絵が描けなくてもOK!マンガ原作者になる方法とは?

マンガ原作者だからこそ求められるものとは?

#連載エッセイ
#絵が描けなくてもOK!マンガ原作者になる方法とは?

今も昔も、小学生のなりたい職業に上位ランキングする”マンガ家”。けど、ほとんどの人がいつしかその夢を諦めてしまう……。私(西島)自身もそうでした。
ところが、四十近くなり、なんとなく自分のこの先の人生が見え始めた頃、絵が描けなくてもマンガ業界に携わることができる方法を知ったんです。それが、マンガ原作者への道。そして、私自身はアラフォーでデビューしました。
周りを見渡してみると、私のように社会人になってから、小学生の頃の夢であるマンガ作りに携わりたいという人は意外と多いんですよね。その方法の1つがマンガ原作者になること。
ただ、なる方法は人それぞれ。そこで、毎回、ゲストをお迎えして、マンガ原作者になる方法を語っていきます。

第5回目のゲストは、マンガ原作者の北原雅紀さんです。

2001年に『氷雨かるた』で集英社ヤングジャンプ原作大賞にて準入選し(2002年、ヤングジャンプ増刊に読切掲載)、2004年に『昆虫鑑識官ファーブル』(小学館・ビッグコミックスペリオール)で連載デビュー。今年(2024年)で連載デビュー20年目を迎える北原さんに、マンガ原作者に求められるものとは何か、長く続けていくためにはどうすればよいのかなどを、お聞きしていきます。

関連書籍を読んだり取材に行ったりして得た知識を、マンガ原作に活かす

ヤングジャンプ原作大賞にて準入選したときの盾。

北原さんは競技かるたを扱った『氷雨かるた』、小児科医を主人公にした『真夜中のこじか』など、専門知識が必要とされるマンガ原作が多いですが、もともとご自身の詳しいものを題材に選ばれているのでしょうか。

いいえ、『氷雨かるた』も『真夜中のこじか』も、マンガにしてみようと思いついてから、取材をしました。
『氷雨かるた』を書いた頃はまだデビュー前だったこともあり、関連書籍を買いあさったほか、テレビ放送やDVDを何度も観て調べました。『真夜中のこじか』は、知り合いを辿ってお医者さんを探しました。結局、そのときは小児科医にはたどり着けなくて、脳外科医の方にお話を聞かせてもらうことになったんですが、普通では見ることのできない開頭手術まで見学させてもらい、別の作品にも活かせそうな経験となりました。

そうなんですね。では、どういうきっかけでこれらの題材を扱ってみよう! と思われたのでしょうか。

『氷雨かるた』を書いた当時は、ちょうど『ヒカルの碁』が流行っていた頃でした。そこで、同じように日本の文化で、まだあまりマンガになっていない題材がないか探っていく中で、競技かるたにたどり着いたんです。まだ『ちはやふる』の連載が始まる前の話です。
『真夜中のこじか』については、子どもが生まれて、小児科にお世話になることが増え、身近になったことからですね。

マンガ家さんに足りないものを補うからこそ、原作者の存在意義がある

専門知識が必要な題材を選ばれる理由は、マンガ原作者だからこそでしょうか。

そうですね。マンガ家さんに足りないものを補うからこそ、マンガ原作者の存在意義があるんだと思います。だから、資料を調べたり人物取材をしたりする必要があるものを題材にすることが多いですね。

もちろん、自分自身のこれまでの経験も役立ちます。このインタビュー記事を読んでいるマンガ原作者志望の方のなかには、現在、会社勤めをされている方もいると思いますが、実は一見、創作には関係ないようなサラリーマン経験も、十分、マンガ原作には活かせるんですよ。

私はマンガ原作者としてデビューする前は、9年間サラリーマンをやっていました。この経験もマンガ原作にプラスになっています。
マンガ家さんにはサラリーマン経験がない人も多いですから、オフィスでの上司とのやり取りや、クライアントと会うときの服装などの細かい部分をどのように描けばいいのか分からないといったケースもあるんですね。けれど、サラリーマン経験があると、リアルな原作を提供することができます。そこにマンガ原作者がいる意味が出てきます。

紙媒体で刊行された単行本は2024年5月現在、50冊あまり。その他、WEB連載作品も多数。