人に深い興味を持ち、人のために尽くすこと/柴田陽子

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』への出演で一躍話題となったブランドプロデューサー・柴田陽子さん。奇をてらわず、「道の真ん中を歩く」正攻法で、渋谷ヒカリエ、グランツリー武蔵小杉など、数々のプロジェクトを成功させてきた彼女の原点に迫る。

発表や作文が得意な「ラガーシャツに短パン」の女の子

1971年、神奈川県葉山の生まれ。「山の上に家があって、周りが絶壁の谷」という自然豊かな環境の中で、経営者の父親、専業主婦の母親のもと、2人姉妹の長女として育った。

「ラガーシャツに短パンを履いているような、とても活発な女の子でした。夕飯前につくしんぼうを妹と取りに行って、卵とじやお吸い物にしてもらったり、野蒜と間違えて畑のネギを取ってきて、母が畑の人に謝りに行ったり。父に『カニを獲りたいなら岩の間に指を突っ込んで、挟まれたら指を抜くんだ』と教わって、それを実践したこともありました。かなり痛くて、今考えると間違った教えだったと思うんですけど(笑)」

ほおずきにビワ、タラの芽。絶壁の谷へ下りていくと、さまざまなものが取れた。家で飼っていた大きな犬の散歩も、思い出に残っているという。

「踏ん張らないと転んでしまうので、綱をお腹に巻いて歩くんです。妹と一緒に1時間ぐらいかけて散歩をするのですが、サボってそのへんに座っていたら、母に見つかって怒られたこともありました」

中学・高校・大学は、キリスト教系の女子高へ。ここでも、子どもの頃からの“おてんば”キャラは変わらなかった。

「学校の帰りに寄り道をしたら、シスターに呼び出されてとくとくと説教をされて。最後に、マリア様のネックレスを首からかけられて『いつも見てるんだからね』とか言われて、『へー』とか思いながら、また帰りに寄り道したりとか」

女子校ならではとも言えそうな「制服が似合う子アンケート」が行われ、見事「冬服の1位」になったこともあった。そして、「全然勉強をしなくて、成績は悪かった」が、「倫理と宗教の成績だけは学年で1番」だったという。

「その2教科は、作文を書けば良かったので。期末試験の後、シスターに『あなたは本当に授業を聞かない人だと思っていたけれど、そんなふうに思っていた私が罪深い。あなたは全部分かっていらっしゃる、私を許してください』とか言われて。本当に何も聞いていなかったのに(笑)」

自分の頭の中にある考えや、相手の考えていることを、言葉や文章にすること——彼女の今の仕事の原点とも言える「伝える」力が、もともと優れているのだろう。

「小学校3年生か4年生の頃だったかな、授業で何かの発表をした時、夜に担任の先生から親に電話がかかってきて、『陽子ちゃんの話したことが素晴らしくて驚いた』と言われたこともありました。話したり、伝えたり、文章を書いたり—そういうのが、昔から得意だったのかもしれません」

「なんで?」を繰り返し、原因を突き詰める思考

自身のこのスキルについて、柴田さんは「たぶん、聞き取り能力が高いのだと思う」と分析する。今の仕事でも、相手が言ったことを聞き返す時のたとえ話や具体例は、その人の性別や年代、興味などを読み取って、相手に合わせて置き換える。そして、聞いた内容を「こういうことですか?」とただ言い換えるのではなく、「さも、その人が崇高なことを言っているように綺麗に整えて、『こういうことですか?』と言ってあげる」ように心がけているという。

「そうすると、相手はそこまで考えていなかったとしても、“設定”を美しくすることですごく喜んでもらえるんです。その相手が経営者なら、部下の方や仲間に合意を取り付ける際も、美しいほうの“設定”の言葉で説得すると、部下は経営者のことを『そんなことを考えていたのか』と尊敬するし、全てがうまくいく。そういうことを考えてやっていますね」

