カフェ「しくじり」へようこそ

第15話 ここまでやれば仕事に慣れる

#連載エッセイ
#カフェ「しくじり」へようこそ

ここはカフェ「しくじり」。一見さんお断りの会員制だ。
ここでの通貨はしくじり。客がしくじり経験談を披露し、それに応じてマスターは飲み物や酒を振る舞う。
マスターは注意欠如・多動症(ADHD)の傾向を持ち、過去に多くのしくじりを重ねてきた。しかしある工夫で乗り越えてきた不思議な経歴の持ち主。会員のために今日もカフェのカウンターに立つ。
そんな奇妙なカフェのお話。

(カラン、コロン〜♪ カラン、コロン〜♪)

りんだ 「重箱の隅をつつくにも程があるってのぉ! まったくもう!」

小鳥遊 「おや、いつにも増して賑やかな入店ですね。りんださん、いらっしゃいませ」

りんだ 「だって、先輩が『そこまで細かく突っ込まなくても』っていうところまでチクチクネチネチ言ってくるんですよ! 『そこ違うんじゃないか』とか『いや、まだやることがあるぞ』とか」

小鳥遊 「面倒見のいい先輩じゃありませんか」

りんだ 「でも! いちいち細かいところまで言わなくてもいいですよね!? そう思ったら、私キレちゃって……。先輩と気まずくなったまま会社から帰って来ちゃったんです」

小鳥遊 「それは気まずいですね。いいしくじりです。話の続きをじっくり聞かせていただきますね」

****

りんだ 「今回、先輩と一緒に開発をする、『アップルパイ自動作成機』のレシピを設定するために、アップルパイの作り方をおさらいしようということになりまして」

小鳥遊 「レシピを共有するんですね。いいじゃないですか」

りんだ 「それが、先輩が細かくて細かくて!」

小鳥遊 「なるほど…では、実際にりんださんのレシピを教えてください」

りんだは、次のように説明した。

1.冷凍パイ生地を3枚用意する
2.りんごを砂糖、シナモンと一緒に透明感が出るまで煮る
3.パイ生地の1枚を丸く切り、残りの2枚は細く切る
4.丸く切ったパイ生地の上にりんごを敷く
5.細く切ったパイ生地を格子状に乗せる
6.200度のオーブンで30分焼く

りんだ 「小鳥遊さん! 完璧なレシピだと思いませんか!?」

小鳥遊 「分かりやすいですね、私には」

りんだ 「分かりやすいですよね? やっぱり!」

小鳥遊 「でも、自動作成をするための設定としては、ちょっと説明が足りないと思います」

りんだ 「ええっ! でも、私はこれで作れますって」

小鳥遊 「フフフ。そこなんですよね。りんださんは、もうアップルパイを作ったことがありますが、何も知らない機械に教え込むには、もうちょっと細かく分けたほうがいいと思いますよ」

りんだ 「じゃあ、どうすればいいんですか?」

小鳥遊 「先輩はなんと言っていたんですか?」

りんだ 「えーと、たしか『下準備をしなくてはいけない』と言っていました」

小鳥遊 「大事ですね。実際に作りながらやってみましょうか」

小鳥遊は、冷凍パイ生地を3枚取り出しながらりんだに伝えた。

小鳥遊 「りんださん、凍ったままの生地の上にりんごを置きますか?」

りんだ 「いやー、小鳥遊さんそれはないです(笑)。解凍しなきゃだめですよね」

小鳥遊は、パイ生地を半解凍状態にするため冷蔵庫に移した。

小鳥遊 「それから、りんごはそのままドカッとパイ生地の上に置きますか?」

りんだ 「んー、皮をむいて小さく切りますね。そうそう、変色しないように塩水につけます」

小鳥遊は皮をむき、4分割したあと5ミリ程度の厚さにスライスしたりんごを塩水につけた。

小鳥遊 「りんださん、今までが下準備ですね」

りんだ 「たしかに先輩の指摘通り、下準備しないと機械は理解してくれないかも…」

りんごを砂糖とシナモンと一緒に煮ながら、小鳥遊はりんだに話しかける。

小鳥遊 「それから、先輩はなんと言っていましたか?」

りんだ 「パイ生地を切るときに『格子状に乗せる方の生地の幅は?』って聞いてきましたね。『そんなの言われなくても、1センチぐらいって分かりません?』って私言い返しちゃいました…」

小鳥遊 「なるほど。細かく決めておかないと、機械にとっては何センチ幅なのかきっと分かりませんからね」

小鳥遊はパイ生地1枚を丸く切り出し、残りの2枚を1センチ幅に切ってゆく。

小鳥遊 「そのあとは、先輩とはどんなやりとりを?」

りんだ 「そうですね…『卵を塗るのも忘れないように書いておこう』って言っていました。パイ生地に煮たりんごを置いたら、フチにぐるっと卵を塗るとか、りんごの上に細く切ったパイ生地を格子状に乗せたら、表面全体に卵を塗るとか…」

