恋愛コンサルタント・高橋あいが臆病な女性にエールを送るコラム「嫌われる女になりなさい」。
連載第5回目は、母親から親離れできず生きづらい女性たちに送る、自立した女性になるための「母と娘」の話。
目次
母と娘。
誰もが嫌われたくない、大きな存在と言えば 親かもしれない。
親と言うのは、私たちのベースを作り 少なからず人生に影響を与える存在だ。
そんな親との関係は、本来 反抗期に“個”という種が芽吹き、自分の価値観を軸に親離れして自立していくのが健康的ではあるが 大人になっても 親の顔色を伺い、自分を確立して生きることができない人もいる。
今日は「母と娘」について考えてみたい。
婚活の相談を受けていても、母が喜びそうな結婚をしなければと相手を選んだり、母の自慢の娘になろうと、人の目から見た「いい子」を頑張ったりしている女性は少なくない。
私自身も「母がかわいそう」という気持ちを抱えて育ち、母より幸せになってはいけないと拗らせてきた背景があるけれど、大好きな母に見て欲しくて喜ばれそうな方を選んでしまい 自分の気持ちには自信がない時代はとても長かった。
自分の気持ちに自信が持てないのは、母が嫌な顔をしたり何か言ってくるのを恐れて、自分の意見が言えないから。
まるで 彼氏の機嫌を自分の価値だと思っている恋愛依存の女性と同じだけれど、
どうせわかってもらえないと諦めているから、意見を持つことさえ怖く感じてしまう。
母を女王様にしている?
母を尊敬することと、母の言いなりになることは少し違うように思う。
自分を尊重していることが前提なのが健康的な尊敬。
自分の意思がなく相手の言う通りに動くのは「操り人形」状態かもしれない。
操り人形なんて嫌だけど、それでも自分の意見を持たないことのメリットは、否定されて傷つくこともなく、言い返して悪者になったりしないことだったりする。
もし自分の意思を伝えて、否定的なことを言われたら自分の居場所がないような気持ちになってしまうんだよね。
以前、外国人に日本の親子関係を話して、驚かれたことがあった。
アメリカの女性に「親子でも、ディスカッションをするのは当然」と言われた時には、アメリカでは、幼少期から子どもを「個」として扱っていて、小さくても自分は尊重されるべき人間だという自覚があるんだなと感じた。「母がクィーンなら、私はプリンセスよ」と言われたのは、衝撃だった(笑)
”私はプリンセスだ”という自信はなかった私。母を女王様にする関わり方は、簡単だ。
ご機嫌伺いをし、顔色が曇ったら全力でフォローしにいけばいい。
反抗期の大切さ
母が望む自分になろうとし始めたのは、何歳の頃だろう。
小さい頃は、叱られてもよくわからなかったし、ダメと言われたことを何度もやってしまった。それでも気にしていなかった。
ある日 突然「褒められる」ことに快感を覚える。
妹の面倒を見た時。
テストを頑張った時。
母を助けた時。
自分より体も大きい、大好きな存在から笑顔を向けられるとき。
「私はいい子なんだ」とウキウキしたはずだ。
自分の意思が出始めるのは、小学校高学年から中学生にかけてだろうか。
親と同じような背丈になると 反抗期がやってくる。
反抗期は大切なものだと母になってだいぶ経ってから気づいた。
反抗期とは、自分の価値観が芽吹く時期。
そこで 親が子どもの意見を尊重してくれたり、家庭の考え方と違えば、わかるように落ち着いて説明してくれると その後、うまく親離れし自立していく気がする。
反抗期に自分の「嫌だ」「これがしたい」を抑え込んでいると、
大人になってから影響は少なからずあるように思う。
私は 溜め込んでいた辛さを33歳の時に母にぶちまけた。
学生の頃から言いたかったことを全て言い、”反抗期をやりきった”ことで気持ちに整理がつき、そこから母は母。私は私なんだとリスタートできたように思う。
できれば、30歳すぎてからではなく、子どもの時代に反抗し「思い切り意見を言わせて」あげられたらいいと思う。
現実3人の母として、それは簡単ではないということも毎日思いつつ。
母の悪口、言っていいんだよ
私が母の立場で思うこともある。
娘を産んで、はじめてわかったことは多い。
娘にとって、母という存在は 良くも悪くも「お手本」だということだ。
お手本が正解かどうか、よくわからない時期に
いいものとして信じてなぞっていってしまうのが「母」という存在。
母が大好きな人ほど、母への忠誠心が高く 母が言ったことは全てそうしなくちゃと無意識に寄せていく気がする。
母の影響力とはすごいものだ。
娘も 幼稚園に入った頃から とにかく私の真似をしたがるようになった。
真似して欲しくないところも、似てしまうから困ってしまう。
いつか、私の真似ではなく 自分のいいと思うことをやり出したら
「お母さんはそれ嫌だな」というのではなく「とても素敵だね」と言ってあげられる私でいたい。(と切に思う)
母の存在が重くて、生きづらい生徒さんには、あえて母に対して思っていることを悪口になってもいいから出してみようと提案することがある。
上司の悪口なら言えても、母への不満は言いづらいのがお約束で、母がかわいそうだと思ってしまい罪悪感がいっぱいで言えないと泣く方も。
しかし、肝心の愚痴の中身といえば もっと話を聞いて欲しかったとか 決めつけないで欲しかった。など、ごく普通の「意見」だったりする。
私は子どもたちに 悪口と思わずに意見を言ってもらいたいなと思っている。
母の器に甘えて、意見が言えることは 子どもたちに与えられた「親に甘える」権利だと思うようになってきた。
頼もしく、愛おしい、娘という存在
子どもが心配で、ついうるさく言ってしまう時。
それは「子どもを信頼していないからでは?」と立ち止まる。
信頼していないというメッセージを伝えてしまっていることに気づきたい。
「あなたを心配している」と、親の愛情をふりかざしながら「自分の不安をぶつけているだけでは?」と。
子どもから「心配しなくて大丈夫」と言われるとき。
「できるから」「やったことあるから」と説得されるとき。
言い合いになりながらも、我が子を頼もしいなと感じる。
想像の斜め上から、自分はこうして生きたいと言われたら
どの親も喧嘩になりながらも 落ち着いた時には「あの子があんなことを言うなんてね」と少し誇らしい気持ち、子離れしないといけないと感じる気持ちになるのでは?
親の心配など、どんどん言い負かして進んでほしいと思う。
意志が強いほど、実は頼もしいと思っているものだから。
頼もしさを感じれば、子離れは親の仕事。親に子育てを終えてもらうためにも、自分の意志で親の顔色など気にせず、人生を歩んでいって欲しい。
高橋あい/恋愛コンサルタント 自身の“体験談”をもとに、テクニックを綴ったブログが人気となり 恋愛コンサルタントとして活躍中。 雑誌やテレビ、ラジオなどメディア出演多数。 著書 『最速で出会いが増える顔になる(サンクチュアリ出版)』 『不安0%の恋をはじめる方法(大和出版)』『1ミリでも距離を縮めたい彼女になる(大和出版)』 ameba blog「不安で泣かない私になれる」https://ameblo.jp/realmind-ai/