ここはカフェ「しくじり」。一見さんお断りの会員制だ。
ここでの通貨はしくじり。客がしくじり経験談を披露し、それに応じてマスターは飲み物や酒を振る舞う。
マスターは注意欠如・多動症(ADHD)の傾向を持ち、過去に多くのしくじりを重ねてきた。しかしある工夫で乗り越えてきた不思議な経歴の持ち主。会員のために今日もカフェのカウンターに立つ。
そんな奇妙なカフェのお話。
****
(カラン、コロン〜♪ カラン、コロン〜♪)
小鳥遊 「おや、りんださん。なんだかお疲れのようですね」
りんだ 「はい~…最近はなかなかヘビーな毎日を過ごしています…。ああ、疲れたー」
ふらっ!
小鳥遊 「りんださん! 大丈夫ですか。いきなり倒れかけるなんて…」
りんだ 「ええ、だ、大丈夫です。それより小鳥遊さん…体力のつくものを食べさせて頂けないでしょうか…」
小鳥遊 「おや、そうとう参っているようですね。ご馳走しますので、とりあえずこちらへ座ってお話でもしましょうか」
****
りんだ 「私、頑張ってるんです」
小鳥遊 「そのようですね」
りんだ 「毎日すごく仕事をしているんです。褒めてください!」
小鳥遊 「偉いです」
りんだ 「ありがとうございます。今日は、社内の規程の整備をやっていたんです。地味ですが、会社にとっては大事な仕事で。『規定』と『規程』で言葉がバラバラになっていたり、『ただし』にするか『但し』にするか統一しなければいけなかったりするので、目を皿のようにして読まなきゃいけないんです」
小鳥遊 「私も経験あります。『または/又は』問題とか、数字の半角全角をどうするかとか…」
りんだ 「そう! そう! かなり神経使う面倒くさい作業なんですよね! 分かってくれる人がここにいるとは!」
小鳥遊 「りんださん、手広く仕事をしているんですね~」
りんだ 「ええ、頼まれると断れない性格でして…。しかも、いつもたくさん引き受けすぎてしまうんですよ。そのときはやれると思うんですけど、気が付いたら大量に抱えすぎてパンク寸前になってしまうんです」
小鳥遊 「分かります。周囲が喜んでくれるので、つい引き受けすぎてしまうんですよね」
りんだ 「そうなんですよ~!」
****
小鳥遊 「りんださん、力が出るように、お肉たっぷりのつけ麺を作りました」
りんだ 「わ~! ありがとうございます!」
小鳥遊 「ちなみに、大盛もできますが、いかがですか? 普通盛だと麺200グラム、大盛はその3倍です。またお肉も倍増します」
りんだ 「う~ん……、(かなり多い…けど、今お腹空いているし、いける!)…小鳥遊さん、大盛で!」
小鳥遊 「承知しました!」
どーん!
