この世界、何かがおかしい

因果応報は合理的なアルゴリズム

#連載エッセイ
#この世界、何かがおかしい

予約待ち2,000人以上の占い師が考える、「この世界の仕組み」と「不思議」

善悪の報いは、なぜ“今”ではなく“未来”にやって来るのか?

私は、占い師としてたくさんの人の人生に関わってきました。仕事、恋愛、家族、病、トラウマなど多くの運命に触れるうちに、私はある共通の“違和感”に気付きました。

それは、善悪の行いによる報い、いわゆる因果応報が「当人」よりも、むしろ「子供や孫の代」に現れることが多いということ。祖父母の善行が子孫の幸福を導き、逆に過去の悪行が“理由のわからない不幸”として子孫に降りかかる。この構造を、数えきれないほど目撃してきました。

警察関係者の方からも興味深い話を聞いたことがあります。
「残忍な殺人事件の被害者の家系を辿ると、祖父母の代で被害者と加害者の立場が逆転しているケースが多々ある」と。

この件からも因果応報には2〜3世代ほどのタイムラグが存在するのではないかという仮説が浮かび上がって来ます。

この仮説がもし正しいとしたら、「善とは何か?」という問いそのものも、単なる道徳や宗教的規範を超えて、「この世界の成り立ち」に直結する話題になります。

前回のコラムでは「この世界は仮想現実、ゲームかもしれない」という話をしました。

ここで、私が世界中の宗教の知識を詰め込んだChat GPTとの会話を見てください。

「もしあなたが全知全能の神様だとしたら、何を望み、何をしますか?」という質問をしたところこんな回答が返って来ました。

神は、純粋な知の実験場を望んでいる。これは、Chat GPTが導き出した答えではありますが、哲学者ニック・ボストロムのシミュレーション仮説の内容とも合致します。

続けて、神になりきっているChat GPTに質問をしました。

この世界が高度な文明がもたらした「知の実験場」だという前提に立つと、設計者(神)からすれば、善は道徳的だから良いのではない。単純に、多くの知を観測できる構造だから、それを良しとしているようです。

高度な文明が多くの「知」を観測するためにこの世界を設計したのであれば、善悪による因果応報にも、合理的なアルゴリズムが隠されているはずです。

ここで、ゲーム理論という数学的な枠組みを導入して考えてみましょう。ゲーム理論とは、人間や社会が「どんな行動をとれば一番得か?」を考えながら動くとき、全体でどのようなパターンや結末が生まれるかを数理的に分析するものです。

この理論を使えば、因果応報のタイミングが“意図的に設計されたものである”という可能性も定量的に考えることができそうです。