カフェ「しくじり」へようこそ

第1話 要領の悪さ、どうしたらいい?

#連載エッセイ
#カフェ「しくじり」へようこそ

ここはカフェ「しくじり」。一見さんお断りの会員制だ。
ここでの通貨はしくじり。客がしくじり経験談を披露し、それに応じてマスターは飲み物や酒を振る舞う。
マスターは注意欠如・多動症(ADHD)の傾向を持ち、過去に多くのしくじりを重ねてきた。しかしある工夫で乗り越えてきた不思議な経歴の持ち主。会員のために今日もカフェのカウンターに立つ。
そんな奇妙なカフェのお話。

グレーのパンツスーツに身を包んだ20代の女性が、薄暗い裏路地に迷い込んできました。何か思いつめたような、それでいてどこかうつろな表情をして、なにごとかブツブツつぶやいています。

「あ〜ぁ……もう何なのよ……。発表会用のパワポ出すの遅れたぐらいであんなに怒らなくたっていいじゃない……」

どうやら、会社で嫌なことがあったようです。

「あ〜、どこか静かなところでお酒でも飲まなきゃ、やってらんないわ!」

「なにこれ? カフェ、し・く・じ・り? 私への当てつけなの? ……でも、ちょっと気になるし、覗いてみようかな」

(ギィーッ) (カランコロン カランコロン)

「いらっしゃいま……おや? 見かけないお顔ですね。会員紹介以外のご新規様はお断りしているのですが……お名前は?」

「私は『りんだ』。ちょっと会社で嫌なことがあってむしゃくしゃしてるの。会員とか紹介とか固いこと言ってないで、一杯くらい飲ませてくださいよ!」

「わ、分かりました。私はここのマスターの小鳥遊(たかなし)と申します。まぁ、まずはこちらにお座りください。当店のシステムについてご説明します」

**

小鳥遊 「……というのが、当店のシステムです。つまるところ、しくじりを抱えたお客様に、ご自身のしくじりや悩みを飲み物や食べ物に換えて、スッキリしてご帰宅いただこうというコンセプトのカフェです。どうです?」

りんだ 「どうです? って……、正直趣味悪いと思いますけど!」

小鳥遊 「ハハハ。そうそう、その調子で今抱えているりんださんの『しくじり』を聞かせてもらえませんか? せっかくなので、ビールを一杯ご馳走します。しくじりっぷりによっては特別に会員にしてさしあげますよ」

りんだ 「なんか調子狂うなぁ。まぁ、ビール飲めるし、いっか。ちょっと小鳥遊さん、聞いてくださいよ……」

小鳥遊 「はい。りんださんのしくじり、じっくり聞かせていただきますね」

りんだ 「私、今年入ったばかりの新卒なんです。今日は、業務の成果を報告する発表会だったんです。先週金曜日までに発表会用のパワポ資料を人事に出す必要があったんですが……なんか難しそうで後回しにしちゃって。結局その期限を守れなかったんです。そうしたら人事から、ものすごい剣幕で怒られちゃって……」

小鳥遊 「早くも会社あるあるの洗礼を浴びてしまいましたね。フフフ」

りんだ 「怒られたら焦っちゃって、パワポ資料もテキトーになっちゃって。プレゼンも結局グダグダ……。それにひきかえ、同期のアズサは涼しい顔して完璧なプレゼンしてて……はぁ〜〜〜」

小鳥遊 「これはこれは、期待の大型新人のおでましですねフフフ。おや、お腹が鳴ってますね。ちょうどいいお肉があるんです。ステーキでも召し上がりませんか」

**

りんだの前にステーキが置かれる。

りんだ 「わぁ、いい匂い! いただきます♪ 美味しい!!」

少し落ち着いたりんだは、小鳥遊に心の内を話し始める。

りんだ 「小鳥遊さん……私って、もしかして要領が悪いんでしょうか? 同期のアズサとは元が違うんでしょうか?? しくじるのも怒られるのも、こりごりです。まだ始まったばかりなのに、今の会社を続けていける自信ないです」

