池田貴将 私が著者になるまで

自分以外の誰かのために、もっと成長したい。自然とそう思えるようになった。/池田貴将

#私が著者になるまで

セミナー講師として全国を飛び回る毎日を送っている池田さん。
早稲田大学在学中からセミナーを主催し、その分野で「世界No.1コーチ」と呼ばれるアンソニー・ロビンズから直接指導を受けるなど実績を積んできた。

ビジネスの成果を上げる「実践心理学」と、東洋の「人間力を高める学問」を統合した独自のメソッドを開発し、経営者や役職者から高い評価を得、現在も引っ張りだこの人気となっている。
世界No.1コーチから学んだ「結果を出し続けるマネジメント術」が惜しげもなく込められた『動きたくて眠れなくなる。』と、自らの東洋思想研究の集大成として吉田松陰の言葉をつづった『覚悟の磨き方』という2冊のヒット作は、どのようにして生まれたのか。
過去を紐解き、その原点に迫った。

山と田んぼに囲まれ
のんびりと過ごした野球少年時代

いつもスーツ姿で涼しげな印象の池田さんが、故郷の話をするときには、顔をくしゃっと崩し、にこやかに笑った。

出身は、群馬県沼田市。新潟県にほど近く、冬は家々が真っ白な雪で埋もれていく。

山と田んぼに囲まれた自然豊かな環境が、池田さんのおおらかな心を育んだ。

家族構成は、3人兄妹の長男で、2つ下、5つ年下に妹がいる。祖父母と3世代、仲睦まじく同居していた。

「小さい時は、男の子と遊ぶよりも、妹たちと人形遊びをしているのが好きでしたね。父は公務員、母は専業主婦で、かなり堅実な家庭で育ちました。いったいどこに将来こんな仕事をするエッセンスがあったか、心当たりがまったくありません」

小学校時代の夢は、今の仕事からは程遠いサラリーマン。地元で有名な企業であった『亀田製菓』の社員になりたかったというが、それには下心があったよう。

「小さい頃から亀田製菓の『柿の種』が大好きで、就職したら毎日柿の種が食べ放題だと思ってたんですね(笑い)」
この時は、家族も、友達も、自分自身すら、講演家という職業に就くなどとは想像していなかった。

そんな池田少年の“未来の種”となった、小学校時代のエピソードがある。地元の少年野球チームで野球を教えてくれていた、監督との出会いだ。

「その監督には独自の理論がありました。まず、ミスをしても『お前下手だな!』とは絶対に言わず『へぼだな!』と言われました。反対にどんなに上手なプレーをしても、褒めるのではなく『へぼだな!』。結局どうやっても『へぼだなあ』と言うんです。小学生ながらその理由を考えたとき、結局は上手くなることにゴールはないということではないかと思い当りました。でも、だったら僕らは無限に成長できるはず。ずっと『へぼ』だからこそ、成長し続けられるんだ。そう思うようになったんです」

また、監督は選手が失敗して落ち込んでいるようなときには口癖のように「根暗(ねくら)だなあ。根明(ねあか)になれ、根明に!」と繰り返していたという。

ミスに対し、ネガティブに落ち込んでしまうか、ポジティブに次につなげるか。心のありようだけで、その後の結果が変わってくることを、池田さんは子ども心に感じた。

 

