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何者でもない「凡人」が人生を勝ち抜くための戦略/あだち

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友達0人の暗黒時代、ギャンブル依存症、父の他界などを経て、アフィリエイターとして独立したあだちさん。何もない自分が充実した人生を歩むためには「気づき」と「戦略」が重要。これまでの自身を振り返りながら、人生を好転させるカギを探ります。

自分はスーパーヒーローではない

これはほぼ今日の結論ですが、自分で自分が何者であるかに気づくことがとても大切です。自分になにかしらの潜在能力や素晴らしい才能が眠っているんじゃないかと思っている人は多いですが、漫画のようなスーパーヒーロー的な能力などありません。それに気づいてからの「学び」と「行動」の継続が、人生を好転させる戦略となります。

森博嗣さんの小説『Φ(ファイ)は壊れたね』に、「ある事態が思考可能である、とは我々がその事態の像を作りうることに他ならない」という一節があります。自分の行く先の人生が像として浮かばなければ思考もできません。具体的なイメージが見えるからこそ思考することができ、それによって行動も導かれる。漠然と「よくなりたい」と思っていてもダメということです。

僕の人生は、「気づき」を中心に成り立っています。そこからの「学び」と「行動」の継続が、いまの僕を形成しています。最初の大きな気づきは中学生の頃。今日は僕の半生を振り返りながら、人生が好転していくエピソードをお伝えします。

中学の卒業式で自覚した「孤独」が自身を変える

八方美人だった少年時代

中学までの僕は、とにかく八方美人。嫌われるのが怖くて常に相手の顔色をうかがい、まさに人畜無害の人間でした。中学で身長が175cmあったので、喧嘩に巻き込まれることはありませんでしたが、ターゲットが順番にまわってくるいじめみたいなものは経験あり。そのときは本当に違和感を覚えたので、首謀者に「なんで俺がこんなことされなきゃあかんの?」と直談判に行ったりもしましたが、基本的には八方美人で、学校の勉強ができることだけを頼りに生きていました。

とくに苦手だったのが女子と話すこと。どう見られているかを気にしすぎて全然うまく話せませんでした。好きな女の子にアピールするため、でかいオルゴールの置物という謎のプレゼントをしたこともあったほど(笑)。

唯一、アイデンティティを保とうとがんばっていたのは、人と違う文章を書くこと。小学校の宿泊行事のあとにクラスで作文を書いたときも、行きのバスで酔い止めを飲んでめちゃくちゃ眠くなったけど、みんなとトランプをしたいし…という葛藤を延々と綴ったり(笑)。大量の作文を読む先生が「あ、これちょっと他の作文とちゃうやん」と思うようなものを書きたかったんですよね。その後、小説を書くようになったりもしましたが、文章に関してだけは人と違うことをやろうと当時は思っていました。

ただ、このままの自分ではダメだと痛感する出来事が、中学の卒業式の日に起こりました。卒業アルバムの最後のページにみんなで寄せ書きするやつ、あるじゃないですか。あれ、誰にも「書いて」と言われなくて、逆に僕が「書いてほしい」と思える人もひとりもいなかったんです。これだけまわりに気をつかって八方美人でやってきたのに、友達は0人。この日に感じたものすごい孤独感が、僕に変えるきっかけをくれました。

「人心掌握」の重要性に気づく

つまり僕は、人間の心がまったくわからなかったんです。まずは問題を理解しないことには先に進めないと思い、人のことを知るために図書館に行って心理学の本を読みあさりました。本来なら「もっと人と話してみよう」とか思うんだろうけど、当時の僕にはその発想がありませんでした。

そこで気づいたのが、「人心掌握」の重要性。これまでは人の反応にばかり気を揉んで、人に反応して生きてきたけど、そうではなく自分が主体となって人を反応させる側にならなければいけない。そうすれば生きやすい人生になるに違いない。そう感じて、八方美人を演じるのはもうやめようと決意しました。

アドラー心理学には「課題の分離」という考え方があります。自分がコントロールできること以外では悩まず、自分の課題だけを全力でやるという考え方です。たとえば、仕事を期限内に終わらせることは自分次第でできますが、それを見て上司が怒るか褒めてくれるかは自分ではコントロールできません。なのでそこまでは気にしない。たとえ上司が怒ったとしても、怒らなければならない目的があって怒っている、というように考えます。だから、僕が伝えたいことを思うままに伝えても、人からどう思われるかは僕の悩む範疇ではない、と思えるようになりました。

