ここはカフェ「しくじり」。一見さんお断りの会員制だ。
ここでの通貨はしくじり。客がしくじり経験談を披露し、それに応じてマスターは飲み物や酒を振る舞う。
マスターは注意欠如・多動症(ADHD)の傾向を持ち、過去に多くのしくじりを重ねてきた。しかしある工夫で乗り越えてきた不思議な経歴の持ち主。会員のために今日もカフェのカウンターに立つ。
そんな奇妙なカフェのお話。
(カラン、コロン〜♪ カラン、コロン〜♪)
りんだ 「小鳥遊さん、こんばんは」
小鳥遊 「おや、りんださん、こんばんは。今日はどんなしくじりをお持ちいただけたんですか?」
りんだ 「いきのいいしくじりをお持ちしましたよ(笑)。 小鳥遊さん、仕事が延々とわいて出てくるようなときってないですか?」
小鳥遊 「会社員時代、そんなこともありましたね。やらなきゃいけないことがいっぺんにあらわれて、同時にこなさなきゃいけない!って思ってしまったり」
りんだ 「それ! それです! まさに今日そうだったんです。それでやる気をなくしてしまったんです」
小鳥遊 「いいしくじりですね! じっくりお話を聴かせていただきます」
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りんだ 「今日は朝からウチの製品のチラシに書く紹介文を作っていたんです。そうしたら、先輩から『昨日迷惑をかけたお客様に出すお詫びメールの内容を書いてほしい』と頼まれて、ふと気が付くと、午前中のうちに出さないといけない協力会社さんへの発注書の締切が近づいていて…」
小鳥遊 「どんどん仕事が増えていきますね」
りんだ 「それからそれから、11時にいらっしゃるお客様のために、製品カタログや会社案内をまとめる仕事を後輩に指示しなきゃいけないことを忘れていて、そうこうしているうちに広報から電話がかかってきて、会社ホームページに載せるインタビュー原稿の確認依頼を早めにって言われて、正直頭がパンクしそうでした。いや、パンクしました」
小鳥遊 「でしょうね」
小鳥遊は、りんだから言われた仕事を店の黒板に書いていく。
・チラシの紹介文作成
・お詫びメール作成
・発注書提出(午前中)
・来訪客へカタログ等をまとめて渡す(11時まで)
・インタビュー原稿の確認
りんだ 「ひとつひとつやっていけばいいんでしょうけど、なんというか、息つく間もないというか…。これ全部やるとか、手が何本あっても足りませんよね、小鳥遊さん」
小鳥遊 「そうですね、これを全部いっぺんにやろうとすると、あと頭が4つと手が8本必要ですね」
りんだ 「そんな妖怪みたいなものになりたくないですー!」
小鳥遊 「フフフ、そうですよね」
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小鳥遊は、黒板の空いているところにこのように書き出していった。
・手作りパン
・ポトフ
・サラダ
・ステーキ
小鳥遊 「これから、この4品を作ってみましょうか」
りんだ 「な、なんですかいきなり。いいですけど……いきなり4品も作るって、結構大変…」
小鳥遊 「じゃあ、手作りパンからいってみましょう。まずは強力粉と砂糖、イーストと牛乳を混ぜて、塩も追加したものをこねます」
りんだ 「はい。えいっ、えいっ」
小鳥遊 「充分こねたら、これ、どうするか分かりますか?」
りんだ 「はい、大体40分くらい置いておいて発酵させます」
小鳥遊 「じゃあ、そこの冷凍庫から肉を取り出してください」
りんだ 「はい。取り出したらそのままにして解凍ですね」
小鳥遊 「はい、そうです。次は、冷蔵庫にあるレタスとトマトとセロリをお好きに切ってサラダを作ってください」
りんだ 「はい! 私セロリの入ったサラダ大好きなんです!」
小鳥遊 「いい感じですね。そうしたら、野菜を切ったその勢いでポトフの具の野菜や肉も切ってしまいましょう」
りんだ 「そうですね」