小鳥遊 「卵は生地と生地を接着したり、ツヤを出したりする役目があるので大事な工程ですね」

卵を塗りながら小鳥遊は答え、形を整え終わったアップルパイを焼くためにオーブンに入れた。

小鳥遊 「さ、これで200度のオーブンで30分焼いたら出来上がりですね」

りんだ 「楽しみですね!」

****

小鳥遊 「出来上がりましたね!」

りんだ 「いい匂い!! いっただきまーす♪…………ん〜〜おいしーい!」

小鳥遊 「フフフ。本日のしくじりご提供のお返しです。ゆっくり味わってくださいませ」

りんだ 「ところで、小鳥遊さんとアップルパイを作りながら思ったんですけど、私、先輩に悪いことしちゃったなぁと…」

小鳥遊 「それはどうしてですか?」

りんだ 「おそらく、私は『そんなの当たり前』という自分の基準で、説明しなかったところがあって。でもそこは機械に設定するには必要なことだったんですよね」

小鳥遊 「いい気付きですね」

りんだ 「多分、『この仕事が初めて』という人に対して説明するには、自分がまさかと思うくらい細かく丁寧に伝えないといけない、ということですよね」

小鳥遊 「そうです。『まさか』レベルまでしなくちゃ伝わりません。でもりんださん、今回は経験として良い機会だったと思いますよ」

りんだ 「本当ですか??」

小鳥遊 「なかなか一発で良い手順書が作れる人はいないです。いったん自分の頭の中にある手順を書き出す。その上で人に説明してみて、足りないなと思ったことを手順書に付け加えるという過程は『まさか』のレベルを把握するのに役立ちます

りんだ 「確かに! 自分一人では気づけないことも、質問されて説明したら足りない部分に気づけました。アップルパイの作り方でいうと、その『まさか』部分はこんな感じですね」

りんだはそういうと、自分が想定していた部分を黒、先輩に言われて付け加えた部分を赤で書き出した。

1.冷凍パイ生地を3枚用意する
2.パイ生地を冷蔵庫に移して半解凍状態にする
3.りんごの皮をむき4分割したあと5ミリの厚さにスライスし塩水につける
4.りんごを砂糖とシナモンと一緒に透明感が出るまで煮る
5.パイ生地を1枚は丸く切り、残りの2枚は1センチ幅に細く切る
6.丸く切ったパイ生地の上にりんごを敷く
7.パイ生地のフチに卵を塗る
8.細く切ったパイ生地を格子状に乗せる
9.表面全体に卵を塗る
10.200度のオーブンで30分焼く

りんだ 「うーん、こりゃ圧倒的にレシピの手順が足りなかったなぁ。明日先輩にお詫びとお礼を言っておこう…」

小鳥遊 「りんださんは、その場その場でなんとかやれてしまうんでしょうね。だからこそ、自分の感覚と他人の感覚のズレには慎重になる必要があります」

りんだ 「たしかに、慣れてないことをするときは、自分でもすごく気を付けて、一手順ずつ確認しながらやってるしなぁ…」

小鳥遊 「そうですよね。仕事でも同じです。あまりやったことのない業務は、手順ごとに時間をかけて、できればその流れを細かくメモするといいです。次にその仕事をするときには、そのメモに従順に従って実行してみてください

りんだ 「あー、そうすることで、段々とやり方を体が覚えていくんですね」

小鳥遊 「はい。『仕事に慣れる』とは、そうやって同じ手順を繰り返して、次第に意識する手順を間引いていって、最終的には『アップルパイを作る』の一言で全ての手順が実行できるようになることなんですよ」

りんだ 「なるほどー! 『仕事に慣れる』という言葉を今まで曖昧に使っていました。そういうことなんですね」

小鳥遊 「ええ。だからこそ、最初の『細かく丁寧に手順に分ける』ことが大切なんです」

りんだ 「おいしいアップルパイをさっと作るのも、それまでの積み重ねのなせるわざなんですね」

小鳥遊 「そう言われると照れますね。お説教くさくなってしまい、申し訳ございません」

りんだ 「そうですね…。だから、なんか食べた気がしないので、もう一つお願いします!」

小鳥遊 「それは、もう一つしくじりをいただかないとお出しできませんね」

りんだ 「うーん…今これ以上しくじりの持ち合わせがなくて」

小鳥遊 「それが一番です」

りんだ 「そうですね(笑)。それと何より、今とても先輩に感謝できている自分が嬉しいです。あー明日、会社に行ったら先輩にごめんなさい、ありがとうございましたって、一番に言おうっと!」

****

しくじりから気付きが得られ、元気になって店を出て行くりんだを見送ると、マスターはスマホを取り出し、日課の店じまいツイートをしました。


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