心理学の本からは、人心掌握に関するいろんなことを学びました。たとえば「返報性の法則」。なにかしてもらったらお返ししなければいけない、と思ってしまう心理のことです。それを応用し、人になにかをしてあげたときには、相手がお返しをしようとしてくれてもあえて受けとらず、さらになにかをしてあげる。それを上乗せしていくことで、自分が本当に困ったときに多大な援助してくれる、心強い味方をつくることができます。

また、人を動かしたいと思ったときは、その人が嫌いなだれかを挙げて「○○さん、あなたと同じやり方をしていましたよ」と言う。自分の嫌いな人と同じことをするのには抵抗がありますから、その人は僕に誘導されたと自覚することなく、自分の行動を変えてくれます。

「嫌われたらラッキー」と思う

現代人が抱えるストレスの大半は、人的ストレスだと思っています。昔の僕もそうでした。だから、自分が主体とならなければいけないと思うようになってからは、個性を全開にして「偏るだけ偏る」ことを心がけました。「お前KYだな」と言われてもいいから、自分をブラさずに生きようと思ったんです。

その結果、嫌われることは以前より増えました。その代わり、好きになってくれる人も増えました。偏りができたおかげで、好きなことを夜通し語り合える友達ができましたし、嫌われた分だけ別の人に好かれるから「嫌われたらラッキー」とも思えるようになりました。偏りは僕を人畜無害から脱却させてくれました。

女子と話せるようになったのも高校時代。「カッコよく見られたい」と思うことをやめ、「そもそもカッコよくないんだし」「今後もし女子となにも起こらなくてもいいし」と心底思えてからは、女子も男子と同じ対応に切り替えることができました。そう割り切ったおかげか、初めての彼女もできました。

どんどん湧いてくる自信

高校時代は帰宅部だったので、毎日夜までファストフード店でバイトざんまい。お金に余裕があったから、同級生たちにジュースやお菓子をおごったりしていました。文化祭の準備中とかにみんなに差し入れをすると、それだけでヒーロー扱い(笑)。まわりよりも経済的に優位に立てたことで、お金を稼ぐことのおもしろさや魔力を実感しました。

大学受験はほぼ挫折。高校1年までは偏差値70くらいあったものの、彼女にのめり込んで成績は猛烈に下がりました(笑)。将来ゲームクリエイターになりたいと思っていたんですが、当時の小学生は学校でパソコンの授業を受け始めていて、その子たちに勝てるのか?と言われたら自信もなく。たまたま受かった地方の国立大学に進学しました。

そこで始めたのが、お子さんをもつ親御さんに教育プランと商品を売る営業のバイト。もともと事務で入ったつもりが、試しにやってみた営業の仕事で好成績を叩き出してしまったんです。中高時代にめちゃくちゃ勉強した心理学の知識や、大学受験のときに興味をもって調べた受験システムの知識が活きたんですよね。

それ以上に、自分が扱う商品にだれよりも自信をもっていて、「こんなにいい商品を断る理由がわからない」と心底思っていました。そのうえで、契約する「重要性」やいますぐ契約すべき「緊急性」、いま契約しないと損するという「限定性」などをうまくアピールできていたことが、僕が売れた要因だと思います。

自分が主体になるべく、コンパの主催も積極的にやりました。イベント事業の基本を理解できたのもこの経験から。そうなってくるといよいよ、「俺、すごいんじゃね?」と思い込むようになっていきます。

ギャンブル依存症、そして父の他界

個人ではなくチームで戦う

就活を始める頃には、経営者になりたいと思うようになっていました。ただ、僕は0から1を生み出せるタイプではなかったので、いまある組織で頂点を目指すことが近道だと判断。パチンコ店でのバイト経験があったことや、自身もギャンブル好きだったこと、人事の人がおもしろそうに働いている姿を見ていたことから、パチンコ業界に就職しました。

すでに営業経験があり、自信過剰にもなっていたので、当時の僕は「偏り」を通り越して「尖り」まで行っていたと思います。同僚や上司に疎まれることもありましたが気にせず、トップを目指すことだけを考えて働きました。出世するためには、上司に信頼されて引き上げてもらう必要があります。そこで、個人戦ではなく、チームや部署のトップが理想とするチームを実現するためのチームマネジメントを実践するようになりました。

『孫子兵法』をご存じですか? 紀元前500年頃の中国の軍事思想家・孫武が説いたといわれる、戦う将軍に必要なノウハウが詰まった兵法書です。「彼を知り己を知れば百戦危うからず」。つまり、敵だけでなく味方のことも把握できていれば百戦しても敗れない。戦いの大筋の把握と敵軍の分析をするための「五事七計」は、現代のビジネスでも大いに活かせます。難しい本ではないのでぜひ読んでみてください。

