加納徳博 私が著者になるまで

人気イラストレーターが初挑戦! 親子でゲラゲラ笑える「おなら」の絵本

雑誌や広告、書籍などさまざまな媒体のイラストレーションで活躍する傍ら、見る側が想像して楽しむ余白を残した、独創的な作品を作り続けているアーティストの加納徳博さん。最近では大ヒットしたカードゲーム『はぁって言うゲーム』(幻冬舎エデュケーション)のイラストでも注目されています。そんな加納さんが新たに挑戦したフィールドが「絵本」。親子で大笑いしながら楽しめる、初の絵本『おならしたのだぁれ?』を、この8月に出版しました。絵が大好きな少年がどのようにアートの道を志すようになり、絵本を手がけることとなったのか。その道程を語ってもらいました。

<聞き手・澤田聡子>

子ども時代からずっと大好きな絵を描き続けてきた

聞き手

『おならしたのだぁれ?』、子どもと大笑いしながら読みました。この面白さ、オチの付け方は関西人だから? 大阪ご出身ですよね。

はい。大阪の岸和田出身です。

加納
聞き手

「だんじり」で有名な。子どもの頃から絵を描くのが好きだったんですか?

近所の子どもたちがたまたまみんな年上ばっかりだったんですよね。だから、体力的に遊びについていけないところがあって、必然的に家で「お絵描き」することが多かったんです。チラシの裏とかによく落書きしていました。

加納
聞き手

小さい頃はどういう絵を描いていたんですか。

『キン肉マン』とか、テレビで観ていたアニメが主ですね。なぜか、ずっと心に残っているのはコロコロコミックの『魔界ゾンべえ』。すっごく下品だけど面白かったんですよね。ゾンビが主人公なんですけど、運動会の100メートル走の途中で臓器が全部落っこちてしまったり。

加納
聞き手

なかなかすごいマンガですね、それ(笑)。

ずっと覚えているっていうことは、相当なインパクトがあったんだと思います。

加納
聞き手

大阪芸術大学を卒業されていますが、「アートの道に進みたい!」っていうのは昔からあったんですか?

小・中・高と美術の時間が一番好きだったんですが、学生時代はぼーっと生きていて。高3のときに友達に「芸術大学」っていうのがあるよ、って教えてもらったんです。それで「絵を描いて入れる学校があるんや!」って気づいて。それが、高3の夏休みです(笑)。

加納
聞き手

わりとスロースターター(笑)。芸大や美大といえば、受験の準備がなかなか大変そうですが。

予備校に行き始めて、初めてそれを実感しました。高校には美術部もなかったんですけど、絵が昔から得意だったというのもあって、美術の時間では割と周囲にチヤホヤされていたんですよね。それが予備校に行くと自分が一番へたくそで。特にデッサン。打ちのめされましたね……。

加納
聞き手

そのままストレートで合格? それとも浪人したんでしょうか。

浪人したんですけど、この時期が絵を描く上での土台になったと思っています。美大・芸大の予備校って、受験する大学の傾向に合わせた絵を訓練するようなところが多いんですけど、ぼくが通っていた予備校は「大学に受かるための絵を教えるつもりはない」という方針だったんです。

加納
聞き手

珍しいタイプの予備校だったんですね。

基礎はもちろんきっちりと教えてくれるんですけど、「自分の絵を描きなさい」っていうところでした。そこの予備校出身で現役の美大生が講師のアルバイトに来ていたんですけど、彼らに教わったことは今でもすごく覚えていて。ぼくらの使う「鉛筆」は、お侍さんの「刀」みたいなもんなんやから、鉛筆は常にメンテナンスしておけよ、とか。一緒にお風呂に入ってシャンプー・リンスしてあげるくらい、絵筆と常に一緒にいろ、とか。

加納
聞き手

絵を描く心構えみたいな部分から教えてくれるんですね~。

桜の絵を描く課外授業で、先生が「いの一番」に木の皮を剥がしてぱくぱく食べちゃったりとか(笑)

加納
聞き手

はははは! そりゃ、すごいですね。

そうやって、桜の味や匂いを感じたほうがよく描けるから、という教えでした。ウケ狙いじゃなくて、本心からそう思って指導しているんですよ、その先生は。要は「対象物をよく観察しろ」ということなんでしょうけど、今でもずっと心に残っています。