受験に失敗
自分探しに迷走する日々

小、中、高と野球に打ち込む日々。一方で、大学入試を見据えて予備校にも通っていたというが、部活にすべてをささげるあまり勉強の時間が十分に取れなかった。

ただ、予備校の先生は、池田さんの能力を高く買っており、こんな言葉をくれた。

「京都大学の法学部を目指してみないか」

高校1年生だった池田さんは、目の前の野球に没頭するあまり、将来について真剣に悩んだこともなかったため、「先生がそう言うのなら」と京都大学合格を目標にした。

夜の9時頃まで部活をやって、その後予備校に行き、11時まで勉強という生活をずっと続けたが、日本最高峰の学校の壁は厚く、残念ながら受験に失敗。浪人の道を選択した。

浪人するにあたっては、高校時代に衛生授業で知って尊敬していた英語の先生について学びたいと、その先生がやっている英語専門の予備校に通うことを決意し、上京。

滑りだしこそ順調で、夏には全国模試で京都大学合格S判定をもらうところまで成績を伸ばした。
しかし、そこは遊びたい盛りの青春時代である。渋谷109のショップで働く店員さんに恋をしたことをきっかけに、勉強が次第におろそかになってしまった。
「予備校の塾長に“池田、このままいくと田舎の吉幾三になるぞ!”と言われました。東京には自分よりもすごい人たちがたくさんいるのだから、もっと上を目指して厳しい環境で揉まれなさい。そう伝えたかったんだと思います。」

翌年にいくつかの私学を受験し、5校に合格。その中で、予備校の先生の言葉を思い出し一番偏差値の高い早稲田大学商学部に入学を決めた。

しかし、池田さんの心は平穏とはいいがたかったよう。

「同じ高校の出身で、同じ予備校に通っていた同級生のA君は、浪人時代からバイトをしながら必死に勉強して第一志望の東京大学に合格していました。塾でも“池田のようにはなるな、Aのようになれ”と揶揄されてしまう始末。本当に大きな劣等感がありました」

「僕は、何に向かっていくんだろう?どこに向かっているんだろう?」

大きな劣等感と、未来に対する不安を抱えて、大学生活はスタートした。

それらを払拭するように、池田さんは大学で催されている講演会に片っ端から参加するようになった。

その中で、ある公認会計士の講演を聞き、次のような言葉に感銘を受ける。

「会計士は、ただお金の流れを見ているだけではありません。世の中のお金の流れをみて、会社のお金の流れをみて、会社にアドバイスをする。それが会計士の仕事なのです」

その言葉が、池田さんの新たな目標を作った。

「自分も大きなお金の流れを見るような仕事がしてみたい。そう思った瞬間、劣等感がふっと消えたんです。僕が今抱いたあこがれは、A君とは関係のない、僕だけのものなんだ。誰とも比べられないものなんだ。そのように発想が変わったからです」

そこから親に頼み込んで資金を出してもらい、会計士の専門学校に通った。

1年間必死で勉強した結果、予備校の全国模試で5位にランクイン。

しかしそれなのに、達成感はなかったという。

「1年間必死に勉強して、できるようになったのは、会計士の問題を解けるようになっただけ。本当に自分はこうなりたかったのかな、と悩んでしまい、結局は会計士を目指すのを1年で辞めてしまいました」

大学時代前半は、池田青年の迷走の時期である。

やりたいことが定まらず、さまざまなものにトライしてみるが、結局どうもしっくりこない。

経営やマーケティングについても興味を持ち、MBA取得の夢を描くも挫折……。

それを知っていた地元の塾の先生から「自分の予備校のマーケティングをしてくれないか」と依頼され、意気揚々と凱旋するも、池田さんが書物から学んだことはことごとく通用せず、何も結果を出すことができなかった。

(本ばかり読んでいてもだめだ、現場でやらないと僕はダメになる…)

池田さんの心には、いつしか大きな焦りが生まれていた。

 

 

「NLP」の技術を使って
塾の集客やテレアポで成果を上げた

そんな日々の中、とあるイベントに参加した際、ファシリテーターが「100人の社長を作る」というプレゼンテーションを行っていた。

それに感動した池田さん、「自分も社長を目指す」と心を新たにし、講演後にそのファシリテーターの元へ挨拶に行った。

池田さんの熱意に押された男性から、こんな誘いがあった。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、一度私が働いているコンサルティング会社でインターンシップをしてはどうか。そこではいろいろな経営者に関われるから、きっといい経験となるはず」

