ここはカフェ「しくじり」。一見さんお断りの会員制だ。
ここでの通貨はしくじり。客がしくじり経験談を披露し、それに応じてマスターは飲み物や酒を振る舞う。
マスターは注意欠如・多動症(ADHD)の傾向を持ち、過去に多くのしくじりを重ねてきた。しかしある工夫で乗り越えてきた不思議な経歴の持ち主。会員のために今日もカフェのカウンターに立つ。
そんな奇妙なカフェのお話。
りんだ「はぁ〜〜〜」
(カラン、コロン)
小鳥遊 「いらっしゃいませ。おや、りんださん。すっかりしくじり常連の風格ですねフフフ」
りんだ 「なんなんですか! わたし、今週もまたしくじって真剣に悩んでるんですよ!?」
小鳥遊「これは失敬。あまりのしくじりオーラに、ついうっかり」
りんだ 「しかも、しくじりオーラって、よく考えると全然ポジティブじゃないし。まぁ、とにかく話を聞いて、何か出してくださいよマスター」
小鳥遊 「はい、りんださんのしくじり、じっくり聞かせていただきますね」
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りんだ 「この前、ステーキをご馳走になったとき、小鳥遊さんが教えてくれたこと覚えてますか?」
小鳥遊 「あ、ステーキと同じように、仕事も手をつけやすように手順を小さく切り分けて、書き出すという話ですね」
りんだ 「そうです、そうです。ちょうど仕事で、会社パンフレットの改訂をまかされて。だからはりきって手順を小さく切り分けて、書いてみたんです」
小鳥遊 「素晴らしいじゃないですか」
りんだ 「でも書き出しているうちに、『こんなにたくさんやることあるの?』って思えちゃって。そうしているうちに『これでいっか』と手順への切り分けをやめちゃったんです」
小鳥遊 「よくあることです」
りんだ 「そうしたら、上司に確認してもらう手順を飛ばして、印刷会社にゴーサインを出してしまったんです。刷り上がってきたのをみたら、社長の挨拶の文章の締めが『……ですぅ。』って印刷されていて……」
小鳥遊 「ですぅ。ですか……」
りんだ 「はい、ですぅ。ってなってました……」
小鳥遊 「フフフ。いやぁ、なかなかのしくじりですね。見たいので、よろしければ今度それ持ってきてくださいフフフ」
りんだ 「……完全にネタとして楽しんでますよね?」
小鳥遊 「またまた失礼しました」
りんだ 「そのときは、全身という全身から血の気が引きましたよ」
小鳥遊 「そりゃそうですね」
りんだ 「はぁ…要領のいい同期のアズサに負けたくなくて、はりきってみたけど……。私ってやっぱりダメなのかな……」
小鳥遊 「そんなことありませんよ。ところで、餃子はお嫌いですか」
りんだ 「カフェなのに定食屋みたいなメニューですね。好きですけど。食べますけど」
小鳥遊 「ありがとうございます。あまり経験はないのですが、餃子が作りたくなったのでちょうどよかったです。お腹いっぱい召し上がってください」
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小鳥遊は手元のメモに目を落としながら、餃子の餡(あん)の下ごしらえを始める。キャベツを電子レンジで加熱してから、粗みじん切りにする。玉ねぎを取り出し、これも粗みじん切りにして、キャベツと玉ねぎの水気をキッチンペーパーで吸い取る。
りんだ 「なんで電子レンジでいったん温めたり、キッチンペーパーで水気を取るんですか?」
小鳥遊 「キャベツは加熱すると甘みが出るそうなんです。水気は、餃子の皮に水分が染み込まないように、です」
ニラを小さく切ったあと、塩を入れたひき肉を手でよくこねて、砂糖や塩コショウ、醤油などの調味料を混ぜる。
小鳥遊 「塩を入れてよくこねて粘り気を出さないと、野菜と混ぜたときに水分が外に出ていってしまっておいしくならないんですよ」
りんだ 「ふ〜ん。餃子って案外作るの手間かかるんですね」
小鳥遊は、肉に先ほどの野菜とニンニク、すりおろした生姜を入れて軽く混ぜ、ラップをして冷蔵庫に入れた。
小鳥遊 「これで2時間休ませます。こうするとさらに具がジューシーになるんだそうですよ」
りんだ 「に、2時間! 待つんですか?」
小鳥遊 「待つんです。お帰りの時間は大丈夫ですか?」
りんだ 「まぁ、ギリギリ大丈夫ですけど。知りませんでした」
小鳥遊 「時間が大丈夫でよかったです。できたての美味しい餃子を、りんださんに召し上がっていただけますね。さぁ、待ちましょうか」