加納

小さい頃から好きなプロレスの絵は今でも描き続けている

「絵をやるなら10年は続けろ!」 恩師の言葉に背中を押され……

聞き手

ご実家の岸和田市も、進学された大阪芸術大学も大阪の南のほうですね。大学は敷地が「甲子園球場10個分」とものすごく広くてカントリーな感じですよね。

実家からだと、山を越えていくような感じです。

加納
聞き手

芸術系の大学ってエキセントリックな学生がたくさんいるイメージですが。

たくさんいましたよ。股間に蛇口を付けている人とか(笑)。でも、そういう奇抜な格好の人ほど、あんまり作品が面白くない? 普通の身なりの人のほうがよっぽど面白い? と当時は感じていました。

加納
聞き手

どういう授業を受けていたんですか?

ぼくが専攻したのは、デザイン学科で建築やインテリア、家具などを含めた「スペースデザイン」を学ぶコースだったんです。卒業後の進路としては、建築事務所とか家具のデザイナーなんですよね。でもぼくは在学中に絵を描き始めて。卒業制作もみんなが模型を作っている中で一人だけ、絵を描いていました。

加納
聞き手

途中で建築や空間デザインじゃないことがやりたくなってしまったんですね。

やりたくない……そうですね、正確には「逃げてた」って感じでした。ただ結果的には、建築や家具から学んだり描いたりした図面は、今にいたる作品の性格を作った大きな要素でもあると思うので、意味はあったと思います。

加納
聞き手

卒制はどんな感じのものだったんですか。

いずれにしても当時は「建築」という枠だけは外してはいけないから、苦肉の策でものすごく大きな建物の壁を作って、そこに「壁画」を描きました。講評会でクラスのみんなの前でプレゼンするんですけど、指導の先生に「これまでの人生で一番怒られたな」っていうくらい怒られたんです。建築をやらないとダメなのに、一人だけ絵を出しているんで「そらそうやろな」って感じなんですけど(笑)

加納
聞き手

みんなの前でそんなに怒られたら心が折れてしまいそう……。

伊藤先生という仙人みたいな顔をした先生にすっごい怒られた。普段めちゃめちゃ温厚で優しい先生なんで、余計にションボリしちゃって……。でもプレゼンが終わった後に伊藤先生に呼び出されたんですよね。「やりたいことはよく分かったから。やるんやったら10年、絶対に絵を描け」って言ってくださったんです。「10年やらないと、どうにもならない世界やと思うから」って。それまで、進路でモヤモヤしていたんですけど、なんだかスッキリして、それで「絵で10年は頑張ってみる!」と心が決まりました。

加納
聞き手

(エエ話や~)……「3年はとにかく頑張れ」ってよく聞きますけど、10年はハードルが高いですね。

でも、リアルな数字だと思います。実際、絵の仕事が軌道に乗るまでに10年かかりましたから。

加納
聞き手

伊藤先生……私の中では白いおヒゲで、お名前からもすっかり伊藤博文のようなイメージになっております。

ホントに伊藤博文にメガネかけたような感じの方です(笑)。今でも大阪で個展をすると初日に来てくださるんですよ。

加納

大阪から東京へ 雑誌、広告、書籍のイラストで活躍

大阪のアーティストにとって登竜門的な「iTohen」

聞き手

大学を卒業してから、すぐにイラストレーターの道に進んだんですか?

いや~、最初はざっくりと「絵を描く」ってことしか考えてなかったんです。アルバイトしながら、作品の展示をして。当時は貧乏しながら作品を作るのも「作家ってそんなもんじゃない?」という感じで。
ただあるとき、大阪のアーティストにとって登竜門的な「iTohen」(http://itohen.info)というギャラリーがあるんですけど、そこで作品を展示したときに『Lmagazine』(京阪神エルマガジン社)の編集の方が見に来てくださったんです。『Lmagazine』ってご存知ですか?

加納
聞き手

関西人なので、もちろん若い頃は読んでましたよ! おしゃれなカルチャー情報誌でしたよね。

編集の方に「ちょっと雑誌で描いてみない?」と声をかけられて。そこで、やっと「雑誌に絵を描くような仕事があるんだ!」って気づいた(笑)。

加納
聞き手

高校時代に芸大の存在に気づいたときと同じパターンですね(笑)。関西では京阪神エルマガジン社って「西のマガジンハウス」みたいなイメージもあって。商業イラストレーションのデビューとしては、加納さんの個性ととても合っていたんじゃないかなと思います。
どういうページのイラストを担当してらしたんですか?