そんな柴田さんの引き出しには、相手の心を響かせることのできる多種多様なイメージが、無限に存在しているように思える。そのアイデアの源はどこにあるのだろうか。

「たとえば、JOMOの店頭に1日立って観察していると、バイトのある女の子だけが、車の運転手と話す時にちょっと腰を低くしていることに気づく。その時に、『なんて綺麗な腰のかがめ方なんだろう。どういう家庭で、どういう育ち方をすれば、あんなに綺麗な所作になるのかな?』と考えるわけです。きっと、人に対しての興味や気づきの持ち方が、変わっているか、深いかのどちらかなんでしょうね」

物事の原因を突き詰めて考えるのも、子どもの頃からの思考の癖だという。

「秘書をしている時も、『しばちゃんはいつも、なんで、なんで、なんで、なんでだねぇ』とか言って真似されたりしてました」

人のせいにせず、自分を変えていく

短大卒業後は、シスターの勧めでシカゴの大学へ。マーケティングを専攻するも、英語が話せず、授業で組まされたチームの仲間に存在を無視されるなど辛い状況に陥る。しかし、その中で「自分にできること」をコツコツと積み上げて仲間の信頼を勝ち取っていった。

「いじめられたり、理不尽なことをされたりすると、『その怒りをバネに』という人もたくさんいると思うんですけど、私の場合は人のせいにしない。『どういう私だったらよかったのかな』って、全部自分のせいというか自分を省みるんですよ。そういう意味では、一見強そうに思われがちけど、弱気なのかもしれません。生きるのが大変だから、これ、次生まれ変わったら直したいんですけど(笑)」

人のせいにせず、「自分を変えていく」こと−−。その過程はとても辛そうに思えるが、結果として、人からの好感と信頼、そして「道の真ん中を歩く」権利を得ることにつながっていくのだろう。

「短大の時に、私は好感を持っていたけど、みんなに嫌われている子がいたんです。『あの子はいつも遅刻する』とか悪口を言われていたのを聞いて、絶対に人としてやってはダメなこと、100人いたら100人が『それは良くないよね』と思う事柄を定義して、一つ一つ自分の中でなくしていく習慣をつくったんです。それで、残ったいい個性の中だけで評価される方が得だ、と思ったんですね。20歳ぐらいの時かな。人の悪口を言う、約束を守らない、時間に遅れる、ありがとうを言わないとか、全部なくすほうに注力した時期がありました」

人生の転機となった「麻布十番レインボーロールスシ」

帰国後は、外食事業会社に勤務。初めの3年間は秘書での勤務だったが、上司の「やってみなよ」の助言をきっかけに、シュウウエムラ・ネイルブティックをオープンさせる。その後、麻布十番レインボーロールスシ、丸の内ブリーズオブトウキョウなどのレストラン開発も成功させ、ブランドプロデューサーとしての活動を開始。

2004年に独立し、柴田陽子事務所、通称シバジムを設立。渋谷ヒカリエ、パレスホテル東京、グランツリー武蔵小杉、ローソンの「Uchi Café Sweets」など、14年の間に、数え切れないほどの企業のブランディングを手がけてきた。

数々のビッグプロジェクトを成功させてきた柴田さんだが、「人生最大の転機となった仕事」を尋ねると、20代の頃に手がけた麻布十番レインボーロールスシを挙げる。シカゴ留学時代にアルバイトをしていた寿司店での経験や人脈を活かし、一からコンセプト作りを手がけて大ヒットを飛ばした、思い出の店だ。

「ここから私の人生が動き出したし、来る仕事は今のほうが大きくなったけれど、やっていることは基本的に変わっていないと思います。28か29の頃の仕事ですが、今、うちのスタッフにも、その頃の時間の過ごし方がいかに大切かをものすごく伝えます。インプットなくしてアウトプットはありませんから、どれだけいいインプットを入れているかが勝負。しかも、どこへ行った、何を食べたかではなく、そこでどう感じたかが大切です。『感想を持ちなさい』というのはよく言っていますね」

そして、柴田さんが仕事をする上で「気づき」と同じぐらい大切にしているのが、「気配り」や「配慮」。多くの人々をターゲットとするブランディングはもちろんのこと、電話応対や手土産の選定など、日々の中のさまざまなシーンで必要とされるスキルだ。