池田さんは、そこに机上では学べない“現場”の存在があることを感じた。

大学2年の冬、池田さんは休学届を出して、インターンシップ生となった。

本気で経営やビジネスのスキルを身につけることを決心した。

以前から、その会社の環境は甘いものではないことはよく知っていた。

しかし実際に深くかかわってみると、その厳しさは想像以上だったという。

「ほとんどのインターン生が1週間で辞めてしまうような厳しい会社でした。月給は8万円支給されていましたが、1日ほぼ24時間勤務でまともな休みはなし。時給換算だと200円ほどです。家にもほとんど帰れず、オフィスで椅子と椅子をつなぎ合わせて寝るテレビ局のADのような生活でした。上司は本当にいつも怒っていて、オフィスに毎日歯ぎしりの音が鳴り響いていました」

大学生にとってかなり過酷な体験だったが、だからこそ学べたものも多かったと池田さんは振り返る。

「仕事とは、自分がどれだけがんばったかではなくて、僕がやったことを相手がどれだけ評価するかによって決まるということがわかりました。本当に怖い上司でしたが、そのことを学生ながらたたきこまれたのはいい経験でした。また、こうした厳しい上司や先輩の力をうまく借りながら自分の業務を回していく、というコミュニケーション力も磨かれていきました。そのほかに、プレゼンテーションや資料づくりといった実務能力も身につきました。現在の講演活動、起業家、経営者としてのベースとなるスキルをすべて体得させてもらったと思います」

こうしてインターンシップ生として日々をもがいて過ごす中で、同級生のかわいい女性から、とあるセミナーに誘われたことがあった。

息抜きがしたいタイミングでもあり、なんとか上司を説き伏せて、3日間のセミナーに参加した。

「いわゆる自己啓発のセミナーでしたが、そこで受けた衝撃はいまだに忘れられません。一緒にセミナーを受けていた周りの大人たちが、どんどん元気になって、どんどんキラキラしていく……。そんな姿をみた時、“僕もこんな風に人を輝かせたい”と心底思ったのです」

また、この時に出会ったのが、心理学という科学的観点から人の行動にアプローチして変えていく「NLP」を実践する、“NLPプラクティショナー”という資格だった。

それを知ったとき、池田さんは自分の目の前に新たな可能性の海が広がっていることを感じた。

セミナー後も、池田さんは新たな出会いを忘れることができなかった。インターンシップには身が入らなくなり、辞めることを決意した。

「昔からそうなんですが、昨日まで燃えていたことも、意味や意義を見失うと、すぐに辞めようと決断できてしまうんです」

とはいえ、情熱を注いだインターンシップを辞めたことで、池田さんは“燃え尽き症候群”となった。何もやる気が起きず、ぼおっと過ごす日々が続いた。

(あれほどまでにやる気に満ちていた自分が、気持ちひとつでこんなにも落ちてしまうなんて……)

自分の心の移り変わりに驚きを覚えた池田さんは、そこから心理学の本を読みあさるようになったという。

うつうつと過ごしていた池田さんの救世主となったのは、地元の塾だった。

再び、マーケティングに関して力を貸してほしいという依頼があったのだ。

「その時は、インターンシップで鍛え上げられていたので無敵でしたね。マーケティングプランの設計もできたし、プレゼンテーションもできたし、ソリューションまでまとめられるようになっていました」

まさに、前回とは別人だった。

結果的に予備校の集客に大きく貢献し、そこで販売していた講座をどんどん売るほどにまでなった。

また、塾で自らイベントを開催し、受験勉強をしている学生たちと触れ合った。

「頑張っている学生たちを、なんとか元気にしたい。私のようにもし受験に失敗して劣等感を持っても、そこからまた前向きに生きてほしい。そんなメッセージを発信したくて、自己啓発系の本をたくさん読みました」

