家庭でつくれる”おもてなし料理”をテーマに、東京・中目黒で料理教室を主宰する高木ゑみさん。調理する際の段取りをはじめ、料理に合うテーブルコーディネートやお酒まで学べる高木さんのレッスンは、リピーター続出で予約がとれないという人気ぶりだ。
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物心ついたときから身近にあった、“おもてなし料理”
自営業の父、母、3人の兄たちとともに、にぎやかな子ども時代を過ごしてきた高木さん。家には来客も多く、母は常にキッチンに立って食事やお茶の用意をしていた。高木さんが得意とする“おもてなし料理”の原点は、まさにここなのだという。
「“料理で人をおもてなしする”という行為が身近にあったので、私も自然に興味をもつようになりました。
中学に入ってからは、有名な料理家の本を買ってきて料理してみたり、クッキーを焼いてラッピングして友達にプレゼントしたりしていました」
本格的に料理の道に進みたいと思ったきっかけは、高校の終わりに経験した短期留学。寮にひとつだけ備えられていたキッチンで、みんなで料理をつくり合って交流を深めた。
高木さんがつくった日本食も想像以上に喜ばれたという。
料理は、言葉や文化の壁を超えて、人の距離を縮めてくれる。
そう実感した瞬間だった。
慶應義塾大学で美学美術史学を専攻するかたわら、空いた時間のほとんどを料理に費やした。料理教室に通ったり、飲食店のホールやキッチンでアルバイトをしたり……。当時は小料理屋をやってみたいと思っていたため、人前で話すスキルを身につける講座に参加してみたりもした。
そんななかで強く感じるようになったのが、料理教室のあり方に対する疑問。
「こんなに高い料金なのに、どうして2品しかつくらないんだろう、とか、先生がもっとお喋りしたほうが楽しいレッスンになるのに、とか。
料理教室にたくさん通ううちに、“私だったらこうする”というアイデアがいろいろ出てくるようになったんです」
自分で料理教室をやろう! と高木さんが思い立ったのは、ちょうどこの頃だった。
調理師専門学校で、料理の腕を本格的に磨く
大学卒業後、料理の道を究めるために、「エコール辻東京フランス・イタリア料理マスターカレッジ」に入学。2ヶ月間の包丁研ぎ、舌だけで塩分濃度を判断するトレーニングなどの地道なところから始め、本格フレンチ・イタリアンをつくれるレベルまで腕を磨いた。
レストランの厨房でも修業した。肉をさばく22歳の高木さん。
そして、料理教室を開く目標のために、自分の理想にいちばん近い先生を探した。
「“おもてなし料理”をテーマにしたかったので、そのジャンルが得意な先生を探しました。それでたどり着いたのが、ある女性の先生。“時短テク”や“手軽さ”だけでなく、時間と手間をかけるところはかける、というスタンスが好きでしたし、興味のあった出張料理も得意とされていたんです。しかも私とキャラまで似ていて(笑)。在学中から卒業後しばらくはその先生のアシスタントを務めて、ときには友達を集めてプチ料理教室を開いたりしていました」
プチ料理教室は友達に好評だったが、そこで満足するわけにはいかない。
より多くの人たちに自分の存在を知ってもらうために始めたのが、ブログだった。
3ヶ月ほど続けてみると、ブログから料理教室の問い合わせが来るように。
そこで、ブログのアクセス数アップのテクニックを学ぶ講座に参加したり、自分に親近感を抱いてもらうためにあえてプライベートな内容も綴ったり、ときにはエステサロンやヘアサロンにチラシを置いてもらったりと、試行錯誤しながら集客に励んだ。
「最初の頃は1レッスン3500円で、食事中のドリンク飲み放題もつけていました。いま考えると破格値ですけど、3500円で試しに参加していただいて、リピーターになっていただけるなら、それでよかったんです。
おかげさまで約9割の方がリピーターになってくださいましたし、なかにはいまでも通ってくださっている方もいます」
料理教室とは別に、高木さんには人生の目標がいくつかあった。
そのひとつは、25歳までに自分の本を出すこと。
料理教室の予約がコンスタントに入るようになっていた高木さんは、そのかたわらで出版社に企画書を送り始めた。
「当時の私はかなり無謀だったので、雑誌の最後のページにあるクレジットを見て、編集長あてに企画書を送りまくっていました(笑)。だからたぶん、封も開けられていないものがほとんどでしょうね。ただ、当時あるサイトでインナービューティーに関するコラムを書いていまして、そのつながりで出版社の方に企画書を見ていただけることになって。そうして出版できたのが1冊目の著書です」
そのとき高木さんは24歳。ガールズシェフ、略して『ガルシェフ』というオリジナルの肩書きとともに、若手の美人料理家として名を馳せた。出版がきっかけでテレビ番組にも出演するなど、活躍の場は一気に広がり、まさに順風満帆といえる20代をフルスピードで駆け抜けようとしていた。
