「自分」を生きたい人に片づけをすすめる理由

「自分」を生きたい人に片づけをすすめる理由

#連載エッセイ
#「自分」を生きたい人に片づけをすすめる理由

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この1年、『<自分>を生きたい人に片づけをすすめる理由』と題して「片づけ理論」のお話と、それを色々なことに応用する方法をお伝えしてきました。

こんにちは。
整理収納アドバイザー・モチベーターのかとう麻子です。

いよいよ今日が連載最終回。
ずっと読んでくださっている方、私がなぜ<自分>を生きたい人に片づけをすすめたいか、なんとなく感じとってくれていますでしょうか。そうだったら嬉しいです。

最後の今日は「人間関係」「働き方」「人生の選び方」について、私の失敗談も入れながら、片づけの視点でお話ししようと思います。

何度かお伝えしてきたとおり、私は片づけ理論って真理だと思っていて、何にでも当てはめることができると考えているんですよね。

まず思い出しておいてほしいのがステップと領域です。

片づけのステップは4つ。
ステップ1.<自分にとっての>片づけのゴールをしっかり描く
ステップ2.ゴールに従って仕分けをし、選ぶ
ステップ3.自分の動作動線に従って配置する
ステップ4.使ってはしまうを繰り返す

領域はステップ2の仕分けの時に重要。

積極的に捨てることを考えるほどでもないけど好きでもない思い入れもない、なんとな~く存在し続けている「ただある」領域こそ、メスを入れるべき片づけの本丸だということです。

これ、人間関係や働き方、人生、つまり「関係」「環境」でも同じだと思うんですよね。

合わない人となんとなく関係を続けている。
昔選んだ働き方をなんとなくそのまま続けている。
心が死ぬほどしんどいわけじゃない。
でも胸を張って「自分で選びました」とも言えない。言いたくない。

そんな、人生の中の「ただある」関係や環境。

モノの片づけと同じでここを大事に見直していくことで、<自分>や<自分の人生>を「ああ、面白いな」「ああ、良かったな」って思えるようになるんじゃないだろうかと思ってるんです。

なぜかって、私はそこを見直して「人生って面白いな」って思えるようになったから。

そうなる前は幸いつらくも苦しくもなかったけど、面白いとまでは思っていませんでした。「まぁこんなもんだろう」くらいだったかな。

私は人生の進路選択の度にその時々の「世間の平均値」や「世間的レール」をなぞって、「普通」とラベルのついた箱の中から「失敗しないかどうか」「この中ならこれが好きかな」みたいに人生を選んでいました。

あなたはどうですか?

今、私は人生二回目の大学に入っているのですが、一回目の大学の選び方なんてひどいものでしたよ。

・そんなに興味はないけど楽で得意な学科
・勉強しておいて損はなさそう
・必死に受験勉強をしなくてよさそう
・無理はしたくないけどできるだけ偏差値が高め
・何となくみんなが知ってる大学

そんな選び方をしてました。お恥ずかしい限りです。

もちろんそんな理由で選んだ学びに身が入るわけもなく「単位を取りやすいのはどの授業か?」「たくさん休んでも大丈夫そうなのはどの先生か?」そんなことばっかり考えていました。お恥ずかしいパート2です。

片づけのステップでいうと、最初にするべき「ステップ1.<自分にとっての>ゴールをしっかり描く」が出来てなかったんですよね。震えるほどほしい知識や憧れやときめきが無いまま「高校を出たら大学に入るのが王道」ってだけで選んだので。

だから入ったあとは大学生活が「ただある」化していました。
(一生付き合える友人たちと出会えたことだけが救いだと思う)

・他人の基準に合わせて選んだコト、関係、環境
・「安心」のために「理想」を後回しにして握りしめてるコト、関係、環境
・周りや世間が期待する役割をそのまま続けているコト、関係、環境

そんな「ただある」領域が増えている時に重苦しくなったり不満を感じたりするのは、モノの片づけと同じじゃないかと思っています。