映画とかカフェの情報が載ったモノクロページなんですけど、当時の『Lmagazine』のADが川名潤さんだったんですよ。2008年に『Lmagazine』は休刊してしまうんですが、その最後を締めくくるパーティーで川名さんにお会いしたんです。作品ファイルを見せたことで、同じく川名さんがADの『ダ・ヴィンチ』の仕事もするようになって。そのあたりから、ちょいちょい東京の媒体からもイラストのお仕事をいただくようになりました。

加納
聞き手

大阪から東京に来られたのはいつですか?

絵を描き始めてから10年目、30歳を目前にして上京しました。東京に来てからはアルバイトをせず、絵だけで食べられるようになったんですよね。伊藤先生の教え通り、10年目にしてようやく……です。

加納
聞き手

伊藤先生は本当に偉大ですね!

保育士さんたちの意見を取り入れて完成! 初の絵本作品

初の絵本を出すまでの遠い道のり

聞き手

絵本を作ろう!と思ったきっかけは何だったんでしょう?

サンクチュアリ出版さんとはさくら剛さんの『感じる科学』(2011年)のイラストでお仕事をしていて。それからしばらく経って。5~6年前かな。編集の橋本さんに「本を作りませんか?」とお声がけいただいて、やり取りするうちに「絵本」にたどりついた感じです。何か自分の作品としても「残るもの」を作ってみたい、という気持ちがあったと思います。
はじめの頃はなにもわからず「歴代首相をレスラーに見立てた図鑑を作りますか!」というアイデアを出したりしてましたね(笑)。

加納
聞き手

それも読んでみたかったです(笑)。初めての絵本、『おならしたのだぁれ?』は、「おなら」がテーマですが、こういう絵本を作りたい~!というイメージは最初からあったんですか?

橋本さんはぼくから「これを作りたい!」という思いが湧き出るのを、すごく待ってくださった感じがするんですけども。ぼく自身、魔界ゾンべえなど“単純に面白いもの”を見て絵を好きになったこともあって、子どもが思いっ切り笑ってくれるような絵本が作りたいと思うようになったんですよね。

加納
聞き手

テーマは「おなら」ですが、加納さんの絵柄のためか、下品な感じになりませんね。ただ絵本のテキストは初の挑戦だったかと思います。テキストを書くときに、苦労された部分はありますか?

親子が普段交わしているような「話し言葉」に近づくよう、何度も書き直しました。初めて手がけた絵本ですが、とにかく「読者がすぐになじみやすいように」と心がけました。

加納
聞き手

テキストが自然で読みやすいのはそういうことなんですね。最初に作ったパイロット版と完成バージョン、変わったところはどこでしょう?

一番目だったところでは、「おっきいおなら」でゾウさん、「ながーいおなら」でキリンさん、「たのもしいおなら」でゴリラ、というように、おならを動物たちでイメージできるようにしたところでしょうか。保育士さんたちから「子どもには伝わりにくい」と指摘を受けた表現を、可能なかぎり調整しました。

加納
聞き手

動物を介してイメージさせるのは子どもにも分かりやすいですよね。読者にはどういうふうに楽しんでもらいたいですか?

親子のコミュニケーションツールとして、この絵本を楽しんでもらえるといいなと思っています。友達どうしで掛け合いしながら読んでも面白そう。作者としては、この通りに読んでもらわなくてもまったく構わないので、読者が自由に解釈して「新しいおなら」を作ってもらえればうれしいです!

加納

<語り手=加納徳博/取材・文=澤田聡子>

Tokuhiro Kanoh | 加納徳博

1981年大阪生まれ。大阪芸術大学卒業。雑誌や書籍をはじめ、広告などのイラストレーションで活躍。大ヒットカードゲーム『はあって言うゲーム』(幻冬舎エデュケーション)のイラスト、TBS「サステナブる」のイラストとタイトルロゴも担当。『おならしたのだぁれ?』(サンクチュアリ出版)は初の絵本作品。

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