ジグ・ジグラー、ナポレオン・ヒル、ブライアン・トレーシー……。この時期に世界的な自己啓発の名著を読み漁ったことが、結果的にセミナー講師としてのバックボーンを厚くすることにつながっていった。

大学3年生で復学し、地元予備校で働いて稼いだお金を使って、ずっと勉強したかったNLPの講座を受けることを決意。

「僕はどうしても、提供されている講座の中で一番高価な、経営者・ビジネス向けのセミナーを受けたかった。担当の講師にメールを送って『自分は大学生だが、こういう実績があって、将来こういうビジョンがあります。だから受講させてください』とメッセージを送り、講師も快諾してくれました」

そうして勉強を重ねる中で、「自分が学んでいるスキルは本当に効果があるのか」を試すためテレフォンアポインターのアルバイトをした。

実践すると確かに効果があり、はじめて1か月でその会社でトップの成績を残せたことで、池田さんはNLPの実力を改めて思い知った。

 

 

アンソニー・ロビンズと出会った衝撃で
人生が動きはじめた

こうしてNLPに傾倒していった結果出会ったのが、アンソニー・ロビンズ。池田さんの人生を変えることになる“メンター”である。

「Amazonのおすすめ本から知ったのですが、著作の日本語版の内容がいまいち理解できなくて。やっぱり英語の原本を読もうと一念発起したのですが全然読み進められず苦労しました。NLPの講座で“アンソニー・ロビンズは世界No.1コーチである”と聞いていたので、その人から学んだら自分もトップクラスになれるのではないかという思いは持っていました」

その思いが、“大胆な行動”に変わるまで、さほどの時間はかからなかった。

大学3年の終わり、周囲が目の色を変えて就職活動に取り組んでいる中で、池田さんはどうしても“アンソニー・ロビンズ”という存在に直接触れてみたい気持ちを抑えきれず、開催地であるオーストラリアに行くことにした。

「僕はこのまま就職しないで大丈夫か。そんな考えももちろんよぎりましたけど、他でもないアンソニー・ロビンズのセミナーです。

これは行くしかないだろうと。思えば若さと情熱しかありませんでした」

渡航費も含め、セミナーにかかる費用は約50万円。その工面に奔走し、なんとか開催地であるオーストラリアに渡ることができた。

聞いていた通り、アンソニー・ロビンズはまさに「世界No.1コーチ」だった。ビル・クリントン前大統領、 世界的投資家のジョージ・ソロス、テニス・プレーヤーのアンドレ・アガシなど、コーチングを受けたリーダーや著名人は多数いたが、彼らを心酔させるだけの大いなる魅力と、常識を打ち破る破壊力がそこにはあった。

「感動と驚きの嵐でした。なぜ、世界のVIPがこぞって彼のコンサルを受けに数億円、数十億円を支払うのか、よくわかりました」

日本に戻っても、就職活動はしなかった。

これまで迷いに迷ってきた池田さんの目には、ようやく自分の進むべき道が見えていた。

卒業後は、当時日本で唯一アンソニー・ロビンズのメソッドを伝えていた会社に直談判し、セミナーサポートのボランティアを始めた。

とにかくアンソニー・ロビンズに近づきたくて、彼の側近ともいえる女性が来日した際には、「どうすれば彼のようになれるのか」と質問攻めにした。

彼女の“著書をもっとよく研究してみて”というアドバイスに従い、必死にアンソニー・ロビンズの研究を始めた。

セミナーDVD、オーディオプログラムも取り寄せて、何度も彼のプログラムを聞くようになった。

最初はお経にしか聞こえなかった彼のDVDやCDも、だんだん聞き取れるところがでてくるようになった。

一方で、その知見を形にするための試みも以前から行っていた。

「大学卒業前に、自分のような若造がセミナーをやったら、どう失敗するのか?それを検証してみたことがありました。無料だと失敗か成功かあいまいなので、わざと高額の15,000円に設定してセミナーをやったのです。一回目は友人や知り合いの経営者が15人参加してくれましたが、2回目からは数人しか集まらず、まさにもくろみ通りの失敗でしたね」