「子どもの頃から、母親に『今日はどこどこからお客さんが来る。きっと渋滞に巻き込まれるだろうから、持って帰ってもらうお土産は葉山の自慢の食パンがいいかと思うんだけど、どう思う?』と聞かれたりしていました。そういったやりとりを通じて、人に喜んでもらうことや、人が欲しているものを察することの大切さを学んだように思います。それから、母が何かの時に、『誕生日の時に、パパはこういうことをしてくれててね…』ととてもうれしそうに語ってくれたことがあるんです。その時私は、『ああ、人は思い出で生きていくものなんだな。そして、その思い出は演出したり、作ってあげられるものだったりするんだな』と強く感じたのを覚えています」

人からの「やってみなさい」でチャンスが巡る人生

2009年には『コンセプトライフ』(サンクチュアリ出版)を出版。生い立ちから、外食事業会社時代の苦労と成功までの軌跡、そして、独立後の仕事として、JOMOと日本交通のプロジェクトについてその詳細を語っている。編集者いわく「柴田さんそのまま」という文体は、自伝とも、インタビューとも違う独特な読み心地で、“柴田陽子ワールド”を存分に味わえる一冊だ。

その後も、リーダー論やチームビルディングなどに関する書籍を数冊出版。しかし、いずれも「編集者から求められて」書いたものであり、あくまで「自ら広く伝えたいことはない」という姿勢を貫いてきた。そんな彼女のもとには、現在も出版依頼が殺到しているという。

「『伝えたいことはない』というのも、頑固なのかなって最近思うようになって。たとえば、私の友達のお母さんは専業主婦が多いのですが、自分の娘を専業主婦にしたいと思っている人は少なくて、『私なんて最後の生き残りよ』とか言いながら、私の仕事を応援してくれたりするんです。だから、その人の子どもたちが、ベンチマーク的に私をイメージできたり、あるいは、男の人が奥さんに対して“働いてみたら?”という気持ちになったりとか…もし、私のこれまでの経験の中で伝えられることがあるとしたら、伝えてもいいのかな、と。自分の子どもたちが大きくなった時の社会が、もっと素敵なものになることにつながるなら、という思いもあります」

出版だけではない。振り返ってみると、シカゴへの留学も、ネイルサロンやレストランの開発も、人からの助言によるものだった。「やってみなさい」と言われたことに、言われるがままチャレンジし、そこで結果を残すことで、次のさらに大きなチャンスにつながっていく—そんなサイクルが、柴田さんの人生の基盤となっていると言える。

「今もそう。『無理です』って何度も断っていた仕事もあるんですが、それでもやっぱり受けてしまうのは、自分よりすごい人が『やってみなさい』って言ってくれているのに、断る権利はないな、ということになるんですよね」

しかし、普通に生きていたら、“すごい人”から「やってみなさい」と与えられるチャンスというものは、そうそう舞い込まないように思えるが—、なぜ、柴田さんには「それ」が訪れるのだろうか。

「人との付き合い方が深いんだと思います。たとえば、ヨガを習っても、その先生の人生相談だったり、レッスンの値段のつけ方を一緒に考え直してあげたり。ジムのトレーナーさんとか、整体の人とか、行く先々で人と仲良くなるんですよね。でも、みんなに良くしようという考えはありません。あくまで、社員や友達、クライアントさんとか、自分と関わった人に対してだけ、『この人と関わってよかったと思われるように尽くそう』と思うんです」

だから、仕事を受ける際にもポリシーがある。“依頼内容”ではなく、“人”を見て受けるかどうかを決めるという。

「この前も、八ヶ岳でレストラン経営を夢見ていたご夫婦の農園レストランを作りましたが、個人商店だろうが大企業だろうが、私にとってはほとんど関係ない。その人と仕事をしてみたいかどうかが大きいですね。そして、本質はどこにあるのかを常に捉えること。この人を信じられる、と思った人を信じて歩むということを大切にしています」

展望はないけれど、「ここまで来たらやり続ける」

現在も、常時20以上のプロジェクトが走っている。取材当日も、朝6時から犬の散歩をし、7時に子どもたちを学校へ送り出し、8時にジムに到着してトレーニング開始、9時半に終わると猛ダッシュで身支度を整え、10時には事務所で打ち合わせ入り。その後も15分刻みで打ち合わせが続く−−という目の回るようなスケジュールであったが、今もすべての案件に目を通しているという。

