この世界、何かがおかしい

「運の正体」と「神の正体」

#連載エッセイ
#この世界、何かがおかしい

龍神祝詞というものがあります。

ここに書かれている「一二三四五六七八九十の十種の御寶と己がすがたを變じ給て」という一節。これは「龍神があらゆる姿に変身して、この世界に存在していますよ」という意味だと私は解釈しています。つまり「私たちは全員、神様の分け御霊」であることを示しています。

次に数学的な視点から、龍神祝詞に書かれている内容を考察していこうと思います。

・神=無限と定義

・任意の実数=αと定義

その上で、無限をA、Bの数式でそれぞれ表します。

Aの数式は、ビスケットを1人目に1枚と1/2枚、2人目に1枚と1/4枚、3人目に1枚と1/8枚・・・のように「1」と「小さくなっていく分数」を無限回配り続けることを表します。

Bの数式は、1人1枚のビスケットを無限回配ることを表したものです。

AとB、どちらの数式もビスケットを無限回配りますので、必要なビスケットの枚数は無限となります。

ここで「無限−無限=」を計算していきます。
※本当はやってはいけない計算なので、数学に詳しい人から怒られるやつです。笑

無限−無限、これを計算をすると、最後に出てくるのは「任意の実数α」となります。つまりどんな実数にもなれるということです。

私はこの数式で龍神祝詞に書かれている内容を証明できたと思っています。
無限=神と定義していたので、神は「どんな姿にもなれる」ということです。

では、なぜ引き算でなのか。

・無限+無限
・無限×無限
足し算と掛け算は全体性が増幅するだけです。そのため無限=神としたとき、「神という存在が何なのか」を見極めることができません。これは、なんとなく感覚でわかる人も多いと思います。

・無限÷無限
割り算は全体と全体を「スケールで測る」プロセスです。独立した「差異」ではなく「比率・関係性」に焦点を当てます。身長180cm、顔の縦の長さが25cmの神様がいたとして、顔の比率は身長の何%?と計算するのが割り算です。このとき、顔も神の一部ですので、神の性質は変わりません。

・無限−無限
引き算は全体性から「差異を切り出す」「違いを見る」プロセスです。無限の存在である神が「自分とは何か」を問うとき、「神から神の力を無くしてみたらどうなるか」を見ることができるのが引き算だと思っています。

以前のコラムでシミュレーション仮説の話もしておりますが、神が自分とは何かを問うために、この世界を作り、すべての人類に姿を変えて存在しているのではないかと私は考えています。

改めて「私たちは全員、神様の分け御霊」であり、元々はひとつの存在だと思います。そのため、誰かを喜ばすことは自分を喜ばすことですし、誰かを傷つけることは自分自身を傷つけることになります。人との縁を大切にしながら、誰かにやさしくできるといいですね。


赤井カラス。占い師。自身のことを占ったところ「大勢の人を占いなさい」という結果が出たため、2023年4月より紹介制を撤廃して活動開始。現在予約待ち2,000人以上。
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