小鳥遊 「りんださん、ご安心ください。これは私の持論なんですが、要領がよくないというのは思い込みが大半です。……ところで、もしフォークもナイフも無しにただ大きいステーキ肉が目の前に置かれたらどうします?」

りんだ 「フォークとナイフが無いです! って小鳥遊さんに文句を言ってやりますよ。大きい肉だけをドン! と置かれたって食べられないの、当たり前じゃないですか」

小鳥遊 「そう、当たり前なんです。ところでさっきりんださんは、パワポ資料を作るのを『なんか難しそうで後回しにしちゃって』って言ってましたね。もしかして、『パワポ資料を作る』という大きな肉を前に、ただ漫然と取りかかれずにいたのではないですか?」

りんだ 「ううう……言われてみれば……」

小鳥遊 「ですよね。ステーキは食べるために小さく切りますよね? 仕事も同じなんですフフフ」


りんだ
「……ということはつまり『パワポ資料を作る』という肉を小さく切れば良かったと?」

小鳥遊 「そうです。パワポ資料を作るなら、最初に『プレゼンのテーマと骨組みをメモする』次に『最低限の言葉をパワポに入力する』といった感じに小さく切り分ければ、取り掛かりやすくなります。だったら、締切近くまで後回しにすることはなかったのでは?」

りんだ 「たしかに、資料作成って考えただけじゃ、次に何をすればいいのかイメージできなくて、つい後回しにしてました……」

小鳥遊 「資料作成ってよく言いますけど、意外とどこから手をつければいいか分からないことって多いですよね。だから、手をつけやすいように手順を小さく切り分けるといいんです」

りんだ 「ああ……そういえば、アズサは早めに手をつけて、人事に一回相談してアドバイスをもらってました。それも仕事を切り分けていたってことなんですかね?」

小鳥遊 「おそらく。自分がやれると思えるくらいシンプルな行動に切り分けると案外スイスイ進められますのでね。プラスアルファのこともできたりします」

りんだ 「はぁ……アズサはなんて優秀なんだろう。それに比べて私は才能や努力が足りないのかな……」

小鳥遊ステーキを食べるのに努力や才能はいりません。ナイフとフォークを使えばいい。ただそれだけのことです。りんださんとアズサさんを隔てるものは、ステーキだけを目の前に置かれて、『このステーキ、食べられなさそう。どうしよう』という思い込みだけです」

りんだ 「あのアズサとの差は、私の思い込みだけ……?」

小鳥遊 「先ほど召し上がったステーキと同じように、さっさとナイフとフォークを手にとって一口サイズに仕事を切り分けて進めると、そのうちアズサさんとも渡り合えるようになりますよ」

りんだ 「ほんとうですか!? さっそく明日会社に行ったらノートに仕事を細かく分けて書いてみようっと!」

小鳥遊 「おっ。りんださん、気のせいか顔が少し明るくなったように見えますよー」

りんだ 「わ、私はそんな単純な人間じゃありません! もう失礼します。お会計!」

小鳥遊 「最初に申し上げたとおり、お代のしくじりは十分頂戴しましたので、そのままお帰りいただけます。あ、それから……」

カフェ「しくじり」マスターの小鳥遊は、りんだへ1枚のカードを差し出しました。

小鳥遊 「私の独断で、りんださんを特別に当カフェの会員にしました。会員カードを進呈します。いいしくじりが貯まりましたら、またいつでもお越しください」

りんだ 「..……また来ることはないようにしますが、せっかくなんで受け取っておきます」

小鳥遊 「フフフ」

りんだ 「でも、話せて少し気持ちが軽くなった気がします。その点は、ありがとうございました」

りんだを見送ると、マスターはスマホを取り出し、日課の店じまいツイートをしました。


要領がよくないと思い込んでいる人のための仕事術図鑑 F太、小鳥遊(共著)

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