こうした経験を通じ、「自らセミナーを開催し、それを仕事にする」という道を歩む覚悟が少しずつ固まっていったという。

現在もアンソニー・ロビンズ直伝トレーナーとして
主に組織作りや人材育成をテーマとした講演を行っている。
講師家やビジネス作家など専門家からの人気が高い。

 

 

渡航するための
資金集めから得た教訓

ただし、決してすべてが順風満帆というわけではなかった。

とある経営者が、池田さんの力を見込み「費用は全部出すから、アンソニー・ロビンズのセミナーを全部受講して、スペシャリストになってきたらいい。そして私と一緒にそのメソッドを伝えよう」と言ってくれた。

願ってもない申し出に、池田さんは迷わず承諾。アンソニー・ロビンズの主要トレーニングを受けに渡米を決意することを決意する。

万全に準備をして、いよいよ渡米となったタイミングで出資してくれる経営者に会ったとき、池田さんは耳を疑うような言葉を投げかけられた。

「そんなことを言った記憶はないな。お金なんて出せないよ」

当時、すべてのトレーニングを受けるためには、渡航費や宿泊費も含め300万ほどかかった。個人ではとても行けそうになかった。

傷心し、途方に暮れていた池田さんを救ってくれたのは、周囲の友人たちだった。

「俺たちも協力するから、こんなところであきらめるなよ。何とかして、アメリカに行って来いよ」

このことを思い出すと、池田さんは今でも目頭が熱くなってしまうという。

「僕一人だけだったら断念していました……。あの時、諦めるなと言ってくれた仲間がいたから、今の僕があるんです」

ただ、現実としてお金がない。まずはそれを集める方法を考えねばならなかった。

仲間とも相談を重ねた結果、池田さんはひとつのアイデアにたどり着いた。

「“セミナーを1ヶ月間受講して帰ってきたら、学んだ最新メソッドを伝えるセミナーを3日間開催します。その後の無料コーチングと、セミナーのDVDも付けます。みなさんの代わりに僕がアメリカでアンソニー・ロビンズから学んできて、すべてをこのセミナーで皆様にお渡ししますから、それを買ってくれませんか”。そんな売り出し方とともに、セミナーのパッケージを販売しました」

とにかく時間がなかったので、SNSなどを駆使してあらゆるつてを当たった結果、5万5千円という価格にもかかわらず30名が購入してくれた。

また、そうして販売していく中で、素晴らしい投資家の方との出会いがあったという。

こうしてなんとか最低限の費用を溜めることができたのだった。

「アメリカへ行ける……。その喜びは大きかったですが、実はもう僕のアメリカへの旅は自分のためのものではなくなっていました。日本で自分を応援してくれ、待ってくれている人たちの力になるために、1ヶ月間のアメリカに修行に飛び立ちました」

そして、池田さんは無事、1ヶ月に渡る研修漬けの日々を終え、日本に帰国した。

公約通りセミナーを開催したが、当日の参加者は5名程。多くの人はDVDでの受講だった。

(みんな自分のスキルアップよりも、純粋に僕のことを応援するためだけにお金を出してくれたんだ)

池田さんはそう感じたという。

「僕はそれまで“自分の夢のひとつ”としてアンソニー・ロビンズになりたかったけれど、そんなことはどうでもよくなりました。僕を応援してくれた人たちに報いるためにも、もっと成長したい。自然とそう思えるようになりました。」

そこからはもう、迷いはなかった。

 

 

感情の持つ力を味方につければ
人生は違ったものになる

大学を卒業して1年がたったころには、少しずつセミナーに集客ができるようになってきた。しかしセミナー自体が安価だったため、とにかく数をこなすしかなく、収入も「その日暮らし」の状態であった。

