イベントレポート

迷ってばかりの私に「自分の生き方」を教えてくれた6つの出会い/新田真由子

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④嘉手納基地のそばに住む女性との出会い

“Not In My Backyard”という言葉を知っていますか。必要性は認めるけど、自分の家のそばには作ってほしくない、という意味。原子力発電所や廃棄物処理施設、基地、ゴミ処理場、火葬場、精神科病院、最近では保育園なども対象となっています。

福島に移住後、東京のアメ横の飲食店で60代の女性と相席になりました。その方は沖縄の嘉手納基地のそばに住んでいるそう。福島のお米が風評被害で売れなかった時期、おいしいからとずっと取り寄せていたとも話してくれました。「基地とともに暮らす沖縄の人の想いを県外の人にも知ってほしいけど、その立場にならないとわからないことはきっとある。福島も同じだね」という言葉が印象的でした。

震災前、沖縄に行った際に、基地の賛成派と反対派それぞれのお話を聞いたことがあるのですが、願いはどちらも同じで、「子どもたちに幸せな暮らしをさせたい」そして「ふるさとを大切に思う気持ち」でした。対立した意見に聞こえることも、めざすところは同じ。当事者でない私たちは、どちらが正しいか間違っているかを二極で見るのではなく、対話して理解することが大切なのだと考えさせられました。

私たちの暮らしは、様々なものに支えられています。もし自分だったら、近くにはできてほしくないと感じるものもあるし、関連ニュースを見てもなんとなく遠くの出来事と捉えがちなところもあります。震災後、原発事故の責任問題が取り沙汰されましたが、電気代が高い・安い以外は無関心だった私たちに責任はないと言えるのでしょうか。当事者でないからこそ、自分の暮らしを振り返り、さまざまな“Not In My Backyard”を他人事で終わらせず、自身の在り方を考えることが重要だと改めて思いました。

⑤震災後の支援をしてきた方々との出会い

原発事故の直後から、自然のなかで遊ぶなど当たり前のことができなくなってしまった福島の子どもたちを、のびのびと過ごせる北海道などに保養に連れていくプログラムがいくつもありました。ある団体が企画したプログラムに参加した小学1年生の女の子のお話です。

女の子は、保養から戻ってくるなりお母さんのお手伝いをして「1回10円ちょうだい」と言うようになりました。しばらくして理由を聞くと「保養プログラムが楽しかったから、たくさんの子たちに行ってもらえるようにこのお金を全て寄付したい」と。彼女は自分たちが寄付金で保養に行ったことを知っていました。そして、「人の役に立つと幸せな気持ちになるね」と話したそうです。
私たちは「人に迷惑をかけてはいけない」「お世話になってはいけない」と言われて育つことが多いですが、誰かのお世話になるからこそ、自分も人の役に立ちたいという想いが生まれます

震災当時、高齢者の方、障がいのある方、そのご家族が「避難所にいると迷惑をかけるから」と自宅に戻ってくるケースが多くありました。災害時でも日常生活でも、障がいがあろうとなかろうと、人は誰でも誰かとコミュニケーションをとるときは気配りをするし、迷惑もかけるし、人の手を借りて生きています。形は違っても支援が必要なのはお互いさま。支援を必要とする人はまわりに迷惑をかけてはいけないのでしょうか。
障がい者の方を支援されてきた方が言われていた「『迷惑をかけない社会』ではなく、『迷惑をかけあえる社会』の方がいい。それが震災の教訓だ」という言葉が、心に残っています。

⑥福島大学の授業での出会い

2015年から3年半、福島大学で仕事をさせていただく機会がありました。地域コーディネーターとして、「地域の課題解決に寄与できる人材育成」と「被災地再生」をめざす特修プログラムと授業を担当しました。

