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生きづらいのは、きみの心が弱いせいじゃない

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近年、不登校児の数は増加の一途をたどっており、生きづらさを抱える子どもが増えています。自身も不登校を経験し、今では世界が注目するロボット開発者として活躍中の吉藤オリィさんが、新刊「ミライの武器」の中から、生きやすくなるヒントをご紹介します。

「逃げる」選択肢を持とう

私は昔、不登校で家にひきこもっていた。
もともと身体が弱くて、小学校5年生のとき、しばらく入院して学校を休んでいたら、急に勉強にも同級生の会話にもついていけなくなり、ストレスで学校に戻りづらくなってしまったんだ。
そのまま3年間と半年、私はなにかをがんばろうと思うたびに襲われるれるおなかの痛みに耐たえながら、布団の中にもぐり続けることになった。
経験のある人ならばわかるかもしれないが、一度「孤独悪循環」に入ってしまうとそこから抜け出だすのは難しい。

一日ごとに、自分は人と比べてなにもできない、人からなにも求められていないという気持ちが強くなる。
人から親切にしてもらっても、「ありがとう」が言えなくなり、反対に自分の無力さを感じて、より落ち込んでしまう。
人と比べてしまうのがつらくて、人目を避けるようになってしまう。そのうちに、言葉がうまく話せなくなった。
だんだん頭の中の語彙が減ってきて、自分は生きているだけで迷惑なんじゃないか、という考えすらよぎるようになる。
家族の顔を見るたび、心配してくれる先生や友人の声を聞くたびに、早く復帰しなければとあせる。でもなかなかきっかけをつかめない。そんな状態がぐるぐるとくり返され、そのうち〝そんな状態〟も当たり前になり、危機感も薄くなっていく。

私はこれを「孤独の悪循環」と呼んでいる。
私のような繊細な人間だけ?そんなことはない。誰だってそうなる。まさか自分が、と私も思った。
自分が孤独になったとき、そのための準備ができている人は少ない。
ひとりでいるから孤独だというわけではなく、どこかのグループにいても、この世界についていけてない、自分の居場所がないと感じている人はたくさんいる。

しかし不登校経験者として、これだけは言いたい。
その人の心が弱いのではない。たまたまいま、その人の心と、その環境が合っていないだけのことだ。
学校や会社というものは、「いろんな人が集まる場所」なんだから、運悪く、その中には合わない人も当然いる。
合わない世界でがんばることは幸せなことではない。ダメだと思ったなら、石の上にも三年と言わず、「さっさと逃げる」という選択肢を持つこと。無視されたり、頭ごなしに否定されたりする世界は、きみの「やってみたい」という好奇心と、「なにかしたい」という意欲を奪うからだ。

私は学校に行けないのがつらかった。他の人ができることができなかった。学校に行っても保健室登校で、勉強も体育も苦手で、唯一できるのが折り紙しかなかったので、自分の世界にこもってそればかりやっていた。
でも後に、私の折り紙の腕を「天才だな」とほめてくれる人たちに出会い、うれしくなって創作折り紙をがんばった結果、新しい居場所を見つけることにつながった。

人と違うことをおそれない。

自分が他人と違うと思うことはあるだろうか。違うことによって、はずかしがったり悩むことはあるだろうか。
私は集団や人となじめないことに悩んだ。ひきこもっていたときは、とにかくまわりの目が気になった。うまく話そうとしても空回りして、他人の笑い声や、ひそひそ話がすべて自分に向けられているような気がした。
でも私は、不登校から復帰するときに「他人と比べない」と決めた。
そして17歳で人生の使い方を決めたときから、「他人と違う」ということについて悩まないと決めた。
他の人と同じことをすることが、正解とは限らないし、必ずしも自分にとって楽だとは限らない。他人のいいところはまねをしつつ、自分にとって合わない点は、自分なりに快適な方法を考えていけばいいと思った。

いま私は食事は基本的に1日に1食。ほとんど研究所に泊まっていて、3、4日に1回しか家に帰らない生活を送っている。家は東京にきて14年、家賃が月6万円を上回ったこともない自分でデザインした白衣を着続けているおかげで、服選びに悩むことはない。

髪はシャワーの後、自然乾燥のままでも気にしない(ドライヤーやヘアアイロンは、開発用のプラスチックを曲げるときにしか使わない)。
あんまり物欲がなく、なにかのコレクションやバイクや車にもあまり興味がなく、音楽やダンスやライブも楽しまず、映画館ではじっとしていることができないので映画はオフィスで左目でCADを描かきながら右目で観みているくらいがちょうどいい。多くのスポーツはルールを知らないまま死んでいく気がする。テレビも仲間や自分が映る番組以外は見ない。

そんな暮らしをしていると、他の人たちが私よりも3倍くらいせわしなく生きているように見える。毎日身支度をして、家に帰って、3食食べて、部屋の模様がえをして、新しい服やクツを買って。純粋によくやるなあと思う。
よく「人間らしい生活をしろ」と言われるんだけど、現代の人間らしくなくとも私らしい生活はできている。
やるべきことに自分の全財産と、全寿命をまるごと投下できているこの生活が、ひきこもりだった頃の自分からすると夢のようで、私の性格に合っている。
私と同じように、他の人が楽しいと思えることを楽しめない人もきっといると思うんだ。

物心がついたときから周囲と価値観が合わない。普通であることに幸せを感じられない。皆がやっていることが我慢できない。
もしかしたら生まれる時代や、種族を間違えたと感じた、私と同じような人もいるかもしれないね。世間というものは、なんの悪気もなく、良かれと思って、同調と我慢をすすめてくる。

でも、まわりの価値観に合わせなくても、余計な見栄や期待やこうあるべきという観念にとらわれず、自分のことを大切にしてくれる仲間と、自分自身の意見と価値観を大切にして生きていくだけで、人生は十分すぎる。
人と違うことは悪いことじゃない。むしろ人と違う観点を持っていることは強みだ。「できないことがある」という点だって、自分の武器になることがある。
私の場合は、「中学生にもなって恥ずかしくないのか?」と周囲に馬鹿にされても好きで続けていた折り紙は、ものづくりの道へ進むきっかけとなり、海外で友人をつくるときに役立ち、高校時代にはその特技を買われて特別支援学校へボランティアに通い、そのことがきっかけで福祉機器の研究につながった。

「大人になってからやれ」とか「若いうちはそんなことしなくていい」とか言われることもあるが、興味があることはただちにやった方がいいよ。若いときにしたかったことも、大人になればその興味を失うことがある。過去といまと未来の自分は、よく似た別人だから。
人と違うことで迷惑をかけてしまうことがあるかもしれないが、人を傷つけない限り、多少の迷惑なんてかけ合うくらいがちょうどいい。真夏に黒い白衣を着ていることで、「やめろ、見ているだけで暑苦しい」と言われることもあるが、そんなことは知らんと私は思っているよ。

他人と比べなくていい。自分の人生、したいことに集中しよう。
きみの毎日は、いまのきみにしかできないことだらけなのだから。

(画像提供:iStock.com/MikhailMishchenko)


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