そんなときにふと思い出したのが、小学校時代の野球監督の口癖だった「へぼ」と「根明」。

自分はまだまだへぼなんだ、それでも明るく前向きにいよう、そう考えると肩の力が抜け、自然体でいることができた。

そうした日を送る中、ひとつの大きな出会いがあった。

人づてに、セミナーのプロデュース業をしているB氏を紹介してもらったのだった。

業界でのキャリアが長く、百戦錬磨のB氏の懐に、池田さんは飛び込んだ。そして“どうやったらセミナーで食べていけるのか”を真摯に尋ねた。

そしてB氏から、あるアイデアをもらうことができた。

「君は若いのだから、大学生向けにセミナーやってみたらどうだろう。そうしたことをやっている人も私の周りにはいないし、面白いんじゃないか。誰か大学生で影響力のある人と繋がって、コラボレーションするといい」

それを聞いた池田さんの脳裏に、ぱっと思い浮かんだ人物がいた。

大学の同級生が知り合いだった、カリスマブロガーの「はあちゅう」こと伊藤春香さん。

すぐに友人に連絡をして「はあちゅうさんと会わせて欲しい」と伝えて、会う機会をセッティングしてもらった。

はあちゅうさんには、自分のこれまでのことをすべて伝えたうえ、「一緒に何かコラボセミナーをやりませんか?」と思い切って誘うと、はあちゅうさんは承諾。

そうして開催されたイベントは、池田さんがほぼ無名に近かったにもかかわらず、はあちゅうさんのブログの宣伝力により100名ほどが集まってくれた。

このイベントの参加者には、学生に交じって経営者やビジネスマンの姿がちらほら見られた。

そして、コラボセミナーで伝えるアンソニー・ロビンズの話に興味を持ってくれるのは、圧倒的に経営者やビジネスマンだった。

それをB氏に伝えたところ、今度はこんな提案が返ってきた。

「だったら、経営者やビジネスリーダー向けに講座を商品設計してみよう。明日までに今君がもっているコンテンツをすべて棚降ろししてきてほしい。全部だよ。その中で適したコンテンツがあれば、それを講座にしてみよう」
そう言われた池田さんは、すぐにコンテンツの棚卸しをはじめ、次の日のミーティングにその資料をどっさりと持って行った。

その実行力を見たB氏は、初めて本腰を入れて、池田さんと組もうと考えたという。

とはいえ、自分より人生経験が圧倒的に豊富な経営者やビジネスマンを相手に講義をして果たしてうまくいくか、池田さんは不安を感じた。しかしそれを払しょくしてくれたのも、やはりB氏だった。

「自分をテレビだと思いなさい。みんな時間とお金を掛けてアメリカまでアンソニー・ロビンズのセミナー学びに行けないでしょう。その代わりに、テレビをつけたら池田くんが日本語でアンソニー・ロビンズのメソッドを伝えてくれる。池田くんのオリジナルなんていらない。その人たちが知りたいのは、アンソニー・ロビンズは何を教えてくれているのか。それをそのまま教えてくれればいいんだよ」

このやりとりが、池田さん「アンソニー・ロビンズ“直伝”トレーナー」というブランドを作ったきっかけとなった。

直伝、すなわち「そのまま伝える」という軸は、現在のメソッドにも反映されている。

その後、池田さんのセミナー講師としての才能はどんどん花開いていく。

株式会社TSUTAYAが運営する大きなイベントで司会を務める機会に恵まれるなどの追い風も吹いて、事業は少しずつ軌道に乗り始めた。

2008年末には、アンソニー・ロビンズの最後のトレーニングを受講しに渡米。

そこで池田さんは、著作『動きたくて眠れなくなる』を著す動機のひとつともなった“気づき”を得ることができた。

「アンソニー・ロビンズが伝えているのは、実はたったひとつ。“感情が変われば人生が変わる”ということです。僕は、彼に出会うまでは感情なんて変えられないと思っていました。しかし感情のコントロールは可能であり、感情の持つ力を味方につければいつもポジティブな自分でいられ、人生が違ったものになるということを実感し、多くの人にそれを伝えたいと考えるようになったのです」