「スタッフも成長していますが、『柴田さんにお願いしたい』というふうに依頼が来るから、私が見ていないものは出せないですよね。今は期待値も上がっているから大変です。時代のスピードも速いから、当てにくいし捉えにくい。やってらんないです(笑)。それと、『部下は上司を選べない』というのはずっと思っていて。スタッフたちがこの会社を選んでしまった以上、ここに来る前よりも、道が開ける力を付けてあげたいというのは思っています」

そんな柴田さんがライフワークとして取り組むのが、大好きな洋服の仕事だ。シバジム設立10年を機に自身で立ち上げたブランド『BORDERS at BALCONY』は、「クライアントの意図を汲む」通常の仕事とは異なり、完全に「自分の好き嫌い」だけで取り組んでいる。

「『柴田さんは、自分が頭に描いたものが次々と形になって、クリエーター冥利に尽きるでしょう?』とおっしゃっていただくことが多いのですが、依頼された仕事をやっている時に、自分のことをクリエーターと思うことはないんです。私の仕事は、その人に似合うものや、ふさわしいチャレンジのレベルのものを作ることであり、自分のやりたいことをしている感覚はありません。だから、事務所が10年経った時に、大好きな洋服の仕事を、自分の好き嫌いだけでやってみたいな、と」

子どもの頃からよく着ていたというボーダー柄をテーマに、クリエーター魂をいかんなく発揮。セレクトショップやオンラインでの販売を軸に、売上昨年対比300%を達成するなど、急成長を遂げている。

「自分が好きなこと」の仕事をすることでバランスを取りつつ、次から次へと舞い込む依頼に応えるべく奔走する毎日。東京會館や渋谷駅前の商業施設開発、全く新しいコンセプトを持ったセルフエステ業界、高崎市のシニア向けサロンなど、この冬以降も、手がけた施設が続々とオープンを迎える。自身の今後については、どのような展望を持っているのだろうか。

「展望は全然ありません。ただ、ここまで来たらやり続けなくてはいけないんだろうな、とは思いますよね。講演をしたり、本を出したり、月1回顧問先の企業に出向いてコンサルしたりするほうが、100万倍楽だし稼げると思うし、実際、そういう仕事をされている方もたくさんいますよね。それなのに私は、スタッフの誰々が元気ないとか、拗ねてるとか聞いたら、呼び出して『何かあった?』なんて機嫌とってる(笑)。地を這うような仕事に『やってらんない』っていう気持ちと、『決めたんだからやらなきゃ』というのが、毎日戦っている状態です。ただし、個人としての展望はないけど、『この会社をいい会社にしたい』という希望はあります。」


柴田陽子プロフィール
神奈川県生まれ。大学卒業後は、外食企業に入社し、新規業態開発を担当。
その後、化粧品会社での商品開発やサロン業態開発なども経験し、2004年「柴田陽子事務所」を設立。
ブランディングプロデューサーとして、コーポレートブランディング • 店舗プロデュース • 商品開発など多技に渡るコンサルティング業務を請け負う。2014年セブン&アイ・ホールディングス「グランツリー武蔵小杉」総合プロデューサーを務める他、2015年 東急電鉄「(仮称)代官山東横線上部開発計画」「渋谷ヒカリエ レストランフロア」プロデュース、 2015年ミラノ国際博覧会における日本館レストランプロデュース、パレスホテル東京「7料飲施設」、ローソン「Uchi café Sweets」、ルミネ、日本交通、JOMOバリュースタイル、空也5代目による「空いろ」、などのブランディングに携わる。また、都内にて飲食店を直営店として経営。
「自分が本当に納得のできる、ものづくりがしたい。」という思いから、理想の洋服作りをはじめ、
2013年秋「BORDERS at BALCONY」を立ち上げる。
著書に『コンセプトライフ』(サンクチュアリ出版)『はじめてリーダーになる人の教科書』(中経出版)などがある。

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