テンポよくキャベツ、じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、豚バラ肉を切るりんだ。
りんだ 「切りましたよ! その次は、鍋にコンソメを入れて、水を入れて、にんじん、キャベツ、豚バラ肉♪」
小鳥遊 「あとは、玉ねぎ、じゃがいもも入れてそのまま1時間くらい待ちますか」
りんだ 「ちょうど手が空きましたね。一休みしましょう」
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小鳥遊 「ということなんですよ、りんださん」
りんだ 「え? どういうことですか?」
小鳥遊 「4品も作るとなると、それこそ今日の会社でのりんださんのように『息つく間もないほどの忙しさ』になるとお思いだったんじゃないですか?」
りんだ 「たしかに…」
小鳥遊 「でも、今まさに私たちは一息ついている」
りんだ 「あっ、そういえばそうですね。だって、解凍待ち、発酵待ち、煮込み待ちですし」
小鳥遊 「そこなんですよ! りんださん」
りんだ 「ひっ!」
小鳥遊 「つまり、仕事も『待ち』の時間を作れば、一息つけるんです。チラシの紹介文の叩き台を作ったら、先輩か上司に確認を取るでしょう。お詫びメールの文案も先輩に『これで良いですか?』って聞きませんか?」
りんだ 「そうですね。発注書も部長に確認を取ってから出すから、いったん部長の確認待ちになります。そうなったら、カタログをまとめる仕事を早いところ後輩に指示して、インタビュー原稿をゆっくり見られますね」
小鳥遊 「そうなんです。料理には『自分が手を動かさないといけない時間』と『待ちの時間』があるんです。料理の進め方がうまい人は、それらを組み合わせるのが上手なんです」
りんだ 「ということは、仕事でも同じという話ですね」
小鳥遊 「おっしゃるとおりです、りんださん。複数の仕事を効率よく進められる人は、『一息つく余裕が作れる人』なんです」
りんだ 「今日私が引き受けた5つの仕事も、うまく『待ち』の時間を作れれば、一息も二息もつけるかもしれませんね」
小鳥遊 「はい。できるだけ『待ち』が多くなるように仕事を進められるようになれば、もう怖いものなしです」
りんだ 「そう考えると、「5つの仕事をいっぺんにこなさなきゃ!」って考える必要はなくて、まずは1つ目と2つ目の仕事が『待ち』状態になるまで進めて、それでできた余裕で他の仕事を進める、といった感じで考えればいいんですね」
小鳥遊 「はい。うまくいけば、5つ同時に『待ち』の状態になることだってありますよ」
りんだ 「それは最高ですね! どんな割り込み仕事が入ってきても、すぐに対応できますね」
小鳥遊 「そうです。そのために前にお伝えした仕事に取り掛かる前にグッとこらえて手順を書き出すことも大事ですよ」
りんだ 「確かに! いちど手順を書き出して俯瞰する。そうしたら『待ちの状態』がどこまで進めれば作れるのか、分かりますもんね。そして全体を把握したら、あとは焦らず最初の一手に集中すれば良いだけ!」
小鳥遊 「その通りです。さすが、常連のりんださん!」
りんだ 「いえいえ、小鳥遊さんに色々教えていただいたおかげです。前に教えていただいたことも復習しておきます」
小鳥遊 「いずれにしても、仕事には『待ちの状態』があり、それらをうまく組み合わせることで効率的に落ち着いて複数の仕事をこなすことができる、というのは覚えていて損はありませんよ」
りんだ 「なるほど~! 早速明日から実践してみます!」
小鳥遊 「では、料理の続きを手伝ってくれますか」
りんだ 「はい!」
そうしてできあがった料理は、りんだにとってことのほかおいしく感じられた。
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悩みが解決し、スッキリ納得した状態で店を出て行くりんだを見送ると、マスターはスマホを取り出し、日課の店じまいツイートをしました。