都会を出て田舎で0円生活はじめました。青森の0円家族、田村家の自給自足な日常を嫁目線でお届けします。
みなさん、こんにちは。
青森で家族三人、自給自足生活をしています「都会を出て田舎で0円生活はじめました」もう一人の著者の田村ゆにです。
前回まで旦那がお届けしてきた、ストロング生活はいかがでしたでしょうか。
コラムの続きを担当させていただくとなった時「ストロングって何?!」となっていた私です。
これからの時代を生きる上で「強い暮らし」を意味したストロング生活は、みなさんに伝わっていたでしょうか。
続編の嫁コラムでは、
「実際のところ子育てやこどもとの暮らしはどうなの?」
「食べるものって大切だと思うけど、ぶっちゃけ手作り大変じゃない?」
など、女性が気になりそうな話題をお届けできたらと思います。
本を読まれた方もそうでない方も引き続き、ご覧いいただけたら嬉しいです♪
目次
私の母親と料理
今でこそお料理は、日常的に自分がその時に食べたいものを手元にあるもので作れるので最幸の家事だと思っています。
しかし本にも書いてあるように最初から料理が得意だったわけではありません。
一人暮らしの時代に食へのこだわりはなく、むしろ面倒臭いけどやらなければいけないので究極的に1日1食生活にシフトしたほどでした。
食べることは好きだけど、料理をすることは好きにはなれない。そんな私の考えは育った環境にあったのかもしれません。
私の家は高校受験のタイミングで両親が離婚し、父親とは縁が切れているため実際に縁のある親は母一人です。
両親は共働きで母は料理が得意な方ではなく、週の半分は二世帯で一緒に住んでいたおばあちゃんの手料理でした。
しかし高校生にもなれば週末はバラバラで、お昼ご飯は自炊することになります。
自炊とはいえ料理を母に習ったこともなく、卵とチャーハンの元で味付けを変えるだけの空腹を満たすごはん。
そんな境遇から「料理頑張るぞー!」と、ピンチをチャンスに捉える今のメンタルがあれば良かったのですが、当時の私は音楽に夢中で料理には関心を持ちませんでした。
母親と台所で過ごしたわずかな記憶にも、あまりいい思い出がありません。
興味があって台所に行っても危ないと怒られる。
何か手伝おうとしても「今日はやることない」の繰り返し。
大変そうな母を助けたい気持ちはあったけど、きっと邪魔になるだろうなといつしか料理に興味を持たなくなり苦手なまま大人になりました。
今自分が親になってみてわかるのは、刃物や火を扱う料理を教えるのには、危険を伴います。
当時の母はこどもが怪我するのを心配したり、お腹が空いている子のために一刻も早く夕飯を準備しようと、仕事で疲れている中でも必死に最善だと思ってやってくれていた事だとわかりました。
一緒に何かを作ることや食卓での会話も少なくて、それを勝手に寂しさに置き換えていたのは自分だったのだなと。
都度衝突することはあったけれど、高校卒業後に歌手になるために上京したいと言った時、それまで何不自由なく育ててくれて最終的に応援してくれたのは母でした。
「東京から青森に引っ越して結婚する!」と、何の前触れもなく知らせた時、どれほどの驚きと不安を与えたでしょうか。
ただ見守ることの難しさ、その裏に隠れた母の愛情が今私の親としての土台になっています。
自分のこどもに「おやさいが、いちばんすき!」と言ってもらい夢が叶った今(本のP.94)、次に抱く私の夢は、あの頃母に作ってあげられなかった夕飯を作ることです。
この話のつづきは、またいつかどこかで。
料理は化学
今の私が料理を好きになった理由には、とある視点を取り入れたことにもあります。
学生時代は理系で他が赤点でも化学の成績だけはよく実験が好きだったので、その延長線上のように”料理を化学する”ことに面白さを見つけたのです。
毎年うちで開催しているイベントでお料理の話をした時、参加者の方からの感想に「ゆにさんのお料理って化学だね!」と言われたこともありました。
化学には方程式がある一方で、現実世界ではやってみないとわからない。本に書いてあることはこうだけど、本当にそれで出来るのだろうか?