私自身、成長させてもらったと同時に、苦労もした3年半。福島に来たばかりで、思いがけず担当することになった教育の現場。その中で、大学、学生、地域の方々、すべての期待に応えなければと思っていたからです。
フィールドワークでは、震災の経験を学生たちに話していただくため、受け入れてくださる地域の方々には、「今すぐ何か還元できるわけではなく、10年後、20年後になるかもしれないし、それはこの地域ではないかもしれないけれど、学生たちの成長のために力を貸してください」とお願いしてきました。ボランティアや研究でもないこの授業を、地域の方はあたたかく見守りながら、本当に多くの力を貸してくださいました。
しかし、時には厳しい言葉をいただくこともあります。それは、私や大学に対するものでもあるし、学生たちへの評価でもありますが、学生たちが地域の方から良く思われてほしくて、もっとこうあってほしい、もっとこういう風に成果報告をしてほしいと、学生に対して思ったこともあります。でも、ある時、そうした自分にハッとしました。地域の方に「学生の10年後20年後のために力を貸してほしい」とお願いしてきた私自身が、学生たちのいまの成果だけを見て判断している。そして、その時、私の役割は誰よりも学生たちの成長と可能性を信じることなのだ、と気づいたのです。

それは、高校・大学と生き方に悩んできた私を見守り、陰ながら応援してくれていた親とも重なりました。親が子どもの成長を長い目で見守るように、こうした学生の成長だけでなく、復興も自分のやっていることもどんなことも、全て「いま」だけで判断しないで、成長や可能性を信じていこうと思いました。

80代の有機農家の方がいるのですが、震災直後は、放射能の関係で農作物を作れず、仮に作っても廃棄しなければならないエリアに該当していました。にもかかわらず、その方は売れないお米を淡々と作り、今後のためにデータを収集することをひたすら続けていました。その農家さんの話を聞き、農作業を一緒に体験した教員志望の学生が「カッコいい」と感銘を受け、現在は農業の道に進んでいます。学んだことがいつどのように活かされるかは分かりませんし、こんな風に目に見える形ではないかもしれません。でも、地域の人との出会いが人生の宝になることを、改めてその学生をはじめ多くの人から教えてもらいました。

「なぜ福島にいるの?」と聞かれたとき、以前の私は「責任」と答えていました。エネルギー問題に限らず、自分の豊かな暮らしは、ある意味何かの犠牲のうえにあることにはっきりと気づいてしまったから、そうしたことを伝えることは私の責任だと。でも、私は決して我慢してここにいるわけではありません。これまでいろんな人にお世話になり、迷惑をかけながらやってきた。その人たちに対する「感謝」の気持ちが大きいのだと、最近思うようになりました。

現在のコロナ禍の状況は、震災後の福島と似ています。正しく怖がるためには、知る必要がある。知るからこそ、自分で判断ができます。私が福島に来たのは「ここを知らないままの自分で生きていたくない」と思ったから。様々な視点でいろいろなことを知って、自分で判断していきたいです。そして、自分とは価値観の違う誰かが大切にしている想いや、受け継いできたものを尊重しながらも、自分の納得のいく生き方をしていきたいと思っています。
私のまわりには、ジャーナリストや映像作家、フォトグラファー、アナウンサーなどさまざまな伝えるプロがいます。そうした中で、私だから伝えられることは何だろう、どう表現をし言葉にできるだろうかと、ずっと考えてきました。これまで出会った人たちから受け取ったものをつないで、伝えていくために私ができること。それは、私の「経験」を通して問いを投げかけることかなと思います。
とりとめのない話になってしまいましたが、今日みなさんに話を聞いていただけたことに感謝しています。

(画像提供:iStock.com/monzenmachi)



新田真由子さんのイベント動画が視聴できます。
https://www.sanctuarybooks.jp/event_doga_shop/detail.html?id=327




PRプロデューサー / フォトグラファー /地域コーディネーター
新田真由子

愛知県で転職活動中に東日本大震災が発生。その後、ボランティアで宮城県へ通う中での出会いから、東北へ移住することを決める。
東京でWEBを学び働いた後、偶然の出会いから福島の大学に務めることになり、学生や大学を地域とつなぐコーディネーターとして、被災地実習の授業などを担当。
地域の課題も魅力も表現し伝えていきたいと2018年よりフリーランスに。現在も福島に住みながら、PRプロデューサーとして、PR代行や取材などの他、地域にもともとあるものを生かしたプロジェクトや、想いをカタチにするサポートをしている。
岐阜県生まれ。

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