2009年に、アンソニー・ロビンズ「直伝」トレーナーとして、現在でも高い評価を受け続けている「1日集中セミナー」を開始。

「アンソニー・ロビンズが教えている“感情が、人生を作っている”という内容を話はじめたら、僕が一番元気になっていったんです。その時改めて、“これが僕の伝えたいことだったんだ”と確信を持ちました」

 

 

経営者の視点で
吉田松陰の言葉を写経
その経験から『覚悟の磨き方』が生まれた

2010年にかけて、正式に自分の会社(現:(株)オープンプラットフォーム)を設立して独立した。

しかし独立に際し、池田さんにはこれまでにはなかった悩みが芽生えていた。

「アンソニー・ロビンズのところへ行き、素晴らしいスキルをたくさん手に入れることができました。けれど、僕はそのスキルを持って一体どこへ向かうんだろう。何がしたいんだろう。それがわからずにいました」

その答えを探すため、忙しいセミナーの合間を縫って勉強していたもののひとつが、東洋思想だった。

「安岡正篤や、中村天風の本を読み、とても感銘を受けました。その人たちが影響を受けた人たちが誰なのか、参考文献をさかのぼり思想の源流を調べあげたところ、辿り着いたのが幕末の志士である吉田松陰や西郷隆盛でした。彼らは僕と違い、小さくまとまっていなかった。吉田松陰など、興味があるからと死罪覚悟で黒船に乗り込んでいってしまうくらい“ぶっ飛んで”いた。僕に足りない輝きを彼らは持っていると、そう感じました。彼らが実践し、語ってきたことにこそ、僕の進むべき道を見つけるヒントがあるように思いました」

そこで池田さんは、吉田松陰の教育者としての生き方と自分を重ね合わせ、彼の言葉を写経しはじめた。そしてその経験から生まれたのが、『覚悟の磨き方』だった。

「吉田松陰の本を学ぶ中で、僕ははじめて“生き方”の重要性を知りました。それまでの僕は事業を大きくしたい、収入を増やしたいという目先のことばかり考えていました。しかし、吉田松陰はそうした社会的な評価にこだわらず、『君は人生をどう生きたいのか』と僕に問いかけてくるように思えました。その問いに、自分なりの答えをだしたのが、拙著『覚悟の磨き方』です。どんなに自分が苦しんでも、世の中が良くなればそれでいいという吉田松陰の生き方は、人の幸せとはなにか、人生とは何かを改めて考えさせてくれ、多くの人の指針となるはずです」

その気づきを、池田さんはセミナーにも取り入れた。
そして生まれたのが、「感情と行動をつくる心理学」と東洋の「人間力を高める学問」を統合した独自のメソッドである。

今日も池田さんは、世界で活躍するビジネスリーダーを輩出することをミッションに、全国を飛び回っている。これまでの人生の集大成ともいえる、“人を幸せにするメソッド”をその手に携えて。

(取材/文 國天俊治)

 



池田貴将

早稲田大学卒。リーダーシップ・行動心理学の研究者。
大学在籍中に世界No.1コーチと呼ばれるアンソニー・ロビンズから直接指導を受け、ビジネスの成果を上げる「実践心理学」と、東洋の「人間力を高める学問」を統合した独自のメソッドを開発。
リーダーシップと目標達成の講座を開始すると、全国の経営者・役職者からたちまち高い評価を得た。
また安岡正篤、中村天風、森信三の教えを学び、東洋思想の研究にも余念がなく、中でも最も感銘を受けた吉田松陰の志を継ぐことを自らの使命としている。
著作に『覚悟の磨き方』『図解モチベーション大百科』『動きたくて眠れなくなる。』(サンクチュアリ出版)『未来記憶』(サンマーク出版)などがある。

 


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