この世界、何かがおかしい

数学で読み解く「禅問答」

#連載エッセイ
#この世界、何かがおかしい

禅を数学的に考える

禅の公案に頭を抱えている修行僧のために、数学界から最強の助っ人を呼びましょう。

シェルピンスキー・ギャスケットです。

名前がロシアの凄腕スパイっぽいですが、中身はただの穴だらけの三角形です。

作り方はこう。

1. 正三角形を真っ黒に塗りつぶす
2. 真ん中を逆三角形の形にくり抜く(某ゲームのトライフォース爆誕)
3. 残った3つの三角形の真ん中を、またくり抜く
4. 残った9つの三角形の真ん中を、またくり抜く
5. これを無限に繰り返す

「無限に? 手が死ぬでしょ」というツッコミはもっともですが、数学者は手ではなく想像力と記号で作業するため、腱鞘炎の心配がありません。

それが数学者の最大の特権です。かっこいい。

さて、無限にくり抜き続けると何が起きるか。見た目はスカスカの穴だらけになります。

どこを拡大しても「三つの三角形の集まり」しか出てこない。宇宙の果てまで拡大しても同じ。無限に同じ構造が繰り返される、フラクタル という性質です。

しかしここからが本番です。数学的に計算すると

面積:限りなくゼロに近づく。
中身をくり抜き続けるんだから当然です。
最終的にはペンキを塗ろうとしても塗る場所がない。完全なるスカスカ。

輪郭の長さ:無限大に発散する。
くり抜くたびにギザギザが増え続けます。
全部足すと宇宙の果てよりも長い距離になります。

つまり「中身ゼロ、輪郭は無限」 という、電卓が三度見するような存在です。

ここで禅の師匠が「ほらな?俺の言ってること数学的にも正しいだろ?」と言います。

禅の言葉に真空妙有というものがあります。

意味は空っぽだからこそ、全てが存在している。

シェルピンスキー・ギャスケットの説明を聞いた後だと、この言葉が突然、数学の公式みたいに見えてきませんか。

お坊さんが「自分を空っぽにせよ」と言うとき、それは「記憶喪失になれ」という意味ではありません。

「俺が!俺が!という自意識(面積)をくり抜きなさい。そうすれば、宇宙と繋がる接点(輪郭)が無限に広がる」 という意味です。

中身が減るほど、存在がデカくなる。不思議ですが、これが禅における真理です。

禅と不完全性定理

ここでもう一人、禅の修行を助けてくれるゲストを紹介します。

数学者 クルト・ゲーデル(1906-1978)

当時の数学者たちは「いつか世界中の真実を証明できる、完璧なルールブックを作るぞ!」と意気揚々としていました。

そこにゲーデルが現れ、空気の読めない発言をします。

「あ、それ無理です。どんな完璧なルールでも、絶対に白黒つけられない問題が残ります。証明済みです。お疲れっした。」

これがゲーデルの「不完全性定理」です。数学者たちの夢は、証明という名の鈍器で粉砕されました。

例えばこの一文。

私は嘘しか書かない。

嘘つきなら、この文章も嘘で、本当は正直者?いや、文章は正しい?でも、正直者なら嘘つき?

おめでとうございます。あなたの脳は今、正しくフリーズ中です。

これこそが公案の構造です。

どちらに進んでも行き止まり。

電卓なら「未定義」を出してフリーズして終了となるところですが、人間の脳は、でも…でも……と永遠に考え続ける呪いにかかっています。

数学者はここで「じゃあ、ルールの外側に新しい数(虚数とか)を作っちゃおう!」と逃げますが、禅僧はもっと過激。

彼らは「考えること自体、やーめた!」と、ゲーム盤ごとちゃぶ台をひっくり返して窓から飛び降ります。極論を言えば、これが「悟り」です。

数学者が新しい次元を発明したとすれば、禅僧は新しい次元にジャンプします。

どちらも、現在の地図が現実より小さいと気づいた人間のとった、正しい対処法です。

また、現代の論理学に「矛盾許容論理」という、名前だけで頭痛がしそうな分野があります。

論理学において、矛盾は核爆弾です。

「1=2」という矛盾を一つでも認めると、そこから

「ゆえにカラスは白い」も

「ゆえに私の戦闘力は53兆です」も

「ゆえに私は銀河系の皇帝だ」も

すべて証明できてしまうんです。

これを爆発原理と言います。

矛盾は、システム全体を一瞬で無意味にする最終兵器です。

しかし「矛盾許容論理」はここで言います。

待て待て待て。矛盾があっても爆発しないような計算、できないか?と。

これを真顔で研究する人たちがいます。

そして実は、

これを一番上手にやっているのは、

この小難しいコラムを読んでいるあなた自身です。

「あいつのことムカつくけど、なんか心配でもある。」
「もっと自由になりたいのに、誰かにめちゃくちゃ必要とされたい。」
「痩せたい。でも今夜もポテチを2袋食べる。」

これらは全部、論理的には「爆発するはずの矛盾」です。

しかし私たちは毎日、頭を爆発させずにこれらを抱えながら、コンビニで高カロリーのお菓子を買って帰宅しています。

人間は、歩く矛盾許容論理です。

禅が目指すのは、この矛盾許容力の究極形です。

白と黒。どちらも、ただそこにあるだけ。無為自然。

「私はここにいる」と同時に「私は宇宙全体である」。

これを「いや、どっちやねん!論理的に決着をつけようじゃないか!」と顔を真っ赤にするのは、まだ修行中の知性。

「うん、矛盾してるね。どっちも本当だね。で、ポテチ美味いね。」 とニヤリとするのが、成熟した禅僧の余裕というものです。

で、結局「片手の音」ってなんなの?

ここまで読んだあなたは、きっとこう思ってるはずです。

「いいから答えを教えろよ!」 正当なクレームです。

でも、最後に私からも一つだけ質問を。

今、この文章を読んで「考えている」あなたの中で、

心臓は何を考えて動いていますか?

肺は何を悩んでいますか?

彼らは一切悩まず、完璧に仕事をしています。

「片手の音」は、おそらく、心臓や肺のように、その「考えていない部分」が鳴らしている音です。

今、この一文を読んで0.5秒だけ思考が止まったなら、あなたはすでにその心臓音のエコーを聴いています。 聞こえませんか?

聞こえないなら、もう一回最初から読んでください。

内容が理解できなければ、もう1回最初から読んでください。

このコラム、なんと、何回読んでも無料です。

そして、頭から煙が出るまで悩んでください。

あらゆる角度から考え抜いてください。

答えが出なくても、心臓は勝手に動きます。

むしろ、答えが出ないほうが面白い場合がほとんどです。

それが答えです。

それが最も人間らしい「悟り」の形なのだと思います。


赤井カラス。占い師。自身のことを占ったところ「大勢の人を占いなさい」という結果が出たため、2023年4月より紹介制を撤廃して活動開始。現在予約待ち2,000人以上。
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