限りある時間をどう使うか

僕の価値観が大きく揺らいだ出来事があります。それは父の他界。

末期の肺癌を僕は母から知らされるものの、母は「本人に伝えたら精神を保てないと思う。最期まで家族が知っている父親でいてほしい」と、本人に告知はしませんでした。それを知ってからは毎週実家に帰り、もし父が健康だった場合に帰省していたであろう回数よりも多く父に会うことを自分のけじめにしました。

ある日、5人家族が全員そろった食卓で、父が呟いたんです。「小さなお茶碗一杯のごはんが食べられることがどんなに幸せか気づいた」と。僕は、命には限りがあることや、自分が本当に幸せと感じることに時間を割くことの大切さを、わかっていませんでした。

ちなみに僕はギャンブル依存症でした。学生時代からパチンコとスロットが大好きで、ほかにもあらゆるギャンブルをやりました。おそらく3000万円くらいは負けたんじゃないでしょうか。いろんな偶然が重なって脱却することができましたが、いまでも完治はしていないと思っています。依存症を治すには、「二度とやらない」ことを徹底し続けるしかありません。

限りある命なのに、脱却したギャンブルを扱う業界にこのままいてもいいのか。それが自分にとって有意義な時間といえるのだろうか。そう感じ始めたことが、独立を決意したきっかけです。

ふつうの人間が充実した人生を送るために

独立にあたって、FXや転売事業、イベント事業などをいろいろと実践してみました。そのなかで形になる可能性があったのがアフィリエイト。最初の半年はまったく稼げませんでしたが、有識者から学ぶなどしてめちゃくちゃ努力した結果、徐々に形になっていきました。

林修先生は、「正しい場所で、正しい方向を向いて、十分な量がなされた努力は裏切らない」と言っています。また、パブロ・ピカソは、「なにを描きたいかは描き始めて初めてわかる」と言っています。自分が本当はなにをしたいのか、そしてそれに向けて正しく努力できているかは、やってみて初めて見えてくる。だから、とにかく前に進んでみることがなによりも重要です。

有意義な人生を送るために意識していることがいくつかあります。まず、「『楽』ではなく『楽しい』を目指す」こと。一発逆転など、楽を目指して生きてもなにも得られません。自分の人生を楽しむためにはどんなことが求められて、なににいくら必要なのか、考えたうえで仕事をするようにしています。

また、「ストーリーのある戦略をもって進む」こと。「サードプレイス」というストーリーを描くスターバックスは、日本上陸時、店舗拡大しやすいフランチャイズではなく完全直営店という形式をとりました。ミクロで見れば非合理的ですが、ストーリーを実現するというマクロ視点で見れば合理的。月に1冊しか本を出さないサンクチュアリ出版も、「本を読まない人のための出版社」というストーリーを実現するには、月に1冊でもいいから質の高い本をつくり込んだほうが合理的です。

あとは、「ライバルはいま眠っているか考える」こと。自分と同じレベルで努力する人が20人いたとして、そこから抜きん出るのは並大抵の努力ではできません。睡眠を否定するわけではありませんが、寝る間を惜しんで努力するという根性論に近いものこそが、+1%を実現すると思います。戦略を立ててしまえばあとは日々の行動だけ。明日もあさっても来週もがんばらなければと思うと今日がしんどくなるので、「今日だけがんばる」ことも意識しているポイントです。

最後に、「座右の銘をもつ」こともおすすめします。自分の行動の指針をもっておくことで、たとえ夢や目的が変わってもブレずに努力を積み上げていくことができます。僕の座右の銘は、高校時代からずっと「自分に起こるすべての事象は自分にとっての最善」。これを胸に抱いているからこそ、つらい経験も自分にとって必要なことだと思えています。

人生は「気づき」。自分がふつうの人間であることを受け入れ、本当に楽しいと感じる生き方をするためになにが必要なのか、日々のなかから「気づき」を得て「戦略」を立てていくことが大切です。いざ進み始めると夢の形を見失うことがありますが、それは夢に近づけている証拠。到着寸前にはすでに違う夢が出現しているでしょう。自分の戦略に基づいて行動し続ければ、人生は必ず好転します。

(画像提供:iStock.com/Benjavisa)
あだち
元ギャンブル業界のマネージャー&財務経理としてサラリーマンを7年半。
元ギャンブル中毒者で辞めてから10年。
父親の死をきっかけにアフィリエイターとして独立する。
現在はWEBビジネスの個人指導やセミナー講師などを行い事業の多角化を狙う。
Twitterアカウント @adachinoaccount