りんだ 「(うぐっ。やっぱり多い…。でも、この山盛りは絶景!!)い、いただきます!」
小鳥遊 「フフフ、どうぞ」
勢いよく食べ始めるりんだ。しかし、次第にその勢いが落ちていく。
りんだ 「うっぷ。小鳥遊さん、このどんぶり、下から麺が湧いてくる仕組みになっていません?」
小鳥遊 「いいえ、ただのどんぶりですよ」
ついに、りんだの手の動きが止まる。
りんだ 「う~、いったんお休みします。おいしいんですが、やっぱり量が…」
小鳥遊 「フフフ、やっぱりそうでしたか」
りんだ 「やっぱりって…小鳥遊さん、もともとこうなることが分かっていたんですか? いつから分かっていたんですか?」
小鳥遊 「そうですね、『仕事をたくさん引き受けすぎる』という話をしていたあたりでしょうか」
りんだ 「ええっ、そんな前に?」
****
小鳥遊 「私もそうなので分かるんですが、なにごともやり始める前はできるって思ってしまいがちなんですよね。それでいざ着手してしばらくたつと、その量の多さに圧倒されて、手が止まってしまう」
りんだ 「それってつけ麺の話をしています? 仕事の話をしています?」
小鳥遊 「両方です(笑)。頼まれた仕事を断るのは苦手ですし、お店で『大盛無料』とか書いてあるとほぼ無意識に大盛を頼んでしまいます」
りんだ 「お、同じだ…」
小鳥遊 「それで結局、量の多さに立ちすくんでしまい、仕事が完了できないまま終わってしまうということに…」
りんだ 「そうなんです! どうしたらいんでしょうか」
小鳥遊 「そんなときは、『3倍ルール』を適用しましょう」
りんだ 「さ、3倍? つまり、200グラムの麺の量のつけ麺は、600グラムだと考えようってことですか?」
小鳥遊 「はい、そうです。そうすれば、つけ麺も無理なく残さず全部食べきれたはずですし、仕事も、『20分で終わるかな』と思ったら即座に3倍して『これは1時間かかるぞ』と時間を見積もれば、想定した時間内で終わらないという状況は避けられます」
りんだ 「もし1時間と見積もって20分で終わったら、それも見積もり間違いじゃないですか」
小鳥遊 「たしかにそうですが、悪い影響はありません。残りの時間、他の仕事をすればいいだけのことです。ちょっと一休みするのも良いですし」
りんだ 「そうか、その方向に間違っても問題ないか…」
小鳥遊 「はい。仮に20分と考えた仕事を3倍ルールで1時間と見積もった結果、30分で終わったとします。当初の20分予測からは10分すぎていますが、そこを1時間とすることで、自分の時間に余裕を持たせるわけです」
りんだ 「なるほど、最初からキツキツの予定ではなく、ユルユルの予定を立てれば余裕が生まれますね…」
小鳥遊 「そうです。余裕が生まれれば見直しをして細かいミスにも気づきやすくなりますし、手戻りも減らせるはずですよ」
りんだ 「たしかに…、『終わらない!』と焦ると、それだけでミスも増えますし、余計に時間がかかって良いことないですもんね」
小鳥遊 「その通り。大事なのは、見積もり時間内に収めて、『予定通りに終わらない』と焦る状況を避けることです」
りんだ 「そっか…。でも、今日やろうと思っていることの見積もり時間を3倍したら、一日にやれることは少なくなってしまう気がするんですが」
小鳥遊 「フフフ、いいところに気が付きましたね、りんださん。でも結局考えた量ほど仕事ができていないときって多くありませんか?」
りんだ 「た…たしかに。考え方を変えて、『そもそも自分が考えているほど、自分は仕事量をこなせない』って思った方が結果的にうまくいくかも」
小鳥遊 「そうですね。できないことをできるといって迷惑をかけるより、確実にできる範囲を自分で把握しているほうがいいんです」
りんだ 「なるほど…。ところで、3倍した結果終業までに終わらないことが分かってしまった場合は、どうすればいいんでしょうか」
小鳥遊 「明日以降にできないか検討するか、あきらめて今日中に全部片付けるよう覚悟を決めるかです」
りんだ 「ふむ〜。どちらにしても、終わるかどうか分からない状況でやみくもに進めるより、遅くともいつまでには終わると分かっていた方が、自分も周囲もありがたいですよね」
小鳥遊 「おっしゃる通りです。」
りんだ 「さっそく、明日から3倍ルールを使ってみます。引き受けすぎないように!」
小鳥遊 「ちなみに、この考え方は食べすぎにも効くので、一石二鳥ですよ!」
りんだ 「たしかに! でもそっちは3倍ではなくて2倍にしまーす!笑 頭使って考えたらエネルギー使っちゃいました。もうちょっと食べます♪」
****
悩みも解決し、つけ麺を思う存分食べて、意気揚々と店を出て行くりんだ。そんなりんだを見送ると、マスターはスマホを取り出し、日課の店じまいツイートをしました。