予想外だったトルコ暮らしへ
震災後に、高木さんの人生は大きく変化する。家庭の事情によりトルコ・イスタンブールへの移住が決まったのだ。
現地には、日本人の女性が150人ほどいた。社交的な高木さんは、せっかくの機会だからみんなと仲よくなりたいと考え、そこでも料理教室を始めることに。トルコで買える食材や調味料を使った料理教室だ。
その噂は瞬く間に広まり、駐在中の妻たちが次々と参加してくれるようになった。
トルコ生活を楽しむ高木さん。この合間に料理教室も開いていた。
「実は、結婚前は主婦の感覚がわからないのがコンプレックスでした。時間や食材が限られていたり、夫の帰り時間がまちまちだったり、不自由なことがたくさんあるなかで料理をしなければならないのが“日常の料理”。でも私は結婚まで実家暮らしだったし、本当に実用的な料理の仕方をお教えできていないんじゃないか……というのはずっと思っていて」
日本で料理教室を開いていたときは、無断遅刻やドタキャンもよくあったという。20代半ばの若い女性料理家という立場上、軽く見られているのでは? と悩むことも多かった。
「“おもてなし料理”や“カフェごはん”のようなジャンルで人気の方はたくさんいたので、私の料理家としての価値はなんだろう? とは常に考えていました。
そう考えると、フレンチやイタリアンを本格的に勉強したことが私の強み。どんなソースも、どの地方の伝統料理も、だいたいつくれます。結婚してからは主婦の感覚がだんだんわかるようになってきたので、“日常の料理”の延長で本格的なおもてなし料理をつくる、という“私ならではのテーマ”が見えてきたのが、ちょうどこの頃ですね」
トルコでは出産も経験した。
「英語を話せる先生がいる病院を選んだんですが、いざ陣痛がきたときには近くに看護師さんしかいなくて。無痛の薬が切れていたのに、どんなに英語で主張しても全然通じないんです。結局、先生の英語を耳にしたのは、出産している最中の“Emi! Go!”の一言くらいでした(笑)」
生まれた息子はよく眠る子で、出産翌日からいつも通り家事をこなしたという高木さん。2週間後には料理教室も再開した。子育てや家事をしながら料理教室を開くというめまぐるしい日々を過ごしたのち、2013年に帰国。せわしくも充実した、約1年半のトルコ生活だった。
ガルシェフ・高木ゑみの料理教室、本格始動
帰国後は、これまでの経験を活かして料理教室を本格スタート。子育てや家事と並行しながら、無理なく楽しくつくれるおもてなし料理のノウハウを、惜しみなく伝えている。一度に18品つくる充実したレッスン内容や、料理に合わせたワインやドリンクが飲み放題のサービス、そしてなにより高木さんの考え方や人柄が人気の秘訣だ。
現在の料理教室の様子。クラスは毎回、満員御礼。中央の黒い制服で調理するのが高木さん。
「私がいちばんお伝えしたいのは、“料理は楽しい!”ということ。料理が好きじゃなかったり、面倒に感じている人も、“楽しく感じられない理由”を一つひとつ解決していけば、料理は必ず楽しめるようになります。料理が簡単とは決して言いませんが、コツさえつかめば、いくらでも“気軽”に“手軽”にできるようになるんです」
子育てをするようになってとくに苦労したことは、なにをしていても必ず中断されることだったという。
出産前なら、終わるまで一気にできていたことも、子どもが泣いたり、「ママ来て!」「ママ見て!」と催促されたりすると手を止めざるを得ず、その小さなイライラが蓄積されてストレスにつながった。
「中断されるとイライラするのは、終わったときの達成感が味わえないからだと思うんです。私がいちばん中断されたくないのは料理なので、料理をするのは子どもが寝ているときだけと決めました。“お昼寝をしている2時間で終わらせる!”と決めると、集中力が高まって効率的にできるんですよね。幸い、息子はお昼も夜もがっつり寝てくれるタイプだったので、とても助かりました」
子育て経験を通じて広がった、料理家としての活躍の場
料理教室のほかに、離乳食講座も2年半ほど開催。離乳食とママのご飯を手際よくつくるための方法をはじめ、保存方法などまで伝授した。つくって終わりではない、実用的な内容の講座は、多くの子育てママたちに支持された。
もともとは20代や学生などの若年層が多かった高木さんの料理教室だが、現在では30〜40代の生徒さんがメインになってきたという。遅刻やドタキャンもほとんどなく、予約のとれない料理教室として話題だ。“家庭でつくるおもてなし料理”を強みとする料理家・高木ゑみの、世の中での信頼度が高まっている証拠だろう。
2015年出版の『考えない台所』は、そんな高木さんのノウハウが凝縮された1冊。