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小鳥遊 「ところで、恥ずかしながら私メモを見ながら餃子を作っていたの、分かりました?」
りんだ 「ええ、ちょいちょい手元に視線を落としながら、作っていましたよね」
小鳥遊 「料理は体が勝手に覚えるものという人は多いですが、私は相当繰り返さないと覚えられないタイプなんです。だから、レシピのメモは手放せません」
りんだ 「分かります」
小鳥遊 「しかも、レシピというのは書き出してみるととても複雑で、多くの工程を重ねているのが分かります。ちょうど会社パンフレットを作っているときの、りんださんのような気持ちです。正直しんどいです」
りんだ 「でも、レシピなしじゃ作れないですよね」
小鳥遊 「はい。だから、面倒くさいですがレシピをメモしてます。そりゃときどきレシピが不完全なときもあるんですけど、そのたびに工夫を書き加えていくんです。そうしていると、メモがたまるにつれて、『ああ、自分はこれだけの料理をお客様に提供できるんだ』と自信が湧いてくるんですね」
りんだ 「自信……。小鳥遊さん、それって私の仕事にも同じようなことがいえますか?」
小鳥遊 「いえると思います。だから、りんださんが手順を小さく分けて書き出したといってくれたとき、実は心の中でガッツポーズをしておりました」
りんだ 「でも、ミスしちゃ意味ないですよねぇ……」
小鳥遊 「意味なくないですぅ」
りんだ 「ちょっと! 当てつけですか!」
小鳥遊 「フフフすみません、魔が差しました。ミスした事実は変えられません。でも『手順を書き出して』『必要に応じて手順を書き換えて今後に生かす』ことができればいいんです。それが、りんださんご自身の財産になります」
りんだ 「いい話! ありがとうございます。それで、あのぅ、そのぅ…」
小鳥遊 「はい、そろそろ空腹の限界ですよね」
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冷蔵庫から餃子の餡を取り出し、皮で包んで手際よくフライパンに並べて焼いていく。香ばしい匂いが漂い、焼きあがった餃子が次々とりんだの目の前の皿に置かれていく。
りんだ 「うわぁ、おいしそう! いただきます!」
りんだは、あっという間に餃子を平らげた。
りんだ 「ごちそうさまでした。ところで小鳥遊さん、やっぱり仕事をレシピみたいにメモしていくのって、面倒くさいって思っちゃうんです」
小鳥遊 「はい。誰もが通る道ですからね。面倒くさいというのは、自分が想定しているよりも手順が多いから感じるものです。餃子の餡の下ごしらえをしているとき、予想外にやることが多くてびっくりされていましたね」
りんだ 「そういえばそうですね。そんなに手間がかかるんだ! って思いました」
小鳥遊 「そこです。だからこそ、いったんは手間をかけて書き出す必要があると私は思います。料理も仕事も、『書き出すから手間がかかる』のではなくて、『手間のかかる作業であることが、書き出すことでわかった』んです」
りんだ 「そっか。もともと作業自体が手間のかかる作業だったのか」
小鳥遊 「はい、そういうことです」
りんだ 「たしかに、餃子の餡を冷蔵庫で2時間休ませなきゃいけないなんて、知らなかった。実際仕事でも、手順を書き出してみたら想像以上に時間がかかるのが分かることって、多い気がします」
小鳥遊 「しかも、手順を書き出さないと、何をやればいいかわからない、どこまで進んでいるかも分からない、というモヤっとした不安がつきまとうものです」
りんだ 「それ、分かります! 細かく手順を分けた仕事では『これ終わった』『次はこれ』と、全然迷わなかったです」
小鳥遊 「いいですね。いったん自分の仕事を書き出して、全体を俯瞰(ふかん)しながら、小さく切り分けて着手しやすいようにしていく。それを繰り返すことで、だんだんうんざりすることもなく仕事が片付くようになると思いますよ」
りんだ 「そっか……そうですよね! いきなりスムーズに全部やろうと思わずに、まずその姿勢を持つことが大事ですね。私もっと仕事、頑張れそうです。ありがとうございます♪」
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満足げな顔で店を出て行くりんだを見送ると、マスターはスマホを取り出し、日課の店じまいツイートをしました。