら、少しぼやく。
りんだ 「あはっ! 見つけちゃいましたよ小鳥遊さん! そこにあるのは、銀座千疋屋の高級ジュースですね~! 欲しいなぁ~! 欲っしいなぁ! わたし、しくじりましたよっ」
小鳥遊 「……しまった、これは奥に隠しておくべきでした。でも、しょうがないですね。どうぞお召し上がりください。瓶のままでは芸がないので、グラスに入れてお出ししますね」
りんだ 「ありがとうございます~~!」
小鳥遊 「ああ、わたしの閉店後の楽しみが……」
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ひとしきり食べ終えて落ち着いたりんだが口を開く。
りんだ 「そういえば、あれだけ矢継ぎ早にお願いして、すぐに出してくださったのに、目の前はとてもキレイですね」
小鳥遊 「いいところに気が付きましたね。今日お伝えしたかったことは、まさにそこなんです」
りんだ 「え? 『台所はキレイに』ですか?」
小鳥遊 「いえいえ、ちがいます。キャッチフレーズ的に言えば、『小さい仕事は大きい仕事に付け足そう』です」
りんだ 「小さい仕事? 大きい仕事?」
小鳥遊 「さきほどわたしが、のりたまの小袋をゴミ箱に入れていたのはご覧になっていましたか?」
りんだ 「……そういえば捨ててましたね。わたし、『あとで捨てておこう』ってそこらへんに置いちゃって、ずっとそのままなことが多いんです。あれ? このふりかけの袋、先週からずっとここにある! みたいな」
小鳥遊 「それと、レトルトカレーのパウチも、中に残ったルウをすぐに洗い流して捨てていたのもご覧になりましたか?」
りんだ 「そういえば、すぐに洗って捨てていましたね。わたしだったら、全部食べ終わって食器を洗うときに捨てればいいやって思っちゃいます」
小鳥遊 「それから、杏仁豆腐の容器、ロールケーキの箱、ジュースの瓶」
りんだ 「なるほど! 小鳥遊さん、食べ物をわたしに出すときに必ず容器とか箱、瓶を捨てていましたね!」
小鳥遊 「りんださん、ご名答! こうやると、あとでたまったゴミを見てうんざりすることがなくなるんです。 りんださんは、外出や出張から帰ってきたら経費精算をしようと考えますよね?」
りんだ 「もちろんです。でも、面倒くさいんですよね〜」
小鳥遊 「たとえば、これからは帰りの新幹線の中で申請してしまうのはどうでしょう?」
りんだ 「あ、うちの会社変なところレガシーなんで、領収書を貼って紙で提出するんですよ」
小鳥遊 「それなら、申請書を作っておいて、あとは印刷するだけにしておくぐらいなら、帰り道にできそうですか?」
りんだ 「なるほど……つまり、外出や出張という大きな仕事に、おまけみたいに経費精算の申請をくっつけてしまおう、と?」
小鳥遊 「そんなかんじです。まさにおまけ感覚でやってしまうのです。わたしも会社員時代は領収書が引き出しの中にごちゃごちゃになっていて、それをみるたびに経費精算しなきゃいけない、けどめんどうくさい、という葛藤に悩んだものです」
りんだ 「小鳥遊さんにもそういうことがあったんですね」
小鳥遊 「社内で一、二位を争う『領収書を溜めて時季外れの経費精算を大量に出しては経理に怒られる社員』でしたよ(笑)」
りんだ 「小さい仕事だから、つい『あとでもいいや』って思ってしまうんですよね」
小鳥遊 「はい。小さい仕事であっても、モチベーションは大切です。そのモチベーションが一番高まっているのが、その仕事が発生した瞬間です。そこからモチベーションは基本的に下がっていきます。だから……」
りんだ 「できるだけ早いときにやっておくのが、負担は少なくて済む、と」
小鳥遊 「そのとおりです、りんださん。だから、キャッチフレーズは『小さい仕事は大きい仕事に付け足そう』です」
りんだ 「あとでまとめてやった方が効率的かもしれないですが、ちりも積もれば山となるじゃないですけど、積もり積もった交通費精算の申請を目の前にすると、どうしてもやりたくないって気持ちになっちゃうんですよね」
小鳥遊 「はい。その考え方を、カフェのキッチンでの仕事にも流用しております。元々わたしは面倒くさがりですが、『小さい仕事は〜』を習慣にしたおかげで、いつもキッチンをキレイに保てています」
りんだ 「分かりました!『小さい仕事は大きい仕事に付け足そう』ですね!」
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すっかり元気になった様子で店を出て行くりんだを見送ると、マスターはスマホを取り出し、日課の店じまいツイートをしました。