“台所しごとにセンスは必要ない!”と断言したうえで、頭でいちいち考えなくても毎日の料理がスムーズにできるようになる秘術を紹介し、10万部超えの大ヒットを記録している。
また、台湾、中国、韓国でも発売が決定している。
10万部突破を記念して、高木さんがサンクチュアリ出版のスタッフのために開いてくれたパーティーにて。
スタッフ全員を集めてお祝いしてくれるやさしいお人柄の高木さん。参加者全員が心から楽しんだ。
現在5歳になった愛息子は、母の料理を喜んで手伝ってくれるという。
「卵を割ったり、ゆで卵の殻をむいたり、できるところから手伝ってくれています。“子どもにお手伝いをさせるにはどうしたらいいですか?”とよく聞かれますが、まずは子ども用のエプロンとか調理器具とか、お気に入りのグッズをたくさん用意してあげるといいと思いますよ。あとは、子どもを直接褒めるのではなく、第三者に向かって子どもを褒めるのもおすすめ。たとえば、パパに向かって“今日○○くんがこんなことお手伝いしてくれたんだよ〜、ママすごく嬉しかった”と本人に聞こえるように言うと、けっこう効きます(笑)」
50歳になったら実現したい「夢」
現在、高木さんの料理教室は女性限定だが、今後は男性向けレッスンの開催も視野に入れている。品数の多い女性向けレッスンとは方向性を変え、“バンズからつくるハンバーガー”など、あえて1品にこだわった男性ニーズのあるレッスン内容を考えているという。
また、もうひとつ視野に入れているのが、小学生向けの料理教室。原材料の話から、自分で料理して食べるところまで、“食育”を兼ねたレッスンにチャレンジしていきたいそう。その際には自分の息子も参加させて、母の働く姿を見せたい思惑もあるのだとか。
人生の目標を常に持ち、どんなときも前向きに挑戦を続ける高木さん。自身のブログやインスタグラムからは、日々楽しみながら懸命に生きている様子が垣間見える。
将来の夢をお聞きすると、こんな答えが返ってきた。
「学生時代に思い描いていた“小料理屋”を開くこと。家庭料理のごちそう版みたいな、カジュアルだけど味は本格的な料理を出すお店です。仕事帰りとかについ立ち寄りたくなる、自然と人が集まってひと息つけるような場所をつくれたらと思っています」
料理は、言葉や文化の壁を超えて、人の距離を縮めてくれる。留学したときに実感した“料理の本当の価値”を、いずれは小料理屋という形で表現していくことになるのだろう。
「私自身、大家族で育っているので、子どもはまだほしいですね。できればあと3人。お昼に料理教室をやって、夜に子どもが寝てから小料理屋を開くという手もあるんですが、子どもと過ごす時間や彼らの活動ペースはできるだけ大切にしたいと思っているんです。だから、小料理屋の夢を叶えるのは、子どもがある程度大きくなってから。私が50歳になったら……、ですね」
50歳は女性としていちばん輝ける年齢だと思う、と高木さんは微笑む。料理のスキルアップはもちろん、人間的な魅力も磨いて、身も心も美しい50歳になることが目標だそうだ。
料理教室も、本の出版も、子どもという宝に出会えたことも、思い描いたことは着実に実現している高木さん。その秘訣はどこにあるのだろうか。
「昔、よくつけていたのが“夢ノート”。小料理屋を開店するときはどんなメニューにして、どんな内装にしようとか、子どもは何人生んでどんな子育てをしようとか。
いまだから言いますが、大学の授業中はだいたい人生プランを練っていましたね(笑)。
もちろん思い通りにいかないこともたくさんありましたが、絶対に叶えたい! と思ったことはすべて実現してきたつもりです。
夢って、リアルにイメージすればするほど、実現しやすくなるんだと思います」
料理家として、母として、そしてひとりの女性として。高木さんの人生は、これからますます輝いていくことだろう。
(取材/文 三橋温子)
プロフィール 高木ゑみ(たかぎ・えみ) 料理家、おもてなしプランナー。 慶應義塾大学卒業。 イギリス、オーストリア、アメリカへの留学をきっかけに世界各国の料理に出合い、料理の道に進む。数々の厨房で修業を積んだのち、エコール辻東京イタリア・フランスマスターカレッジを卒業。中目黒にて料理教室を主宰する。 アイデアあふれる創作料理に、手軽に楽しめるテーブルコーディネートやお酒とのマリアージュ、ホームパーティーや日常に役立つ調理タイムマネジメントなど、豊富なノウハウが詰まった独自のレッスンスタイルが人気。 生徒数は1000人を超え、現在予約のとれない教室となっている。 また、企業向けレシピ開発や出張料理、離乳食講座も請け負っている。 著書に『考えない台所』(サンクチュアリ出版)『高木ゑみのおもてなしレシピとテーブル』(主婦の友社)、『ガルシェフゑみの少しの工夫でいつもの料理がセレブ料理に』(扶桑社)がある。 ブログ https://ameblo.jp/laterier-de-emi/