「まずは、やってみよう!」
そんな軽い気持ちでスタートして失敗を繰り返しながら、いつの間にか調味料や手作りできるものの種類が増えていました。
素材が完成するまでチャレンジを続けられるのは、たとえ失敗しても材料が基本0円なことも大きく影響しています。
普通は研究するのに膨大なコストや設備が必要だけど「あるものでできる」「子育ての隙間時間でできる」という、ない中で生み出す工夫にこそ楽しさが詰まっているのです。
今の時代増やすことは簡単で無限です。しかし、減らすことには限界があります。
これまで、ないことや減らすことには、何となく乏しさや苦しむイメージを感じていましたが実際にやってみるとそれは逆で手仕事を通して大きく私の価値観を変えてくれました。
全てのものに限りがある世界でないなりに工夫して生きることは、最小限のもので最大の幸せを掴めるチャンスなのです。
たくさんの情報と物に溢れた世の中で、私たちは無限に選べると誤解してきました。
自分の可能性は無限です、しかし地球に存在するものは有限なのです。
大人になった私はこの暮らしの中で、あの頃好きだった化学の実験の続きに取り組んでいるのかもしれません。
失敗はストロングのもと
この暮らしを始める前、都会っ子だった私は失敗は格好悪いことであり成功こそが最良の結果だと思っていました。
まず、失敗しないでやり遂げること。努力を見せるのは恥ずかしい。それが理由で人前では格好つけて自分を演じることが全てだったように思えます。
まあ、20代ってそんな時間だったりもしますよね。
そんな私の価値観をまずはじめに壊してくれたのが今の旦那さんでした。出会いのきっかけなどは、お嫁さん募集のエピソード(本のP.190~)をご覧ください。
そのお嫁さん募集の記事では、もしも合コンで初対面の人からこの会話が出てきたら引くレベル!で、身の上をさらけ出している点に衝撃を受けました。
当時登録していた婚活アプリのプロフィールでは現実よりも見栄え重視の内容で盛り、実際に会っても当たり障りのない会話の繰り返しで嫌気が差していた頃、この人だったら自分のこれまでの失敗も話せる気がしたのです。
結婚して常に一緒にいるということは、いい時も悪い時も共に経験することになるわけです。
最初にお互いの格好悪い点を見せることは、その後の結婚生活で求められるハードルがグッと下がる気持ちでした。
成功率が上がってからメディアに出るようになったことで、何でもできる人のように思われていますが、野菜も料理も失敗なしでは今のカタチはありません。
手作りの米麹は何度か失敗して、毎日のように微妙な味のリゾットを食べていました。
はじめての納豆作りで旦那さんは食中毒になり、しばらくは手作り納豆恐怖症になっていた時期もありました_苦笑(皆さんは、失敗したらムリして食べないでね!)
結婚して長く一緒にいることで、はじめの印象から変化することもあるけれど、最初からどんなご飯も残さず美味しそうに食べてくれた旦那さんには感謝しかありません。
こどものために野菜を作り始めたのは本当だけど、自分が美味しいと思えない失敗した料理でも嫌な顔せずに食べてくれるのは旦那さんだったなと思います。
都会を出て失敗を隠すものという価値観を変えてくれて、その失敗を受け入れてくれる人と環境を田舎で見つけました。
失敗したから今の幸せがあり、失敗のお陰で家族としての絆が強くなってきたのかもしれませんね。
今回の動画では、側から見るとまさに失敗している様子です。
それでも変わらない日常があります。失敗しても負けではない、そんな風にこの暮らしが私を強くしてくれたのでした。
田村ゆに(Tamura Yunii) 1987年北海道札幌市生まれ。高校卒業後に歌手を目指して上京。アルバイトをしながらの歌手活動中に着物の魅力にハマり、365日着物生活をはじめる。29歳になる年にSNSで発見した田村余一の「お嫁さん募集」へエントリー。その年の秋に青森へ移住し田舎暮らしを始め、2017年に入籍。オフグリッド生活や畑作業をスタートする。2018年第一子を出産。現在は子育てや畑作業の傍でインスタグラムを中心に暮らしの知恵や野菜の知識をシェアして活動している。 たむらゆに(Instagram) https://www.instagram.com/uchimill_yome/ うちみる(自給自足家族生活オフィシャルWEBサイト) http://uchimill.naturebounds.com/ うちみる動画チャンネル(YouTube) https://www.youtube.com/@uchi-mill4828