ここはカフェ「しくじり」。一見さんお断りの会員制だ。
ここでの通貨はしくじり。客がしくじり経験談を披露し、それに応じてマスターは飲み物や酒を振る舞う。
マスターは注意欠如・多動症(ADHD)の傾向を持ち、過去に多くのしくじりを重ねてきた。しかしある工夫で乗り越えてきた不思議な経歴の持ち主。会員のために今日もカフェのカウンターに立つ。
そんな奇妙なカフェのお話。
(カラン、コロン〜♪ カラン、コロン〜♪)
りんだ 「こんにちは〜」
小鳥遊 「おお、りんださん! 最近なかなかお見えにならなかったので心配していたところです。もうしくじってないんじゃないかと…」
りんだ 「小鳥遊さん、しくじってないならいいんじゃないですか(笑)」
小鳥遊 「あ、そうですね。失礼しました(笑)。て、今日はいらしたということは、なにかしくじりをお持ちいただいているということですね」
りんだ 「はい、その通りです。『もう少し仕事が早くならないかな?』とやんわり怒られてしまいまして…」
小鳥遊 「フムフム、なるほど。そのお話、じっくり聞かせていただきますね」
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小鳥遊 「さて、今回はどんな感じだったのでしょうか?」
りんだ 「はい、先月リリースした当社の商品、人型コーヒーメーカー『即出し君』のチラシ印刷費用を立て替えたんです」
小鳥遊 「人型…コーヒー……メーカー?」
りんだ 「背中のフタをあけてコーヒー豆を入れて、お腹からお湯を注ぐとコーヒーを淹れてくれる優れものです!」
小鳥遊 「…淹れたコーヒーはどこから出てくるんですか?」
りんだ 「首の部分をつたって吸い上げられて、口から出てきます」
小鳥遊 「ずいぶんと個性的な仕様で……」
りんだ 「ミルクと砂糖は、耳から入れられるようになっています」
小鳥遊 「…か、買ったお客様はいるんですか?」
りんだ 「それが、なかなかいらっしゃらなくて…」
小鳥遊 「でしょうね」
りんだ 「えっ?」
小鳥遊 「あ、いえいえ! いや〜、せっかく開発したのに大変でしょうね〜」
りんだ 「そうなんですよ! だから、販促を頑張ろうと社内でチラシを作ったんです。会社近くの印刷屋さんで印刷して、その費用を私が立て替えたんです」
小鳥遊 「りんださん、仕事早いじゃないですか」
りんだ 「その後が遅かったんですよね…その立て替え費用の精算手続をすっかりサボっちゃって…」
小鳥遊 「フフフ。分かります。自分にお金が返ってくるだけだから、つい後回しにしてしまうんですよね」
りんだ 「そうなんです。でも、本来は会社の支出なんだから、同じ月内には申請してよね! って言われちゃって…せっかく頑張ったのにひどいと思いません?」
小鳥遊 「そう思うのも無理ないかもしれませんね。では、そんなりんださんに…」
りんだ 「おおっ、何をいただけるんですか?」
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小鳥遊はうやうやしく一つの包みを差し出した。
小鳥遊 「そんなりんださんには、このコーヒーを」
りんだ 「ええと、実は即だし君開発のときにさんざん試飲してまして…」
小鳥遊 「フフフ。実はここだけの話、このコーヒーはとても高級で。事情があって今日だけお出しできるものなんです」
りんだ 「きょ、今日だけ?」
小鳥遊 「そうなんですが…そりゃコーヒーには飽き飽きしてますよね…」
りんだ 「やだな〜もう、言ってくれれば〜! 今日限りなんですよね。だったら飲みますって!」
小鳥遊 「よかったです。では、召し上がってください」
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りんだ 「ありがとうございます。いい香りがして、味もとても良かったです」
小鳥遊 「こちらこそ。おいしいって飲んでくれるのは嬉しいものです」
りんだ 「ところで、今日の私のしくじりについてなんですが…」
小鳥遊 「ええ、すでにヒントは出しておりますよ」
りんだ 「うーん、もしかして『今日限り』って、関係あります?」
小鳥遊 「ご名答です! 締切の持つ効果を今日は体感していただきました。締切を提示されると『やらなきゃいけない』と思うというものです」
りんだ 「たしかに、『今日まで』って言われたらちょっと焦りますね」
小鳥遊 「はい。仕事も似たようなものなんです。いつが締め切りかって見せられると、『あっ、やらなきゃ』って少しは思うでしょう? 手を付けられたら、仕事はその分早く進みます」
りんだ 「そうですね…うーん、でも、まだ腑に落ちない…」
小鳥遊 「なぜですか?」
りんだ 「たとえば、先月の半ばにチラシの印刷代を立て替えたんですけど、その経費精算の締切は月末なわけで…あまり『あっ、やらなきゃ』とは思いづらいです」
小鳥遊 「実際はどうでしたか?」
りんだ 「実際は…まだ出さなくて大丈夫、まだ大丈夫って思っていたら、いつの間にか月末で」
小鳥遊 「急いで間に合わせられなかったんですか?」
りんだ 「それが、経費を承認してくれる上司が月末最後の週いっぱい有休を取る予定だったのをすっかり忘れてしまっていたんです。気がついたときにはすでにゲームセットでした」
小鳥遊 「あるあるな展開ですね。私もよく経験しました」
りんだ 「だからと言って、時間にして1時間もかからないことの締切が2、3週間先に設定されていても、手をつけられるようにはなりにくいです」
小鳥遊 「そこです、りんださん!」
りんだ 「(ビクッ)ハイッ!?」
小鳥遊 「たとえばこんな風に書き出してみるんです」
① 1/21 経費精算申請書を作る
② 1/21 上司に提出する
③ 1/22 上司から承認された申請書を受け取る
④ 1/29 経理に提出する
りんだ 「これは、前に教わった要領が良くないと思い込んでいる人のための『手順書』の作り方ですね」
小鳥遊 「そうです。あらかじめこれを作っておけば、1/21の時点でハッとすることができますよね」
りんだ 「たしかに…」
小鳥遊 「もっと長い期間の仕事も、こうやって細かい手順にばらして書いていけば、案外のんびりしていられないな、などと分かります」
りんだ 「そうすれば、自然と仕事に手を付けるようになって、結果的に早く終わらせることができる、と」
小鳥遊 「そうです。ときにりんださん、締切はお好きですか?」
りんだ 「うーん、好きとは言えないかもしれません」
小鳥遊 「でも、こうやって考えると、細かく設定した締切は自分を後押ししてくれる心強い存在なんじゃないかって思えてきませんか?」
りんだ 「言われてみれば、そうかもしれません。締切を細かく設定するからこそ、安心して仕事を進められるようになる気がします」
小鳥遊 「いい感じですね。突き抜けると、『締切を私にください』と思うようになりますよ」
りんだ 「本当ですか?? …そんな境地に達したいものです」
小鳥遊 「コーヒーに飽き飽きしていたりんださんがまたコーヒーを飲んだように、仕事に細かな締切を設定すると、着手スイッチが入りますから」
りんだ 「そっかー、確かに! 私、さっそく明日からやってみますね! よーし、細かな締切で早く着手して、仕事が早い人になる!」
小鳥遊 「頼もしいですね。ぜひやってみてください」
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悩みが解決し、スッキリ納得した状態で店を出て行くりんだを見送ると、マスターはスマホを取り出し、日課の店じまいツイートをしました。